とはいえ、全体の行程は、
>>No.569の元木先生の報告が要を得ていますので、私にとって印象的だったシーンに重点を置いてご報告申し上げます。先生方に失礼な表現があろうかも知れませんが、一笑に付していただきたく思います。
16日。
私は京都駅8時23分発の鈍行列車で高松着12時30分。その日のお昼は駅構内の立ち食いうどん屋で月見を食べました。いきなりうどんです。
改札を出ると、半そで姿の近藤先生にお会いしました。(以前11月にお会いした時も半そでだったような・・)
佐伯先生から「屋島」・「八島」の御論文を頂戴して感動。(謡曲にも言及されていて、部活で狂言をしている身として、夜にホテルで興味深く拝読させて頂きました)
駅を出て、石川さんにお会いしました。やさしそうな女性で、ジムを経営されているそうです。
その後、石川さんに車を運転して頂き屋島見学。
大雑把に言うと、長崎の鼻→古戦場一帯→屋島寺→六万寺→志度寺と回りました。
古戦場のうち、「菊王丸の墓」での一光景をご紹介しましょう。
その墓域は小学校の隣にひっそりと佇んでおり、我々が訪れた際には小学生の下校姿がちらほら見られました。そこへ8人乗りのワンボックスカーが横付けし、前のドアから体格の良い半そでの男が、後ろのドアからも体格の良い男(某国立大学教授)がぬっと現れたわけです。ちなみに、八人乗りの車に九人乗るため、後部座席(三人仕様)に旅行参加者の中で若い四人(学生・院生×2・カリスマ編集者)が詰め込まれているのです。小学生、びびってましたね。はたから見ても、小学生を拉致しかねない不審者集団だったでしょうし(笑)
通報される事は無く、佐藤継信墓等付近の史跡を回って、屋島寺に行きました。宝物館で近藤先生の解説を伺い、その後、寺のある山の裏側(談古嶺)から古戦場一帯が一望できました。
志度寺には、藤原房前にまつわる宝珠の伝承が縁起として伝わっていました。謡曲「海女」というのがあり、志度寺の縁起と大枠は似ていながら、謡曲のほうは藤原氏がひどいのですが、寺の解説板では謡曲の事には一切触れられていませんでした。
そして時間が無くて、残念ながら、野口先生やゼミの先輩方からお勧めしていただいた平家物語歴史館には行けませんでした。(もしかして、「破門」・「野口ゼミで村八分」ですか??)
夕食は素人っぽい名前の店に行きました。
待たされること40分ほど。美味しいお刺身が来ました。でも天麩羅が来るのに、さらに一時間近く待たされ、あまつさえ煮付けに至っては、その時点でまだ作り始めてもいなかったのです。
味はほんとに美味しかったのですが、あれはちょっと・・・総大将や副将軍から「私的制裁」が加えられても仕方有りませんよね(誰も何もしていませんよ。念のため)
ちなみに、四人がけテーブル二つで座ったのですが、私のついたテーブルには近藤先生と横沢・吉田両先輩。近藤先生の「遠慮すんな」という言葉もあり、あれだけ待った料理が10分足らずで無くなりました(笑)。支払いの際には先生方のご好意に甘えさせていただきました。有難うございます。
次に行った店では、常識的な時間差で料理が来ました。
ホテルの朝食はバイキングでした。なんと、うどんがあったのです。さすが讃岐。おいしかったですよ。