いよいよ明日はゼミ再開。

No.17938

 いよいよ明日はゼミ再開。久しぶりですし、新しいメンバーも加わるようなので、それは嬉しいのですが、何しろ夏休みの間に済ませるべき仕事が半分くらい片付いていないので、ちょっと焦燥に駆られています。
 夏休みが7月の初めから9月末まであった時代の感覚が残っているのがいけないのでしょう。ハードワークの時代になったものです。
  
 さて、明日のゼミは書評会ですので、メンバー以外にも公開致します(独断御免!)。関心のある方はふるって御参加下さい。
  なお、詳細は以下のとおり。

 日時:2014年9月11日(木)15:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 内容:書評「野口実 編『中世の人物 第二巻 治承~文治の内乱と鎌倉幕府の成立』」
 担当:大島佳代氏(奈良女子大学大学院生)
 ※ 本を買うのが負担だという方には、この本のゲラを棄てないで保管してありますので、差し上げることが出来ます。各論ごとでも構いません。遠慮無くお申し出下さい。 

 ゼミの始まる前に、軍記・語り物研究会大会でお世話になった、鶴見大学の平藤先生がお見えになります。御挨拶したいメンバーは早めに当方の研究室にお越し下さい。

那須与一伝承館で「軍記・語り物」の大会を開いたらどうでしょう?

No.17816

 那須与一伝承館(栃木県大田原市)での講演を終え、たくさんのお土産を頂いて(手提げ袋のなかだけではなく、頭の中にも)昨夜帰ってまいりました。大変なおもてなしを頂き、恐縮するばかりでした。

 とくに学芸員の前川辰徳さんには公用車のプリウスを駆って各所を御案内頂きましたが、移動中の車内や食事の際に、いろいろと情報交換をさせて頂くことが出来て幸いでした。先の茨城大学のシンポを機に、長村君や岩田君とも懇意な方ですから、話も通じやすく、ノンアルコールビールを酌み交わしながら、「噂話」におおいに盛り上がるところもございました。

 それにつけても、この旅行は、那須地域について私自身あまりに認識不足であったことを思い知らされる機会になりました。武士論を深める上からも、古代~中世における下野の宇都宮以北の地域のあり方について、あらためて考え直す必要を痛感した次第です。源頼朝が那須で巻狩を行った背景も、そんなところから考え直してみる余地がありそうです。

 さらに那須与一の評価についても、歴史学の側面からから実証的なアプローチを加えることと共に、「伝承」そのものについて文学・美術史・仏教史などからの検討が期待されるように思いました(伝承館が開館する以前に、別の博物館で開かれた那須氏にかんする企画展の際に出された図録などを見ると、那須与一の評価や軍記文学にたいする理解にいくつか問題が見いだされます)。

 ちょうど先日、「軍記・語り物研究会」の大会で講演の機会を頂いたのですが、その会場として、この那須与一伝承館は絶好の存在なのではないかと思いました。
 那須氏関連を始め、九尾の狐の殺生石、北畠顕家の軍勢の移動ルート、さらには松尾芭蕉の『奥の細道』に因む遺跡などもたくさんのこっています。近くに国文学の専攻課程を持つ大学がないのがネックになるかも知れませんが、伝承館の積極的な御協力を得られれば、実現は容易なことだと思います。
 大会は、毎年夏休みに開催されますが、那須は御用邸もある有名な避暑地ですし、東京からもそれほど遠くはなく、近くには塩原温泉もあり、全国からたくさんの研究者が集まっても、それに対応することは十分可能ですし、むしろ日頃の骨休みの機会にもなるのではないでしょうか。
 そんなことを思いつきましたので、「軍記・語り物研究会}事務局担当の先生にお目にかかる機会があったら(実は近々、ある予定です)一会員の立場から、提案させて頂こうと考えております。

 私がまだ、研究者として現役である間に実現するならば、僭越ながら積極的に協力させて頂く所存です。

比企氏の乱・二俣川の合戦・平賀朝雅の死

No.17681

 昨日は『台記』研究会で山本さんの発表を聴きました。頼家~実朝政権期の実相がかなり明確になってきたように思います。それにしても通説というのは案外いい加減なものであるということを実感。エライ先生の説にず~っと寄りかかって来すぎました。その旧説に与していた私の拙い研究成果の一部からもガラガラと崩れていく音が聞こえて参ります。
 山本さんの研究が公にされたら、ミネルヴァ日本評伝選の『北条時政』が書きやすくなります。

