台風一過

笠 露子
No.2697

私事ではございますが、先日16日に北海道にて挙式いたしました。
久留米に帰ってくる日に台風がぶち当らなくて本当に良かったと
胸をなで下ろしている次第です。
それにしても、もう24号は接近して欲しくないものです(^_^;)

>野口先生
台風の最中仙台出張お疲れさまでした。

おめでとうございます。

No.2699

 笠さん、御結婚おめでとうございます。
 来年の春までは九州と北海道の通い婚なのでしょうか?平安貴族のように「牛車」で、というわけにはいかないでしょうが、「中世武士の列島ネットワーク支配」を研究課題の一つにしている小生としては、流石だなぁ~と感心しています。
 時には、往復の間、京都にもお立ちより下さい。
 台風。今年は本当にヒドイ状態ですね。すでに笠さんは戸籍上は笠さんではなくなったのかもしれませんが、「笠」さんが、台風の接近をきらうのは、よく理解できますね。
 なお、仙台でのお話は下に書くつもりです。

おめでとうございます

No.2701

笠さん!!と、呼んでいいのかどうなのか・・・。
ご結婚おめでとうございます\(^o^)/
今週あたりかと思って、メールをしようかと思っていたところの吉報でした☆「九州と北海道・・・ある意味海外ですよねー」と言った、小城旅行も遙か彼方に思え、今回の台風ではその小城町でも被害があったようです。笠さんの結婚式に台風が直撃しなくて、本当によかったです。また折を見て、京都にも遊びに来てくださいませ。

Re: 台風一過

永富絵里子
No.2712

露子さん、ご結婚おめでとうございます!!(「笠さんではなくなったので下のお名前でお呼びしちゃいます)
台風をうまく避けたのではなく、きっと空の神様も露子さんたちを祝福しているからこそそれていったのではないでしょうか?^^
これから露子さんと新しいご家族にたくさんの幸せが訪れることをお祈りします♪



帰洛いたしました。

No.2696

 22:48京都着のぞみ77号にて、帰洛いたしました。仙台でのこと、不在中に御恵送いただいた御著書の紹介など、後日ゆっくり御報告したいと思います。とりあえず、本日の同志社の講義は、そういうわけですから、ちゃんと実施出来ることになりました。
 >田中さん・山岡さん  ご心配ありがとうございました。

報告① 仙台でのこと。

No.2700

 20日、東海道新幹線に遅れが生じる直前に、かろうじて東京に到着することが出来ました。福島の県立高校の修学旅行生の一団と京都から一緒でしたが、まさか、この修学旅行団は台風襲来ということで日程を変更して、この時間に帰郷することにした訳ではないと思うので、日程設定をされた先生方のスゴイ先読みに感心いたしました。ちなみに、あとで聞くところによると、この高校(かの松平容保の城下に所在)は地元では大変有名な名門校なのだそうです。
 仙台駅で、東北福祉大学の岡田清一先生(小生が院生の頃から、兄貴分と慕う人です)のお出迎えをいただき、先生の御案内で仙台市立博物館を見学しました。
 ちょうど特別展「日・月・星-天文への祈りと武将のよそおい-」が開催されていて、おおいに学ぶところがありました。京都などからの出展も多くありましたが、流石に天下の大藩・仙台藩。この地の芸術・学芸のレベルの高さを思い知らされました。
 その夜は岡田先生の他、同大学の吉井宏先生、それに当ゼミメンバーにはお馴染みの東北大学・柳原敏昭先生・幸子さん御夫妻とお目にかかることができました。ちなみに、吉井先生と柳原先生のご関係は、いきなり12世紀末の平泉藤原氏に例えれば、基成と秀衡に対応いたします。
 仙台は台風の影響はほとんど無く、明くる21日はホテルまでお出迎えいただいた岡田先生の車(カーナビ付き。これを見て、小生も購入を決意)で東北福祉大学へ。
 東北福祉大学は仙台市青葉区北郊の丘陵上にあって、眺望は抜群。瀟洒な校舎や県立規模の美術館に相当するほど豪華な芹沢銈介美術工芸館に圧倒されました。この工芸館の収蔵品は東北で生産された焼物のほか、世界各地の染織品や装飾品・衣類など民俗学や考古学のみならず、被服や色彩などに関心のある方々なら大喜びされそうな作品ばかりで、この見学だけを目的に仙台まで出かける価値は十分にあると思いました。
 また、この大学には社会教育学科があることもあって、生涯教育センターが付設されており、今回小生が出講させていただいた「みやぎ県民大学」もここが担当されています。
 さらに、大学付設の施設として特記すべきは、栄養やカロリーにまで十二分に気を配った上で、とても高級感のあるメニューもりだくさんのレストランのあることで、胃腸虚弱でカロリー摂取を抑制しなければならない小生には、実にうらやましい限りでした。なにしろ、ここで普通に昼食をとっているだけで、ダイエットできるのだそうです。エビや蠣などの食材も良く、デザートのケーキもコーヒーも美味いものばかりでありました。なお、学内のレストランとはいえ、施設もサービスもホテルなみ。景色も抜群ですから、学外者もたくさん入っているようでした。
 ここで満腹になった小生は、血流を胃に集結させたまま講義会場に赴き「義経の周辺」というお話しをいたしました。したがって、要をえない話になってしまったかとも思われますが、来場の市民の方々は熱心に聴いてくださり、会場は熱気に包まれておりました。岡田先生のお話では、当初は定員50名の予定だったのが、申込みがあまりに多いので120名にされたとのこと。台風は太平洋に抜けたとはいえ、その申込者がほぼ全員、宮城県各地からおいで下さっていたのには感激いたしました。
 講義を終えて、岡田先生に正門前までお送りいただきましたが、ここで驚いたのが、大学構内にコンビニがあることで、学生の便宜をはかって誘致したとのお話でした。
 タクシーを拾って、ことのついでに仙台城址の石垣を見学してから駅に向かいました。
 駅近くのアエルという高層ビルにある丸善に立ち寄りましたが、日本中世史のコーナーに、『清盛以前』も『源義経 流浪の勇者』も置かれていませんでした(五味文彦著『源義経』岩波新書は山積みでした)。仙台駅前の大型書店がこれでは、せっかく良い本が出ても、読むべき人の手に渡らないのではないかと心配になりました。当然、『清盛以前』など、東北でも武士論や『平家物語』の研究者にとっては垂涎の的のはずなのですが、前日の会食の際のお話でも、地元の研究者にはその再刊が知られていませんでした。勿体ないことであります。
 
