空を越えて~♪

長村祥知
No.1467

「鉄腕アトムの軌跡展~空想科学からロボット文化へ1900-200X」
於、京都文化博物館

昨日、野口先生から招待状を譲って頂いて、ゼミの方と見学してきました。
展示内容は、確かにアトムが一番多いのですが、むしろ主題と副題を逆にしたほうが内実に適しているのではないかな、という印象をもちました。
いろいろなロボットのことがわかり、おもしろかったです。
残念だったのが照明。
複数名で一つの展示物を観た場合、影がかかってしまうところがあったのです。
平日の午前中ということもあり、来館者が少なかったので、一人で観る場合は大丈夫と確認できたのですが、まさか、常に館内が閑散としているという想定で博物館が展示計画を建てているということは無いと思うのですが・・・

自分はこれまで前近代の展示や史跡ばかり観ていたので、なかなか興味深く、珍しい経験となりました。
また「社会史」的にみれば、近現代の民衆文化の一側面を示している(?)と言えるのかもしれません。
野口先生ありがとうございました。

Re: 空を越えて~♪

山岡 瞳
No.1471

初めての書き込みで、緊張しています。パソコン音痴の私も進歩したなぁという気持ちです。

さて長村さん昨日は大変お世話になりました。そして野口先生チケットを譲ってくださってありがとうございます。

京都文化博物館に行ったことがないみたいなことを言っていましたが、あとで地図で確認してみると行ったことがありました。去年の夏にあった安倍晴明展に行っていました。

展示の内容については昭和初期から平成までのロボットの歴史が紹介されていました。そしてロボットアニメの歴史も…。長村さんの指摘通り、照明が問題でした。文字板の正面に一人で立てば問題はないのですが、複数名で見ると自分以外の人の影で見えにくくなるという状況でした。あと見る順番を間違えやすい展示の仕方でした。

そのあと新風館に行きました。某さんはこの新風館の存在を知らなかったらしいです。そして私は約十年ぶりにお子様ランチを食べました。お子様ランチにもかかわらず、かなりの量でした。その店にはロコモコというなぞのメニューがあります。

初めての書き込みでしたがこんなかんじでしょうか?それでは。


博物館の照明

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1472

長村祥知さん、こんばんは。私はまだ「鉄腕アトム展」、見に行っていません。近く行きたいと思います。

>>残念だったのが照明。
>>複数名で一つの展示物を観た場合、影がかかってしまうところがあったのです。

私の責任ではないですが、元・博物館学芸員としては、痛いところをつかれたような気がします。
博物館の展示で何が難しいといっても、照明ほど難しいものはありません。
だいたい、二日ほどかけて展示物を並べると、学芸員は最後の数時間は照明だけにかかりきりになります。高い台車に乗って、照明をひとつひとつ調整していきます。
しかし、影の点は本当に難しい。照明の配線は固定されているのにもかかわらず、展示物は千差万別でしかもどこに配置されているかわからない。
結局、あちらたてればこちらたたず、といったことになることが多く、最大公約数的なあてかたになることも少なくありません。
かといって、影をほとんどなくすように四方八方からスポットライトをあてると、光量がきつすぎて展示物に悪影響を与えることもあります。

学芸員時代の苦労を思い出した山田でした。

ロボット...

No.1473

山岡さん。"祝"初書き込みおめでとうございます☆
ロボットの歴史があったのですか?アニメの話がメインだと思っていたのですが...これは行かないとだめですね(^_^;

この前の講読会にスーツで参上したのは、お誕生日の写真を写真屋で撮っていたからなんですが、2枚分を取るための時間は2時間。ほとんどライティングの設定の時間になっていました。結局、人間は光が無いと物を見る事ができないので・・・、だから余計に難しいのかもしれませんね。

ところで、某さんって誰ですか????
僕が文博に行くときは、建物の南側にある喫茶店によく入ります。

歴史展示は?