 月半ば締切の原稿の件。一応、主な先行研究などの資料は揃えることが出来ました。しかし、一から勉強しなければならないところが多すぎて困っています。言いたいことは殆ど固まっているのですが、それを如何に説明していくか、もう少し頭がクリヤーならよいのですけれども。

 ところで、Facebookの方では既に紹介したのですが、古代学協会の古代学講座で、後期から同じ土曜日の午後に連続して『小右記』と『吾妻鏡』の講読の講座が開かれることになりました。これなら、遠方の方も上洛のコストが見合うと思います。
                         ↓ 
   http://kodaigaku.org/study/koza-koenkai/kodaigaku-koza/2014/kouki/2014annai-kouki.html

 これは院生クラスの方にもお薦めします。特に関東のみなさんには視点が変わって面白いでしょう。

 しかし、午後は眠くて困りますね。論文は書けませんが、掲示板にはまだ・・・、・・・ZZZ。 

Septemberにおける感傷と干渉について。

No.17601

 ついにSeptember。若い方たちには感傷の季節ですね。そういえば、竹内まりやの歌にもありました。「若者には感傷の季節なら、そこに干渉するのが老人のつとめ」、などと申しまして。・・・老人はつまらない。

 こんな事を書いていますが、目下、猛烈に忙しい。そんな中、もはや論評は差し控えますが、今年も、お前の論文を引用した研究を資料を示して報告しろなどというお達しが参りました。
 そして、論文執筆が時間的・体力的になかなか進まなくてイライラしているときには、必ず<急ぎの>校正というのも届きます。
 以前は、こういう状態から解放されたら、どんなによいだろうかと考えていましたが、最近は先が短くなってきましたので、「どこからも仕事を急かされることがなくなったら、こんなに寂しいことはないだろう」などと考えるようになりました。
 
 6日の栃木県大田原市での講演レジュメは、なんとか締切期日に間に合うように発送することが出来ました。しかし、残念なのは、当日の午前と翌日、せっかく学芸員の前川先生が貴重な時間を割いて周辺の史跡を御案内下さるというのに、これを私一人しか享受できないことです。もし、関東在住の方でも7日の午前にでも那須塩原辺りまで来られるという方がおられましたら、一人二人なら同行をお願いできると思いますので、お知らせ下さい。
しかし肝腎の講演、どのようにお話を進めるべきか。臨機応変と云う事になると思いますが。

 ところで、来年度の当研究所の公開講座の講師の先生の選定ですが、先般お知らせしたように、先日の「軍記語り物研究会」大会の会場にお見えの東京の私大の先生にお願いをし、幸いにもその場で御快諾をいただけましたので、昨日書類を送らせて頂きました。田中(丸山)さんから強いお申し出をいただいたのですが、もう一人の講師に内定している長村祥知君(もとい、先生)はもとより、岩田・山本両師範代の御賛同もいただきました。また、岩田君によると、以前、江波さん(元『紫苑』編集長、現在、出版社に勤務)も、この先生にお願いする事を強く希望していたとのこと。嬉しい限りです。
 来年は、私の担当する公開講座は最終回となりますので、みなさん宜しくお願い申し上げます。

ご講演ありがとうございました

No.17405

野口先生

平藤です。
このたびはお忙しい中ご講演をいただき、
誠にありがとうございました。
三日目の文学踏査も晴天に恵まれ、
お陰様で無事に大会を終了することができました。

野口先生には河内源氏全体について、大変わかりやすく、
かつ最新の研究成果と先生のご見解もお話しいただき、
一般の方々にも軍記研究者にも
十二分に満足していただけたことと確信しております。
充実した会だったとのお声もあちこちからいただいており、
運営側としては嬉しい限りです。

当初から行き届かぬことばかりで
野口先生にはたくさんのご迷惑をお掛けしましたが、
終始ご配慮を賜り、温かいお言葉をかけて下さり、
資料もずいぶんと早くお送り下さって、
かえってお助けいただきながら当日を迎えることとなりました。
いつも直前にドタバタして
他人様にご迷惑をお掛けする我が身を恥じ入るばかりでした。

