ちょっとトロい子、岸俊男先生のまねをする
No.1600
なめかわさん。ひさしぶりですね。
R大での史料購読が、
少しは役にたったと聞いてほっとしています。
先日、ある先生の退職パーテイで会った後輩に、R大の助手のあいだで、私の史料購読のことが語りぐさになっていると聞きました。なんと40分黙っていたことがある、というのですが、それは誇張です。黙っていたにしても、たぶん10分ぐらいでしょう。私は無口なので、べつに黙っているのは苦になりません。ただ40分となると授業放棄に近いですしねえ。
でも、何も準備してこずに、間違えりゃ先生が教えてくれる、という安易な態度の学生には、きつかったでしょうね。難しい解釈のときはわりとすぐ教えていたと思いますが、ちょっと調べて、あるいは考えればわかるところを、なんにもしていないときには、こちらも少々むきになって、ねばった覚えがあります。
あの、簡単に教えてやるもんか、という方式は、
昔、いまは亡き岸俊男先生がやられていたと聞いたことがあります。私が習った頃は、もう晩年なので、そんなやりかたはしたなかったと思いますが、昔の岸先生はこわかった、という先輩たちの話のなかに、あの方式があったので、R大での授業で使ってみたのです。
いま、あつかっている原稿では、あつかましくも、ちょうど奈良時代のこと、書いています。古代の太上天皇のことですね。それで、岸先生の論文を参照しているのですが、掛け値なしにその凄さを実感しています。専門の時期がちがうので、先生の論文は、さらっとしか読んだことがなかったのですが、今回は熟読。ぜんぶそのまま引用するほうがいいのではないか、と、まるでできの悪い大学生の気分になっています。ほとんど、自分で加えることなどないのです。いくら専門の時代が違うからと行って、これはあんまりだな。
ちなみに
「元明太上天皇の崩御」と「光明皇后の史的意義」という論文です。
そういう先生の授業のやりかたをまねした浅薄な自分に、いまおおいに恥じているところです。でもかなわないものは、どうしようもないし。
R大での史料購読が、
少しは役にたったと聞いてほっとしています。
先日、ある先生の退職パーテイで会った後輩に、R大の助手のあいだで、私の史料購読のことが語りぐさになっていると聞きました。なんと40分黙っていたことがある、というのですが、それは誇張です。黙っていたにしても、たぶん10分ぐらいでしょう。私は無口なので、べつに黙っているのは苦になりません。ただ40分となると授業放棄に近いですしねえ。
でも、何も準備してこずに、間違えりゃ先生が教えてくれる、という安易な態度の学生には、きつかったでしょうね。難しい解釈のときはわりとすぐ教えていたと思いますが、ちょっと調べて、あるいは考えればわかるところを、なんにもしていないときには、こちらも少々むきになって、ねばった覚えがあります。
あの、簡単に教えてやるもんか、という方式は、
昔、いまは亡き岸俊男先生がやられていたと聞いたことがあります。私が習った頃は、もう晩年なので、そんなやりかたはしたなかったと思いますが、昔の岸先生はこわかった、という先輩たちの話のなかに、あの方式があったので、R大での授業で使ってみたのです。
いま、あつかっている原稿では、あつかましくも、ちょうど奈良時代のこと、書いています。古代の太上天皇のことですね。それで、岸先生の論文を参照しているのですが、掛け値なしにその凄さを実感しています。専門の時期がちがうので、先生の論文は、さらっとしか読んだことがなかったのですが、今回は熟読。ぜんぶそのまま引用するほうがいいのではないか、と、まるでできの悪い大学生の気分になっています。ほとんど、自分で加えることなどないのです。いくら専門の時代が違うからと行って、これはあんまりだな。
ちなみに
「元明太上天皇の崩御」と「光明皇后の史的意義」という論文です。
そういう先生の授業のやりかたをまねした浅薄な自分に、いまおおいに恥じているところです。でもかなわないものは、どうしようもないし。