No.1474

 長村君、御報告ありがとうございました。山岡さんも、ついに初書き込み。せっかく、BBSがあるのですから、使わない手はありません。清盛の対宋貿易について関心をもったという山岡さん、時間があったら図書館で森克己『日宋貿易の研究』という本を探してみてください。もし、伊予市の図書館になくても京女にはあります。
 京都文化博物館では、常設展示の方はどうでしたか?長村君が懇切に案内をしてくれたとのことですが、山内さん共々、ご感想をうかがいたいところです。もう、リニューアルの時期なのですが。
 一見、何も考えていないような展示でも、学芸員は結構苦労しているのです。いろいろな制約があって、学芸員の思い通りに出来ないのも、博物館の重大な問題点の一つです。
 それはともかく、伊勢旅行のとき、一部で「ロクハラタンダイ」の語呂合わせの話で盛り上がりましたが、今日、テレビで時代劇映画の予告編を観ていたら、往年の剣劇スターが劇中で「京都女子大」と言っている。時代劇になんで「京都女子大」が出てくるのか、ついに小生も老化が耳まで及んだのか、と思ったのですが、答えは「京都所司代」でした・・・とさ。

変だなあ 雛人形

美川圭
No.1457

 今年も、我が家では、ひな祭り当日になって、
あわてて雛人形を出した。といっても、ぼくは箱を物置からとりだしただけで、並べたのは妻である。添付の並べ方パンフレットには、「標準段飾り」と「京風段飾り」の2種が載っているので、うちでは「京風」で並べることにしている。「標準」と「京風」では、男雛と女雛の左右が逆、ということは比較的よく知られている。

 ところが、けさになって気がついたのだが、うちの雛は男が向かって左、女が右になっているではないか。「京風」は男は向かって右、女は左のはずである。しかし、確かに「大阪府人形問屋協同組合」の名で作られているパンフレットは、「京風」でも男がむかって左となっているのである。

 ちなみに、京都の並べ方が、古くからの形であるが、どうも大正天皇の即位式の際の、西洋風がとりいれられて、全国的に男がむかって左となったらしい。しかし、京都では、古態を比較的つたえようと、男をむかって右にしているらしい。律令制では、左が右より上位にあるからである。

 聞くところでは、「全国ひな人形協会」という人形屋の組織があって、そこでは、男雛を左と決めているらしい。おおげさにいえば、近代天皇制の浸透に雛人形がはたしている役割である。もちろん、雛人形自体が、天皇制と関わっているのだが。

 ところで、もう一つあまりいわれない疑問がある。段飾りの中段ぐらいに、左大臣、右大臣といわれる人形がいる。その下の段あたりに、左近の桜、右近の橘を並べることになっている。「近」というのは「近衛」のことであろう。左大臣、右大臣といわれる人形は、いずれも儀仗のすがた、つまり弓矢を帯している。これが左大臣、右大臣というのは、どうもひっかかるのである。これは左大将、右大将の誤りではないのか。それなら、天皇、皇后を警固する、という意味からもわかりやすい。左大臣と右大臣とすると、どうして、ここにいるのか、よくわからない。どっかに関白がいてもいいではないか。蔵人頭がいないのか、ということになってしまう。

 装束からすると、どうなのか。このへんは近藤先生にご出馬していただきたいところである。それと最上段の男雛、女雛ををなんで「親王」とよぶのだろうか。あれは天皇、皇后(中宮)じゃないのか。

 まったく、歴史家のはしくれ、とくに王朝のことをやってるぼくが、こんなことをすっきりと説明できないのは、なさけない限りである。ぼくがよくわからないのだから、よくわかっている人も多いのではと思う。お助けを。でもみんな知っていることなのかな。そうなると、恥ずかしいなあ。

鎌倉幕府版、雛人形。

No.1459

  なるほど、「近代日本における雛祭りの普及について-天皇制イデオロギーの国民教化の具体的事例-」なんて論文が書けそうですが、それは近代史の人に任せるとして、左右大臣が左右大将というのは、そのとおりだと思いますね。となると、三人官女とか五人囃子というのも気になります。
 それにしても、近年の「王権論」の発想からすれば、東国国家論者の御家庭では幕府版の雛人形を飾ったりしたらよいのではないでしょうか。並べ方、興味津々です。
 美川先生も『雛人形から読み解く、院政期の政務機構』なんていう本をお書きになって、お嬢さんにプレゼントされたら如何ですか。ぜひとも、教材に使わせていただきます。

Re: 変だなあ 雛人形

美川圭
No.1461

野口先生、さっそくのレスありがとうございます。
そういえば、京女大のすぐ近くの、京都国立博物館で、
いま、「雛まつりとお人形」という特別展示が行われています。なにかヒントになることはあるかな。

http://www.kyohaku.go.jp/tokuchin/ningyo02/ningyo1j.htm

Re: 変だなあ 雛人形

No.1481

美川先生、こんばんは。それにしても5日留守にしていましたが、この掲示板の進行の早いこと!