元木先生にもお忙しい中おいでいただき、
大変有り難いことでした。
お言葉を賜りましたおかげで、より刺激的な会となりました。
この場をお借りして厚く御礼申し上げます。
野口先生のご講演中、近くにいた私は
元木先生が時折つぶやかれるフォローのお言葉も
同時に拝聴できて、なんと贅沢なことよと悦に入っておりました。
両先生とも中世史の最先端研究者でいらっしゃりながら、
お互いに敬意をお持ちになりつつ、疑問点はご指摘し合われていて、
誠に僭越な物言いで恐縮ですが、とても素敵なご関係だと思っております。
懇親会でもいろいろとお話しさせていただくことができ、
ご講演の他にも学ばせていただくことばかりでした。

後から伺ったところ、藪本さんは大変な時だったそうで、
そんな中充実したご発表をしていただき、
誠にありがとうございます。
田中さん、長村さんにもお目にかかれてとても嬉しく思いました。
長村さんの司会も素晴らしかったです。
岩田さん、山本さんもお越しいただいたそうで、
ご挨拶が叶わず残念なことでした。大変失礼致しました。
改めて振り返りますと、今回は野口先生だけでなく、
ゼミの方々にも随所で大いに助けていただいていたのですね。
近日中に改めてご挨拶に伺いますが、まずはこの場にて御礼申し上げます。
野口先生、元木先生、ゼミの皆様、
何から何まで本当にありがとうございました。

 こちらこそ、ありがとうございました。

No.17436

平藤先生> 御丁寧なメッセージをいただき恐縮しています。
 三日目の現地見学も無事に終了の由、大慶に存じます。源氏三代の名将たちも、さぞかし喜んだことと思います。

 初日の私の講演は準備不足で、また些か緊張感に欠けるところもあり、御期待にお応えできなかったのではないかと存じます。しかし、このところ自分に過剰な期待をすることは辞めにしておりますので、御容赦頂きたく存じます。

 会場に元木先生がお出で下さいましたので、安心して勝手な話をさせて頂いたという面もあったようです。
 ちなみに歴史学の世界では、文学のそれよりも、研究上の意見の相違についてはシビアに意見交換をする側面があるのかも知れません。文学の学会では、よく教え子の発表に異論を唱えた研究者に、発表者の師が反論を加えるというような光景に出くわすのですが、歴史の方の師弟関係は大方極めてドライ(薄情?─冗談)です。

 研究発表では、藪本君のお話がきわめて刺激的でした。彼が当方のゼミの講読会に参加してくれて、岩田君・長村君・山本さんら、歴史ジャンルの若手と親交を結んだ成果が反映されているとすれば、こんなに嬉しいことはございません。僭越な物言いですが、古典文学の研究には、やはり前提として歴史理解が必要なのだと思います。

 それに致しましても、この大会の実施に際しての源先生と平藤先生の御尽力にはまったく頭が下がりました。さまざまな点での御配慮、すべてに誠意を感じられて、かくあるべしと感じ入った次第です。
 当方のゼミメンバー関係者ともども、今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。
編集:2014/08/29(Fri) 16:38

お邪魔いたしました、付、ゼミのご案内

No.17495

>平藤先生 事前の詳細なご案内加えて、終了後にもご丁寧な書き込みをしていただき、ありがとうございます。
 当日は会場に伺いながら、きちんとご挨拶も申し上げぬまま失礼致しました。

 藪本さんからは折に触れて「『吾妻鏡』を文学の視点から分析する」ことについてお話しを伺うこともありましたが、それらが具体的かつ衝撃的な成果として私たちの前に現れてきたことに対して、感動を覚えた次第です。鎌倉幕府という権力のあり方を考える上でも、『吾妻鏡』の史料的性格についてより精緻な批判が必要であることを痛感致しました。

 そんな藪本さんもメンバーだった(※いまでもメンバーだと思っています)『吾妻鏡』の講読会は、相変わらずゆるゆると開催しております。基礎的な史料読解はもちろん、それなりに掘り下げた議論も展開されることがあります。
 新規メンバー随時募集中ですので、まずは見学からでも、どうぞご自由にご参加ください。京都女子大の方限定ではありませんよ。

 講読会の再開は9月11日(木)ですが、その日は番外編として大島さんに『中世の人物 第二巻 治承~文治の内乱と鎌倉幕府の成立』(野口実 編、清文堂出版、2014年)の書評をしていただく予定です。しっかり熟読しておきたいと思います。

 日時:2014年9月11日(木)15:00~(予定)

 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 内容:書評「野口実 編『中世の人物 第二巻 治承~文治の内乱と鎌倉幕府の成立』」
 担当:大島佳代氏(奈良女子大学)