 さて、博物館の図録やら荷物が多かったために、お土産は小さなものばかりとなり、ゼミメンバーに用意した「薄皮まんじゅう」もすでに昨日の段階で、数個を残すのみとなっております。多くのメンバーがありつけなくなると思われますが、後難を避けるために、今からお詫びを申し上げておく次第です。

報告② 川合先生・瀧浪先生の御著書等

No.2703

 仙台出張中に川合康先生・瀧浪貞子先生から新刊の御著書、菊池紳一先生から御高論の抜刷2点をいただきました。あつくお礼申しあげます。
 川合先生の『鎌倉幕府成立史の研究』(校倉書房)は、タイトルの通り、今日における鎌倉幕府成立史に関する研究の最高の水準を示す業績です。
 このような研究はともすれば実証か理論のいずれかに偏りがちになるものですが、これはその双方を備えています。学生時代に石井進『日本中世国家史の研究』を読んだときに似たような感動を覚えました。
 また、先行研究ににたいする配慮や詳細な索引など、論文集とはかくあるべきものだと思いました。内容はもとより、随所に川合先生の学問に対する真摯な取り組みの姿勢と情熱を感じました。きっと、後進の研究者にそのような側面からも大きなエネルギーを与えることになるでしょう。
 ただ、細かい話で恐縮ですが、先行研究という点について、383ページの最後の行の維衡郎等「伊藤掾」が伊藤忠清の祖と見られるという指摘は、拙稿「平貞盛の子息に関する覚書」『史聚』第8号、1978年)で述べたものです(高橋昌明先生の『清盛以前』旧版では本の性格上、この拙稿が参考文献欄にあげられているのみで、このことを具体的に指示されていませんから、川合先生の責に帰するものではありません)。

 瀧浪貞子先生の『女性天皇』は集英社新書として刊行されました。女性天皇をめぐる議論がかまびすしい今日、女帝研究の第一人者によるこのような啓蒙書の刊行は大変時宜を得たものであり、女子大で日本史を学ぶ学生さんには必読の本と言えましょう。
 なお、小生は女性天皇即位には歴史的に何の障害もないように思っていたのですが、岡野友彦『源氏と日本国王』(講談社現代新書)を読んでみたら、そう簡単にもいかない背景が理解できました。とくに中世を専攻する学生さんは、あわせてお読みになると良いと思います。