我が家では妹が結婚してはや20数年経ちますし、普段から雛人形には特に興味もありませんので、細かいところはうろ覚えですが、仰るように、男雛は向かって右が律令以来の正しい位置ですね。左右大臣と言われているのは、弓箭を佩帯していますから、左右大将が正解です。ただし、袍の色が、向かって右側(左大将)が黒で、左側(右大将)が緋のものもあったと思いますが、左右大将ともに公卿なので黒でなければなりません。緋ならば五位なので、ふつうならば少将になってしまいます。
また、男雛と女雛を親王という慣例は知りませんでしたが、男雛は、今では纓が垂直に立った御立纓の冠がふつうのようです。御立纓は、近世中期以降の天皇の冠特有の纓ですので、御立纓ならば、天皇でしかありませんし、天皇であれば、女雛は皇后ということになります。
しかし、有職雛ならばともかく、天皇の袍の色と文様(黄櫨染か青色で桐竹鳳凰文様)の件も含めて、今の雛人形で装束のことを云々するのはあまり意味がないですね。

Re: 変だなあ 雛人形

美川圭
No.1492

近藤先生、ありがとうございます。

ろ覚え、などとおっしゃりながら、
さすがに、よく覚えておられて。

一応「有職雛」となっているんです。
そこが問題だな、と思います。

次回は・・・

No.1450

本日はお疲れ様でした。
 吾妻鏡の講読会、なかなか盛況だったのではないでしょうか。山本さんが緊張していたので、次回からが本領発揮と期待しております(^o^)私も勉強してくるつもりです。
 それにともない、最近ではお菓子を作る量がますます増えてきました。シュークリームの時も、今日のケーキもギリギリというのは、常に予想を上回る人数が参加しているということなので、結構な事とますます張り切ってしまう今日この頃です。忙しくなるので、しばらくは鳴りをひそめる予定ですが、また作ったら皆様味見をお願いしますね(今のところ、次回はシフォンケーキの予定です)。21日の発表準備がありますので、吾妻鏡講読会も3月いっぱいはちょっと厳しいかもしれませんが、ぜひ今後も参加したいと思いますので、よろしくお願いしまーす(*^^*)
 肝心な事を書き忘れていました。来週中くらいに、一度研究発表のプレ発表をさせていただきたいと思います。完全なレジメを出す事はできないかもしれませんが、見通しだけでも聞いていただけたら幸いです。来週の木曜日か金曜日あたりがいいのですが・・・皆様ご都合はいかがでしょうか?

木・金どちらでも。

No.1451

 今日の講読会は盛況でしたね。山本君、もう一工夫です。それに、レジュメの準備などもあるので、もうすこし早めにおいで下さい。山岡さんや山内さんをはじめ、出席者は、注文や意見があったらどんどん、山本君へ。なお、山本君は次の日程など、お知らせ下さい。こちらにも都合がございます。お忘れなく。
 田中さんのお手製のケーキ、これはとても美味しゅうございました。また、宜しく。それから、山岡さんは、この講読会のために、わざわざ伊予からお土産のお菓子持参で戻ってきてくれました。当ゼミ成立以来の特筆べき出来事です。山田知佐子さんもご出席ありがとうございました。お土産のお菓子をいただき、恐縮いたしております。
 
 別の定期的な講読会・研究会については新年度の授業日程が決まってから、空き時間に設定するのがよいでしょう。その打ち合わせについては、永富さんから連絡されるはずです。
 
 田中さんの、ブレ発表は大歓迎です。早稲田での本番前に、こちらでシビアな意見・批判を遠慮会釈なくぶつけ、田中さんに対応していただいておく必要がありましょう。国文学の専門家は手薄なので、国文学専攻の門屋君と思想史専攻の長村君にはぜひ参加して欲しいと思います。この二人が確実に出席してくれる日を優先して、日程を決めてください。小生は、11日でも12日でも、どちらでもかまいません。ちなみに、田中さんは、例の食事会とぶつかりはしませんか?
 
 なお、本日、長村君をはじめ、書架を置くための備品の移動に手を貸してくれた諸兄に感謝します。
  
 それから、鈴木君、鎌倉旅行から伊勢旅行までの写真を収録したCDロムをゼミメンバー全員に配布していただき、ありがとうございました。それにしても、スゴイ技術に恐れ入っております。貴兄は現代に生きる安倍晴明のごとしです。
 
 和服姿のあでやかな永富さんとスーツで決めた鈴木君の二人が夕暮れの京都駅前の交差点にたたずむ姿は、なかなか絵になっておりました(お抱え運転手の証言)。

木曜日希望

長村祥知
No.1454

田中さん・山田さん・山岡さん
ご馳走様でした。田中さんの次回作にも期待で一杯です!!