 ※『吾妻鏡』のほうももう少し“実朝将軍期初期の振り返り”を続けていきますが、それが終わった後の範囲は以下の通りです。
  “振り返り”にもようやく終わりが見えてきたような。

     承元四年(1210)正月一日、二月五日・十日・二十一日、三月十四日・二十二日、四月九日・十九日、五月六日・十一日・十四日・二十一日・二十五日、六月三日・十二日・十三日・二十日、七月八日・二十日、八月九日・十二日・十六日、九月十一日・十四日・三十日、十月十二日・十三日・十五日、十一月二十二日・二十三日・二十四日、十二月五日・二十一日の各条
     承元五年(建暦元年、1211)正月十日、閏正月九日、二月二十二日、三月十九日、四月二日・十三日・二十九日、五月四日・十日・十九日、六月七日・二十一日・二十六日、七月四日・十一日、九月十二日・十五日・二十二日、十月十三日・十九日・二十日・二十二日、十一月二日・三日・四日・二十日、十二月一日・十日・十七日・二十日・二十七日の各条

「軍記・語り物研究会大会」 参加報告

No.17377

 24日は藤井寺の四天王寺大学で開かれた軍記語り物・研究会の大会で「列島をかける河内源氏」というテーマで講演をさせていただき、その晩は梅田のホテルに泊まって、25日も研究発表を聴いてまいりました。
 講演の方は、このところいろいろな仕事が錯綜していたので、準備不足だったこと、しばらく授業から遠ざかっていて調子が出なかったり、冒頭のウケ狙いの話があまり上手く出来なかったことなどが重なって、いつものように不本意なものになりました。
 しかし、一番困ったのは喉に痰が絡んで声が出にくくなってしまったことで、これは予定外。老化のゆえのことだと思いますので、これからはもっとマイクを上手に活用して低い声でゆっくりと話をしなければならないと反省しております。

 講演から懇親会の一・二次会、さらに宿泊先の選定まで元木泰雄先生にはたいへん助けて頂きました。河内源氏について、どんな質問が出たところで、会場に元木先生がお出で下されば最高レベルの対応をお願いできるわけですから、心強いこと限り無しでした。また、元木先生には、近鉄大阪線や地下鉄御堂筋線の車内で、大阪の私鉄や藤井寺球場に関する様々なお話をうかがうことが出来、またしてもその博覧強記ぶりに敬服させさせられた次第でした。さらに、25日に昼食を何処で摂ろうかと、駅前を歩き回った際、元木先生のお選びになった小さなイタリア料理のお店のランチの美味しかったことも特筆銘記しておかなければならないと思います。

 なお、会場には24日と25日の藪本勝治君の研究発表の時に岩田慎平・山本みなみ両師範代がお見えになっていたのを始め、両日(懇親会も)にわたって長村君(藪本君の発表の司会をつとめられました)、また24日のみでしたが、越後国からはるばる「田中さん」こと丸山裕紀さんがお出でになっておられました。
 24日には、神戸大学の樋口大祐先生がお出で下さり、御門下の院生お二人(中桐さん・斉賀さん)を御紹介下さりました。このお二人にはぜひ、当方のゼミ史料講読会などに御参加頂ければと思っております。岩田君・山本さんにお引き合わせ致しましたが、連絡など上手くとれているでしょうか?
 それから更に、来年度の公開講座の講師について、田中さんから、この研究会に御出席になられている東京の私大の先生を是非にという御推薦を頂きました。そこで、ちょうど翌日の25日の研究発表の休憩時間に、すでに決まっているもうお一方の講師とその先生が近くにおられたのを幸いに、ここぞとばかりに御依頼を申し上げたところ、こころよく内諾を頂くことが出来ましたので御報告申し上げます。この件については、次回のゼミの時間に御報告申し上げます。