 菊池紳一先生からいただいた御高論は「房総三か国の国司について」(『千葉県史研究』第11号、2003年)と「中世加賀・能登の国司について」(『加能史料研究』第16号、2004年)です。いずれも、尊経閣文庫で一級の原史料に取り組んでおられる菊池先生の御研究の姿勢が反映された実証研究です。後者はとくに当ゼミ山本君の研究テーマである北陸武士団の解明に裨益をもたらすところ多大なものがあるのではないでしょうか。
 前者については、兵衛尉・下総守を歴任した平(千葉)常秀の「上総介」を受領とはとらえず、在庁官職とみられた点が三浦氏の例などと比較しても、小生には腑に落ちませんでした。
 房総の中世史については、まだ時々口を差し挟みたくなるのです。

 以上、お礼に乗じて勝手な感想を書き連ねさせていただきました。あらためて、先生方の学恩と御厚情に感謝申し上げる次第です。 

伊藤掾

川合康
No.2709

「伊藤掾」が伊藤忠清の祖であるということについて、かつて高橋昌明氏から口頭でご教示を受けたこともあり、拙著では高橋論文を注にあげましたが、もともとこれが野口さんのご指摘であったことを知りませんでした。申し訳ありませんでした。

こちらこそ、お詫び申し上げます。

No.2710

 川合先生には、最初の2703の書き込み(現在のものは訂正済みのものです)で、むしろ、こちらこそ失礼のあったことをお詫び申し上げます。 
 小生としては、高橋昌明先生の御著書以前に拙稿「平貞盛の子息に関する覚書」において伊藤忠清の祖について触れていることを申し上げたかったに過ぎません。「史実発見の先陣争い」みたいなつまらない話で、恐縮に存じております。

台風縦断列島の傾向と対策。

No.2687

 >主に同志社大学文学部「文化史特論Ⅱ」(野口担当)受講のみなさんへ

 大学受験の参考書のようなタイトルをつけてしまいましたが、21日に予定されている2004年度みやぎ県民大学東北福祉大学公開講座「義経-その生涯と時代-」の第2回「義経の周辺」の講義のため、明日中に仙台へ進発いたします。
 超大型台風が接近中とのことですが、気象庁の予報から考えるに、なんとか仙台への到着は可能だと思います。しかし、先日の日本史研究会大会直前の状況と同じで、21日に東北福祉大学が休講になる可能性もあり、さらに交通機関の不通で21日中の帰洛が困難となる可能性も出てきました。22日(時代祭の日です)の午前には同志社の講義が予定されていますが、最悪の場合、休講という事態も想定されます。可能であれば事前連絡を致しますが(小生、ケータイなるものは所持いたしておりません)、場合によっては小生が昔、しばしば経験したように、大学に出ていったら休講という事態に遭遇されることになるかも知れません。申し訳ありませんが、その場合は、御寛恕のほどお願い申しあげます(時代祭の行列を御観覧下さい)。

2005年度研究所公開講座講師決定!

No.2688

 例年6月第4土曜日に開催されている京都女子大学宗教・文化研究所公開講座:シリーズ「東山から発信する京都の歴史と文化」の2005年度の講師を次のお二人の先生にお願い致しましたところ、快く御内諾をいただきましたのでお知らせいたします。
 
 歴史学の分野:高橋慎一朗先生(東京大学史料編纂所助教授)
 
 国文学の分野:堤 邦彦先生(京都精華大学人文学部文化表現学科教授)
 
 高橋先生には、平家・鎌倉幕府との関係で六波羅について、堤先生には源平内乱期の人物・事件を素材にして近世に成立した芸能や文学作品などについてのお話をお願いしようと思っておりますが、最終的には先生方のお考えにお任せしてあります。
 御講演のタイトルや内容については、決まり次第、お知らせいたします。まだまだ、先の話しですが、今から楽しみなことです。
 さて、来年の6月、ゼミの諸姉兄(とくに、現在の4回生や進学準備中の方たち)はどうされていることでしょうか?

☆ 昨日の『吾妻鏡』講読会出席のみなさん、就中、岩田君・山本君へ
 網野善彦氏の常陸国の荘園・公領および在地諸勢力に関する論文は、岩田君の仰っていたとおり『日本中世土地制度史の研究』(塙書房、1991年)に収録されています。御覧おき下さい。

常陸・北下総の歴史世界

No.2690

>野口先生 いつも参考文献のご教示をありがとうございます。
『日本中世土地制度史の研究』ですが、いますぐ手が届く場所にはありませんので、差し当たっては、同じく昨日山本さんがご指摘下さった『里の国の中世』(平凡社ライブラリー.2004.)を先に読んでみることにします。これは手元にあります。古代末期~中世前期の常陸・北下総地域の武士や荘園の様子が網羅された一冊ですね。

↑こんなことを書くと、山岡さんがパソコンの前で「読みたい…」と呟いたとか呟かなかったとか。

Re: 台風縦断列島の傾向と対策。

No.2691

 今、台風のため午後からは休講になり家に帰ってきたところです。どうせなら午前中も休講になればよかったのに・・・。当然のことながら図書館も閉館となり、図書館に入った瞬間退去を命じられました。

>野口先生
 道中くれぐれもお気をつけください。

>岩田さん
 「読みたい・・・」というよりは土地制度がさっぱり分かっていないので、「読まなければ・・・!!」といった感じです。

台風シーズン?