鈴木君
写真だけでなく、色々と有難うございます。あなたほんとすごい!!

さて、田中さんのご発表の件。
他の方のご意見を聞く前に、日程を限定して申し訳無いのですが、12日は無理なので11日木曜日でお願いできないでしょうか。
さらに注文をつけて恐縮なのですが、夕方までに終わるような時間(1時頃始まり?)からでお願いしたいです。
もちろん、自分以上に門屋さんのご予定を優先していただくべきなのですが、とりあえず書き込ませていただきます。

吾妻鏡の件。
私は先生方に同行させていただく旅行や卒業関連の行事等があり、もし11日に田中さんの発表があれば三月は参加できないかもしれませんが、指導者である山本さんから次回以降の日程を書き込んでいただきたく存じます。

私は両日空いてます

門屋敦
No.1455

まずプレ発表の件ですがわたしはどちらでも大丈夫ですから、よほど参加者が少なくない限り木曜でいかがでしょうか。また、先生にご心配いただいた例の食事会は水曜でまとまりそうです。木曜は報告日になりそうです。
鈴木くん 立派なフォトアルバムありがとうございました。「ほぉー」「すげぇー」を連呼しながら見させていただきました。

木曜で決まり。

No.1456

 それでは、11日(木曜)の午後1時開始ということに致しましょう。田中さんそれで宜しいですね。
 共同研究室使用できるように予約しておきます。ちょうど、第二木曜なので、本年度の例会日程に合致いたします。本年度最後の例会ということになるでしょう。
 田中さん。御報告のテーマと、例会参加者が事前に読んでおくべき本とか、参考文献のようなものがありましたら、御紹介下さい。『紫苑』前号の田中さんの論文もそれに入りますか?

ごちそうさまでした。

No.1458

講読会も終わりかけの時間に、ケーキを食べに行っただけになってしまいましたが、それにしてもおいしかったです。

デジカメで撮影した写真を配布する方法が一番悩むところなんですが、今回は何とか形にできて、僕自身もホッとしています。これだけ喜んでもらえると作った本人も嬉しいです。
野口先生からお借りしている写真をまだ持ったままな事に今気がつきました、次にお会いするときに持って行きます。

P.S.野口先生、ほめすぎです☆

では

田中裕紀
No.1460

知らない間に11日に決定していました(笑)
今月は殆どバイトもしてないので、11日で大丈夫です。
本・論文等ですが、前号の『紫苑』とは方向性が異なっているため、最低限、別冊国文学の『平家物語必携』で灌頂巻の内容を参照していただきたく思います。参考文献は・・・もう少し時間をいただいて、明日くらいには告示したいと思います。

うちの奥様をよろしく

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1463

野口先生、皆様。
うちの奥様が研究会に出席させていただくことになりました。お邪魔かもしれませんが、どうかどうか、なにとぞよろしくお願いいたします。

とんでもないです

No.1464

山田先生>
とんでもないです。ちさ子さんの方が『平家』について詳しいのではないかと、ひやひやしてしまいます(笑)きっとみんなにとっても勉強になるでしょうし、良い刺激になる事と思います(何よりも、私にとってそうなので)ので、大歓迎ですよo(^^)oこちらこそ、よろしくお願い致します☆

11日、例会について。

No.1465

 11日は例会ですから、いつものように共同研究室を借りておきました。多くのメンバーの参加を期待しています。
 なお、田中さんのあげられた梶原正昭編『平家物語必携』は『別冊国文学』第15号(学燈社)で1982年刊です。この本は、なかなか便利なので、コピーをとるか、できれば古本屋で探して入手しておくとよいでしょう。
 『吾妻鏡』の方は、山岡さんからのメールで18日に行うことを知りました。これも、出席者が多そうなので(山岡さんも伊予から戻ってくるそうです)、共同研究室を午後1時から確保しておきました。指導者の山本君、よろしくお願いいたします。
 なお、月曜日、小生の研究室に新しい書架が2つ入ります。暇でヒマで仕方のない方がおられましたら、午後にでも本の配架と部屋の模様替えの手伝いにおいで下さい。
 そのうち、バドミントンセットや軟式野球用のグローブとボールも常備したいと思います。