 さて、肝腎の研究報告の感想ですが、なにしろ圧倒的にインパクトのあったのは藪本君の御報告「『吾妻鏡』の合戦叙述─奥州合戦を中心に─」でした。これは、今日の日本中世史の学界で定説化している川合康氏による所説を克服する内容をもつもので、国文学よりも日本中世史研究に与える衝撃の方が大きいのではないかと思われます。川合氏は奥州合戦を頼朝による政治と捉えたのですが、藪本君はそれを『吾妻鏡』編纂者の構想の中に位置づけなおしたのです。今後、『平家物語』史観ならぬ『吾妻鏡』史観への取り組みを、文学の若い方々に期待したいところです。
 それから、懇親会の席で小さいお子さんが三人おられるというお話をうかがった若い女性研究者の御報告も鎌倉幕府成立期における文士の人脈を考える上で、実に興味深い内容でした。子育て・家事・研究のすべてを熟しながらの日常は大変だと思いますが、頑張って頂きたいと思いました。こういう方の存在を知ると、いろいろ理由をつけて自分の希望する途を放棄して、たった一度しかない人生を無駄にしてしまうよりも、なんとか頑張ってみるべきだと若い人たちにお説教をしたくなってしまいます。
 楽しみにしていた野中哲照先生の『陸奥話記」に関する御発表は大変熱の入ったもので、精力的で緻密な作業を前提とした書誌学的な御説明には大いに蒙を啓かれました。ただ、考察の部分では歴史学の立場からするといくつか違和感がありましたので、非礼を省みずに、これは率直に指摘させて頂きました。その点を再考して頂ければ、歴史学の側からの評価に於いても前九年・後三年合戦に関する従来の理解を克服する研究成果が導かれるのではないかと、大いに期待するところがございました。

 というわけで、この二日間はなかなか充実したものがございました。ただ、今になって明らかに致しますが、私は例によって胃腸の不調が続き、懇親会の一次会の時など、いささかこまった状態に陥っておりました。席の周囲が兵藤裕己先生や源健一郎先生など親しい方たちばかりだったので、それで救われましたが、まぁ、普段は、身体の具合や腹の中で考えていることが、そのまま外面に出ている単純明快なオヤジである野口でさえも、内と外で相違する場合のあることを御理解頂ければ幸いであります。

 最後になりますが、この大会にお招き下さり、大変・大変お世話になった源健一郎先生と平藤幸先生に、心からの御礼を申し上げます。
 平藤さん、御上洛をお待ち申し上げております。

  明日は明日の風が吹くのでしょうが・・・。

No.17264

 Facebookにも書きましたが、昨日は河内源氏のお墓や叡福寺の見学に行って参りました。想像していたのとはまったく異なる空間で、行っておいてよかったと思っています。 いろいろインスピレーションも湧きました。
 しかし、体力の衰えを痛感させられたり、カーナビのインチキ案内に帰宅の道を惑わされたのはマイナスでした。前者は仕方ないにせよ、カーナビは時々、こういう結果をもたらすので本当に困ります(たいまい16万円もしたというのに!)。
 しかし、やはり出かける前にキチンと全行程を最新の地図によって把握し、カーナビの不審な案内には乗らないように用心することが肝要であると思います。
 考えて見れば、これは今日のIT社会の陥穽を避けるためにも同じことが言えるわけで、子どもたちにタブレット端末を持たせて、それで紙の教科書は不要であるなどという発想の危険性を示していると思います。

 それから、本日、吉川弘文館のPR誌『本郷』が届きました。これに短文ながら連載している『中世武士の肖像』に「毛利氏」について書きましたので、御笑覧頂ければ幸いです。
 ちなみに、この冊子の冒頭に、『歴史手帳』が60年ぶりに全面改定されるという記事(宣伝)が載っていました。中味にはいろいろ工夫が加えられるようですが、困ったのは判型を文庫本の大きさにするということです。それでは、上着の胸の内ポケットに入らなくなるでしょう。学部生の時代から使い続けてきたこの手帳とも、今年でお別れという事になるのかも知れません。残念な話です。
 あらゆる局面で、世の中は私の欲する方向と逆に動いて行くようです。

坂東武士に関する著作拝受。

No.17138

 先日は、藤本正行先生から鎌倉の下馬周辺遺跡で発掘された大鎧に関する資料の提供を頂きました。制作年代は鎌倉中期まで遡る由。また、この大鎧は江戸東京博物館の「日本発掘」展で9月15日まで公開されているとのことです。藤本先生にはいつもお教えを頂いており、深謝あるばかりです。

 今日は豊前の宇都宮氏に関する原稿を脱稿。短いものですが、だいぶ関係論文を読みましたので、けっこう勉強になりました。挙げ句、石井進先生に異論を唱えることになりました。
 そんな中、坂東武士に関係する御著書・御高論を頂きました。