No.2694

 今日は自分も台風直撃により大学が休校でした。7時段階に警報が出たので、大学行ってから休校だったという悲劇は何とか避けられました。まだ次の24号が待機しているらしいですが、どうなるんでしょうか?
>野口先生・岩田さん
 昨日の常陸国の荘園に関する参考文献ありがとうございました。確認していないのですが、『里の国の中世』に掲載の論文は、『日本中世土地制度史の研究』に所収の論文とは違う内容なんでしょうか?それともダイジョスト版なんでしょうか?
とにかく自分も『里の国の中世』を読みます。
>園田さん
 先週の園田さんの発表を、私事によって聞きに行けませんでした。宇佐八幡宮は一度行った事があるので興味があって、すごく聞きに行きたかったのですが・・・。日本史研の雑誌販売の時は修論の大変さをいろいろと伺いましたが、頑張ってください。
>尻池さん
 先日の『吾妻鏡』講読会は、如何だったでしょうか?最初は慣れなくて来づらいかもしれませんし、またお忙しいことと思いますが、今後とも遠慮なく参加してください。

※来週の『吾妻鏡』講読会の範囲
 来週の講読会は10月25日に行います。担当は山岡さんです。
 範囲は①承元2年11月14日条
    ②承元3年正月6日条
    ③  同年3月1日条
    ④  同年同月21日条  
 以上の4日分です。    
 また来月の11月15日は、岩田さんに古文書学の勉強会があります。自分も含めて苦手な方は奮ってご参加ください。

並べてみました

岩田慎平
No.2695

 台風が通り過ぎましたが、みなさんのなかで被害に遭われた方はおられないでしょうか。困ったときは助けを求め合いましょうね。
 僕のまわりでは、大学の木が一本根元からごっそり折れていたのが一番大きな被害でした。

>山本さん
 『吾妻鏡』講読会の範囲のお知らせ、毎回ありがとうございます。網野さんの『日本中世土地制度史の研究』の第四章「常陸国」は、『茨城県史研究』に収録されたものに加筆されたもので、『里の国の中世』は『茨城県史 中世編』の網野さん執筆分を一冊にまとめたものだそうですね。印象としては、『茨城県史研究』収録論文のほうがより堅くてコンパクト、『里の国の中世』のほうがより平易な叙述となっています。先に『里の国の中世』を読んでおいたほうが、とっつきやすそうですね。

被害報告。

谷垣 有香
No.2698

 お久しぶりです。
 台風23号:トカゲのせいで、私の愛する但馬国が大変なことになってしまいました。

 私の実家のほうは、田畑が池になったり、車庫に水が入った程度ですみました。

 しかし、通っていた高校のある豊岡市は、各種メディアが日々伝えている通り、ものすごい被害が出ています。隣町の出石町も同じです。
 テレビ等を通して見ることができるのは、この豊岡と出石のみですが、カメラの向けられていない城崎町・日高町・養父市等でも、死者行方不明者がでたり、水に浸かったり、土砂崩れが起こったり・・・相当な被害が出ているそうです(伝聞系なのが悲しいです)。
 私としては、すっとんで帰って復旧作業に加わりたいのですが・・・未だアタフタしているのが現状。とにかく、被害が豊岡・出石だけではないことを知ってもらいたくて、こうやって書き込んだ次第です。

 最後になってしまいましたが・・・
>野口先生
 台風の中の出張、お疲れ様です。無事で何よりです。

>笠さん
 結婚おめでとうございます。これからもお幸せに・・・☆

例会について。

No.2685

 次回の例会についてです。
   日時:10月27日(水)
   時間:18:00~
   場所:京都女子大学L校舎3階共同研究室
   報告者:末松 憲子氏
   テーマ:「近世日蓮宗における略縁起の成立
        ~相州藤沢・妙善寺の稲荷縁起を中心に~」

 以上のようになっています。多くの方の参加をお待ちしております。

Re: 例会について。

末松憲子
No.2692

発表者の末松です。
参考文献を書き込ませて頂きますが、皆様専門外だと思いますので、あえて読まなくてもわかるような発表にしたいと考えております。

一応以下の2つを挙げておきます。
久野俊彦「「愛敬稲荷略縁起」の成立」(『国文学論考』34号、1998年)
比留間尚『江戸の開帳』(吉川弘文館、1980年)

中世を専攻されている方々にとっては、江戸時代の(良い意味での)いい加減さを楽しんで頂けたら、と思っています。
つたない発表になると思いますが、よろしくお願いします。

待ってました☆

No.2693

 先ほど、資料館から帰宅しました。四条河原町界隈では、高島屋も藤井大丸も閉店していて、「おお!台風♪」と不謹慎にもちょっと喜んでしまった次第です。
 野口先生は無事に仙台に着かれたのでしょうか???

 さて、末松さんの発表参考文献が提示されました。「待ってました!」という感じです。先日の「叡電文化講演会」の末松さんとは逆に、最近日本史に浸かっている分量の方が多いようで、文学(ちゃんと「伝承」を付けた方がいいでしょうか?)の発表楽しみにしています☆「近世」も大好きですので。(好きな単語は「青砥稿花紅彩画」です(うそです(笑)。でも、こういう近世には欠かせないユーモアのセンスは大好きですよ。)
 >読めなかった皆さまへ。 「あおとぞうしはなのにしきえ」と読みます。こういう「遊び」の感覚が近世の文学や芸能を知るためには必要だと思います。他にも「花街模様薊色縫」や「伽羅先代萩」などなど、読み方を知ったときには感動を覚えたものです(笑)

美川先生の「崇徳院」拝読

No.2683

美川圭先生の御労作「崇徳院生誕問題の歴史的背景」(『古代文化』第56巻第10号掲載、京都、2004年)を拝読しました。 私はまだ角田文衞先生の御説にこだわっているのですが、美川先生の巧妙な論理展開に感服! 崇徳院の実父は誰かというのは不明としたまま、その噂を流すことによって実利を得たものは誰か、というのは、まさに興味津々の謎解きです。

>野口先生  宇治「西殿」のリポート、その通りです。ただ、「小河大路」の幅が4mか8mかは、なかなかむつかしい。個人的には8mの方が確かにしっくりくるのですが・・・

>美川先生 宇治市の担当者、浜中邦弘さんです(同志社の考古学の卒業生ですので、いわゆる私の「後輩」です)。真面目で誠実かつ感じの良い研究者です。

>皆さんへ  滋賀県守山市の佐川美術館でやっている「中尊寺展」、なかなか凄かった。お勧めです。

Re: 美川先生の「崇徳院」拝読

No.2684

 山田先生、拙文お読みいただき、お褒めのお言葉、光栄の至りです。とにかく、角田先生直々のお電話で、撤退不可能、といった具合ですので、もうあれしか書きようがない、という論文です。前半の荻野説問題はけっこう自信があるのですが、野口先生もとりあげてくださった、後半はあまり自信がありません。

 ただ、崇徳天皇が自分の息子でないことが早々に明らかになっていたら、白河法皇が死んでまもなく、かれを譲位させないと、鳥羽院政は維持できない。それなのに、1129年から56年まで、27年間も鳥羽院政はいちおう盤石だったわけですから。鳥羽院政期というのは史料が少ないので、存在感薄のですが、長いんですよ。崇徳を近衛に譲位させたのは、1141年ですからね。しかも、近衛の即位後も、崇徳の皇子が有力な天皇候補としてのこっていたなんて。

 まあ、待賢門院の発言力がとても強かった、なんて解釈も可能かもしれません。それはそれで、女院論としておもしろいかもしれません。また、当時の宮廷内の情報は、いかにして流布されるか、あるいは隠蔽されるか、なんていう問題もおもしろそうです。いろいろと、攻めようがあるので、ぜひ若い方々にも、美川批判など、やっていただきたいです。いつでも受けて立ちますよ(笑)。

 宇治の担当者についての情報、ありがとうございました。

Re: 美川先生の「崇徳院」拝読

No.2686

美川先生、問題になっているご論文、是非読んでみたいのですが……。

Re: 美川先生の「崇徳院」拝読

No.2689

石浜様
ご無沙汰しております。いつも、NHKブックスお送りいただき、恐縮しております。早急に、拙稿の抜き刷りとお送りさせていただきます。まだ、どなたにも、お送りしておりません。まったくなんとか無精なので・・・・。いろいろな方のところへ、ぽつりぽつりと届くかも知れません。あーだめだなあ。