 ☆ 茨城大学の高橋修先生より、御新著『熊谷直実 中世武士の生き方』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 今年の2月、大雪に埋もれた熊谷の街を歩き回ったことが思い出されました。この本を手に、また訪れる機会があればと思います。
 高橋先生に、あつくお礼を申し上げます。

 ☆ 県立鎌倉高校の久保田和彦先生より、御高論「北条時房と重時-六波羅探題から連署へ」(平雅行編『中世の人物 京・鎌倉の時代編 第三巻 公武権力の変容と仏教界』清文堂出版)・「武蔵武士の群像」(関幸彦編『武蔵武士団』吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 久保田先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 灘中・高校の藪本勝治先生より、御高論「『吾妻鏡』における〈歴史〉構築の一方法-野木宮合戦記事を中心に-」(『国語と国文学』91-9)を御恵送頂きました。
 これは、『吾妻鏡』を史料として研究を進めている方、とくに武士論を専攻している方にとっては必読。おおいに学ぶべきものがあります。
 藪本先生にあつく御礼を申し上げます。

 那須方面の見学先をお知らせしておきます。

No.17101

 9月6日(土)の午後に「那須与一伝承館」で「下野の武士団と京都─寒河尼の係累を中心に─」というテーマで講演をさせて頂きますが、その前後、こんなにたくさんの史跡を見学させて頂くことになりました。
  9月6日(土)の午前
  福原八幡宮(江戸期の那須氏の氏神)・本殿(市指定)→金剛寿院(那須氏の祈願寺)山門・本堂(江戸前期の建築)→玄性寺(那須氏の菩提寺、那須与一の墓所)→江戸期の那須氏の陣屋跡→那須氏墓所(市指定)→那須神社(金丸八幡宮、中世の那須氏の氏神) 境内(国名勝)・手水舟(国重文附)・石燈籠(国重文附)・楼門(国重文)・本殿(国重文)

 9月7日(日)
  光厳寺(中世の那須氏の菩提寺) 仁王像(市指定)・銅鐘(市指定)→高館跡(那須氏の拠点・北畠顕家が上洛した際に那須氏が籠城)→白旗城跡(那須氏の拠点・大関氏の居城)→義経塚→新善光寺跡(那須氏の菩提寺?)・余瀬の集落(鎌倉街道の集落?)→鹿子畑翠桃墓地(市指定) 「正安元年十月日」銘板碑→築地館跡(中世前期の那須氏の本拠)→那須国造碑(国宝)→下侍塚古墳・上侍塚古墳(徳川光圀による発掘調査が行われた古墳・日本考古学発祥の地)→侍塚古墳(国記念物・史跡)→那須官衙跡(那須郡衙跡) 那須官衙跡(国史跡)→御霊神社(那須与一を祀る社)→那須神田城(中世前期の那須氏本拠?) 那須神田城(国史跡)

盛りだくさんです。地元に通じた研究者が自動車で御案内下さるからこそ可能。
ありがたいことです。しかし、写真を撮っても、何処だったか忘れてしまいそう。
とはいえ、お天気次第でどうなるか分かりませんが・・・。

送り火の後に来た夏の日に。

No.17056

 大学の夏季休日の期間が終わりましたので、今日は研究室で「お仕事」です。
 閑散とした大学の様子はFacebookで。
 研究室旅行のみなさんには、好天でよかったと思います。普段の心がけがよいのか、今回は「雨男」もしくは「雨女」の参加がなかったのか? 
 いずれにしても、充実したご旅行と道中のご無事を祈念いたします。

 ☆ 立教大学の佐藤雄基先生より、御高論「中世の法と裁判」(『岩波講座日本歴史』第7巻)・「朝河貫一と入来文書の邂逅-大正期の地域と歴史をめぐる環境-」(河西英通ほか編『グローバル化のなかの日本史像-「長期の一九世紀」を生きた地域』岩田書院)・「大江広元と三善康信(善信)~京・鎌倉をむすぶ文士のつながり~」(平雅行編『中世の人物 京・鎌倉の時代編 第三巻 公武権力の変容と仏教界』清文堂出版)・「書評 富田正弘著『中世公家政治文書論』」(『日本史研究』621)・「『薩藩旧記雑録』の「譜」とその周辺-島津義久・天正年中日々記・古今伝授-」(『東京大学日本史研究室紀要 別冊「中世政治社会論叢」』)を御恵送頂きました。
 佐藤先生にあつく御礼を申し上げます。