明日の史料講読会について。

No.2681

 明日は3・4講時に『吾妻鏡』講読会があります。3講時は小生担当で、すくなくとも治承4年10月21日・養和元年7月20日条は済ませたいので、『吾妻鏡』を持っていない出席者は、国史大系本のコピーを忘れずに用意しておいて下さい。
 なお、明日午後は、永富さんの御助力を得て書類作成の仕事を史料講読会と同時に行なわなければなりません。そこで、岩田君・山本君・長村君など、院生の方で早めに来られる方は、場合によっては師範代をお願いしたいので、3講時から出席をお願いします。
 
 >叡山電鉄 山口博史様  時間の経過は早いもので、文化講演会からもう一週間が過ぎてしまいました。その節は、拙い講演にもかかわらず、たいへんお世話になりありがとうございました。また、お役に立てることがあれば幸いです。

 ☆ >この5月に神護寺と高山寺に行ったゼミメンバーのみなさんへ  あのとき、神護寺で見た「伝・源頼朝像」と「伝・平重盛像」が、現在、京都国立博物館の常設展示に出展中です。良い機会ですから、黒田日出男説などしっかり勉強した上で、じっくり観察に行くとよいと思います。

Re: 明日の史料講読会について。

岩田慎平
No.2682

岩田です。先週に引き続き、明日も3講時から出席致します。よろしくお願いします。

藤原忠実の宇治「西殿」跡現説の報告。

No.2679

 寸暇を利用して上記(宇治市街遺跡)の見学に行ってきました。現場にはちょうど京都市埋蔵文化財研究所の上村先生、花園大学の山田先生がお出でになっており、この両先生と発掘を担当されている歴史資料館の方々から、多くの御教示をいただきました。
 新聞報道で遺跡を東西に走っている道路が紹介されていますが、これは四条宮寛子の邸宅跡と見られている矢落遺跡まで通じており、宇治の東西道の中軸をなすものだったようです。幅4メートルほどで、両側に側溝が検出されていますが、現場を見るとそのさらに4メートルほど南側にも側溝状の溝があり、小生は春日祭使の行列がここを通ったことなどを考慮すると、この南側側溝が院政期に機能していたものではなかったかと判断いたしました。そうすると幅8メートルほどになり、これが文献史料に登場する「小河大路」にあたるものと思われます。
 また、邸第の敷地において、南に建物、その北側に池庭が設定される、南高・北低の宇治の地形についての発掘担当者からの御説明には、いろいろ示唆されるものがありました。巨椋池をはさんで、北に比叡山や愛宕山を臨むところに摂関家宇治別業は立地していたのです。
 宇治市北方の浄妙寺や松殿別業や富家殿、さらに流通拠点としての岡屋津・小巨倉津など、広く宇治市域に展開している摂関家関係の故地・遺跡にたいする研究を文献・考古双方から検討していく必要性を痛感いたしました。研究を進めれば、これはきっと面白いことになるでしょう。おそらく、平泉の研究にも大きな影響を与える結果になるものと思われます。
 宇治は美川先生の御指摘の通り、まさしく「権門都市」の呼称がぴったりの空間だと思います。近年めざましい成果をあげている考古学上の発見に学びつつ、もう一度『殿暦』や『台記』をめくっていく作業が文献史学研究者の当面の課題と言えると思います。
 ほかにも、いくつか注目すべき発見があったのですが、内緒にしておきたい点もあり、また別の機会に。
 現場には、この発掘調査のお手伝いをしている学生さん達の姿も見られましたが、その中に当ゼミにも何度か出席してくれたことのある京女2回生の渡辺貴代さんがおられて、うれしい限りでした。そういえば、渡辺さんは先の浄妙寺の現説のさいにも、受付を担当されていましたね。

 >美川先生 発掘担当の方に、美川先生が見学を希望されていることをお伝えしておきました。ぜひ、お出でいただきたいとのことです。現場は20日までなら、見学可能とのことです。

 >山田先生 上記の記述について補足・正すべき誤り等ございましたら、お書き込みをお願いいたします。

Re: 藤原忠実の宇治「西殿」跡現説の報告。

No.2680

野口先生、詳細なレポート、どうもありがとうございました。
奇しくも、今日、吉川弘文館から、歴史文化ライブラリーに、
『院政と中世都市京都』といった題名の本を書け、という依頼の手紙をいただいたところです。今回の宇治の問題や、先日行った亀山殿跡とか、最近の京都周辺の発掘も注目すべきものがあり、そういう成果をもりこんでみたいと考えております。
宇治の現場には、来週の月曜日あたりに行こうと思っております。担当は、宇治市歴史資料館の浜中さんでよろしかったでしょうか。生々しい発掘現場へ行くと、なんだか、今を生きているという感じがして、とてもわくわくします。

南河内史跡見学会

No.2670

参加される方にはメールも送付させていただきましたが、来る10月30日の南河内史跡見学会の御連絡です

移動手段は、諸事情を勘案し、マイクロバスとしました。
レンタカーという案もあったのですが、参加人数が多く、それに対して運転できる人が少なく、特定の人に負担がかかるのはよくないと考えたからです。

バスの予算は一人あたり一万円前後を予定しておりますが、職の有無等で傾斜をつけようと考えておりますので御理解下さい。

以下は、元木先生がバス会社に連絡されたスケジュール【案】です。

○団体名 南河内史跡見学会
○出発・帰着 大阪(天王寺付近)10時出発、大阪梅田付近18時解散
○コース
河内長野 天野山金剛寺(見学1時間)、
 〃    観心寺(見学40分)
富田林寺内町(見学30分、時間によっては割愛)
羽曳野 河内源氏墓所(見学30分)
 〃   誉田八幡・応神天皇陵
    (見学40分、八幡の宝物館が16時までなので、源氏墓所より先に見学か)
○参加13名
○昼食は、時間によっては車中でとるかもしれません。

見学会終了後の懇親会もお忘れなく御予定下さい。
(私のもとに欠席の御連絡は頂いておりませんので、皆様参加と理解しております)

以上は現時点での計画ですので変更するかもしれません。
詳しいことが分かり次第、御連絡させていただきます。

本見学会のバスの予約に関しては八井さんの御尽力を賜り、また元木先生には、公務多忙の中、立案・移動手段の選定・交渉等さまざまに御配慮頂きましたことを申し添えておきます。
一参加者として感謝申し上げる次第です。

>八井さん
いろいろと有難うございます。現在、元木先生からバス関連の連絡を転送して頂いているような状況ですので、先生の御多忙を考えまして、今後詳しいことがお分かりになったら同報メールで当方にも御連絡頂きますようお願い致します。上にアドレスを載せておりますので。

「権門都市」宇治・藤原忠実の「西殿」跡発見か。

No.2669

 宇治市妙楽(平等院の西方400メートル)のマンション建設予定地の発掘で、建物・庭園遺構などが検出された模様です。現地説明会は16日10:00~15:00とのこと。
 今は時間がないので、詳しくは京都新聞および朝日新聞の南京都版を御覧下さい。

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2004101400152&genre=M2&area=K20

http://mytown.asahi.com/kyoto/news01.asp?kiji=4236

Re: 「権門都市」宇治.

美川圭
No.2671

 野口先生。やはり出てきますね。宇治はこれからの中世都市研究、権門研究の一大中心になるという予感があるのですが、ますますおもしろそうです。そんなつもりで、私は拙著『白河法皇』の最後のところで、宇治の問題にちょっとだけ、触れたわけですが、うれしいです。
 ただ、明日は、私事で現地説明会に行けそうもありません。近いうちにぜひ現地を見に行きたいと思います。あわせて、現地周辺も歩く時間をとりたいと思います。
 それから拙稿「崇徳院生誕問題の歴史的背景」ご紹介いただき、光栄です。というよりも、掲載にあたっては野口先生のお世話になりました。野口先生の適切なアドバイスによって、歴史論文らしくなりました。ありがとうございました。
 結論には全く自信がないのですが、むしろ一仮説の提示ですので、どんどん反論がでたほうが、おもしろいと思っています。『古事談』成立論の立場から、国文学の研究者からも反論が出るといいな、と。

「権門都市・宇治」共同研究の提案。.

No.2672

 美川先生、いよいよ宇治が面白くなりそうですね。先年、庭園遺構の出た矢落遺跡や白河金色院遺跡は四条宮寛子(頼通の娘)関連ですが、このたびは「大殿」忠実が造営した「西殿」で、条坊状の街路もこれまでの発掘成果と一致するようです。しかし、今回の発掘調査はマンション建設が前提ですから、その辺り、いたたまれない気持ちも致しますが、せっかくの考古学の成果を眼前にして、文献史学のわれわれが黙視していては申し訳ないと思います。

 そこで提案ですが、「権門都市」主唱者の美川先生、人物叢書『藤原忠実』の著者である元木先生、さらに文献史学にも精通する都市考古学の第一人者たる山田先生、そして宇治在住の郷土史家・野口某を加えて、「権門都市・宇治」の共同研究というのは如何でしょうか。何をどうしようと言うわけでもありませんが、二年後くらいに『古代文化』で特輯号を組めればと思っています。如何でしょうか?

 『古代文化』の御高論は、政治における情報戦略という観点からも実に興味深いものがあります。御投稿に、あらためて、お礼を申しあげる次第です。国文学ジャンルからの御意見、たしかに楽しみです。思想史の立場からの御意見も、長村君あたりからうかがいたいものですね。

 現地説明会は、小生もなんとか時間をやりくりして出かけたいと思っています。明日お出かけの方は、よろしければご連絡下さい。

 なお、いずれ美川先生にお願いして、当ゼミで「美川先生と宇治を歩く会」など企画したいものです。

Re: 「権門都市」宇治

No.2675

宇治の現地説明会、残念ながら、行けそうもありません。
行かれた方は、ご報告をお願いします。
近々、時間をみつけて個人的に、現場に行ってこようと思うので、いつまで現場が見られるかとか、連絡先など(宇治市史料館でいいのか?)など、わかりましたら、お教え下さい。

宇治は、『源氏物語』とか、「頼通の平等院」にとどまる場所ではありません。院政期の宇治こそ最盛期であることは、間違いないのではないでしょうか。その割に、注目されてきませんでした。まったく自信がないのですが、宇治を舞台に少しまとまった仕事ができたらいいなあ、と思っています。

宇治には『平家物語』ミュージアムも欲しい。

No.2678

 そうです、そうです。そのうえさらに、宇治は源平合戦、承久の乱の古戦場です。東国武士の暴れまくった場であります。ひょっとすると、1000年ほど関東を本拠地にしていた小生の先祖達の一人や二人、それらの合戦でケガの一つも負っているかも知れません。ですから、小生には『源氏物語』より『平家物語』『承久記』がピンと来るのです。そこで、宇治市への(多額)納税者として「『平家物語』ミュージアム」の設置を提案したいと思います。

 >美川先生 昨日(15日)の『古代文化』編集委員会の席上で、この発掘調査の話が出たのですが、そのさい、古代学研究所の堀内先生は、この現場の担当は宇治市歴史資料館の浜中さんという方だと仰っておられました。

ありがとうございました

薗田美和
No.2668

昨晩は皆さんお疲れ様でした。
外で発表させて頂く機会はなかなか得難く、大変貴重な時間になりました。
荘園制の再編やら徳政やら、話があっちこっちに行ってわかりにくかったかもと反省しております。
(実を言うと、若い方の素朴な質問に答えるのがいちばんドキドキしました。的確にわかりやすく説明する能力が問われますので…)
貴重なコメントを下さった佐伯さん、準備等をして下さった山岡さんをはじめ、皆さんありがとうございました。
これからまた気を引き締めて頑張ります(*^_^*)

Re: ありがとうございました

No.2673

書き込みへのレスが遅くなりすみません。
薗田さん、報告お疲れ様&ありがとうございました。
最終バスの時刻の関係で途中でバタバタと退席せねばならずとても残念でしたが、卒論で荘園のことも視野にいれている私にとって薗田さんのご報告はとても刺激になりました。

またどこかで機会があればゆっくりお話できればとおもいます。
これからもよろしくお願いいたします。(^ー^)

御報告、 ありがとうございました。

No.2674

 >薗田さん 御報告、ありがとうございました。学部生どころか、不勉強な小生にも難解でした。お恥ずかしい限りです。次回は王権にリンクするようなお話にまで発展させてください。長村君が喜ぶでしょう。

 >永富さん 送信したメールが戻ってきてしまいますので、急ぎの用向きをケータイの方に転送してあります。よろしくご確認下さい。

Re: ありがとうございました

No.2676

薗田さん
おつかれさまでした。土地制度には不慣れな司会で、お役に立てたかどうか心もとないのですが、私自身は大変勉強させて頂きました。
自分も荘園のことなど勉強をしなければと思う今日この頃です。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。

Re: ありがとうございました

No.2677

野口先生>メール、返信しておきましたのでよろしくご確認くださいませ。さっきまでは私のhotmailのメールボックスの容量がいっぱいになっていたため送れなかったのだとおもいます。さっきメールを何件か削除して容量を空けましたのでもう大丈夫だとおもいます
なお、明日と明後日は泊まりで携帯が通じない場所にいる予定ですので何かあればPCのほうへお願いいたします。(メールチェックは夜になりますがすみません)