参考資料について

No.1468

 11日の参考資料についてですが、先述しました『平家物語必携』で十分かと思います。(詳細を書き忘れていました。ありがとうございました>野口先生)というのも、これまでの文学研究でなされてきた建礼門院研究はあまりに膨大なので、これという参考文献を挙げる事が出来ません。時間がおありの方がおられましたら、①『平安時代史事典』などで「平徳子」「建礼門院」という項目をひいて頂く。あるいは②『平安時代史事典』で「平徳子」の項の執筆者である角田文衛著の『平家後抄』(講談社学術文庫/2000年・朝日選書/1981年)をお読みいただくと、多少は分かりよいかと思います。
 出来る限り分かりやすい発表を心がけたいと思いますが・・・どうなることやら・・・(--;
 皆様、どうぞよろしくお願いします。
>山田ちさこ様。
 ぜひ、プレ発表にもお越しくださいませ。なお、来週は同志社の図書館が蔵書整理に入るため、ほぼ毎日府立図書館に行くつもりです。もしももしも、府立図書館に用事があって、更にお茶のお相手が必要ならば、上のメルアドにメールしてくださいませ。

Re: 次回は・・・

長村祥知
No.1470

>> なお、田中さんのあげられた梶原正昭編『平家物語必携』は『別冊国文学』第15号(学燈社)で1982年刊です。この本は、なかなか便利なので、コピーをとるか、できれば古本屋で探して入手しておくとよいでしょう。

まだ新刊書店にもあるかもしれません。
私は二年ほど前に京都駅近くの近鉄の本屋さんでみつけました。

建礼門院ウィーク。

No.1475

 せっかく田中さんが建礼門院の報告をするのですから、この際みんなで、建礼門院を勉強しましょう。来週は「徳子ちゃんウィーク」です。
 そこで、歴史の方から参考文献をあげると、田中さん御紹介の本の他に、文字通り小生を『平家物語』の世界にいざなってくれた村井康彦先生の『平家物語の世界』(徳間書店)が、まずお勧め。村井先生はかつて京都女子大におられました。
 この本と角田文衞先生の『平家後抄』を読んだら、つぎは一足飛びに最新の研究論文へ。
 まずは、歴史学から、新進気鋭の栗山圭子氏「二人の国母-建春門院滋子と建礼門院徳子-」(『文学』第3巻第4号・5号、2002年、岩波書店)。国文学からは、同じく鈴木啓子氏「『平家物語』と<家>のあり方-建礼門院と二位殿をめぐって」(同 第4号)にチャレンジしてみてください。ちなみに、栗山さん・鈴木さんと君たちとの年齢差はごく僅かです。お二人をお手本にしてください。
 もっと勉強したい人は、この二論文の注に出ている文献を集めてみてください。さあ、11日までにどこまで出来るか、頑張りましょう。

『紫苑』第2号 PDF版差し替え

No.1445

 紫苑の第2号の2回目の(大)校正を終えました。今日修正を行った内容を反映した、PDF版をアップロードしました。
 まだ、少しだけ間違いも残っているようですので、仮リリースとなりますが、今日研究室へ来られなかった執筆者の方は、きちんと修正が行われたかどうかPDF版で確認することができます。(今後の訂正は、印刷には間に合いませんが(..;))

P.S.野口先生、今日はごちそうさまでした。いろいろ作業をした後にわいわいとご飯を食べに行くのが好きなので、本当にありがとうございました。

 

正確は義務、美徳にあらず。

No.1446

 E・Hカーの『歴史とは何か』の中に「歴史家にとって正確は義務であって美徳ではない」という言葉が引用されていたように記憶しますが、史料引用などに正確を期することは研究者の最低の義務だと思います。このたびの『紫苑』編集の過程で、執筆者はそれを実践するのが如何に大変なことであるかを実感できたのではないでしょうか。そして、編集担当者のたいへんな努力にもかかわらず、結果的にそれを満足させることの出来ないまま、印刷に付せざるを得なくなってしまったことを、とても残念に思っています。ぜひ、自らの手で、正誤表を用意するなり、最善の方法をもって対応してください。それこそ、最低の義務です。
 それにしても、最近の歴史学研究の一部には、何かとらえどころのないものを論拠にしているようなところがあり、いささか気持ち悪く感じています。若い人たちが、どうもこういう風潮に取りこまれがちなのが、心配です。学問と思いつきが相対化されてしまうのは危険です。小説家と歴史学者が同じ土俵の上に立つのはマズイと考えます。
 たしかに、政治は経済と軍事だけで動くものではないとは思いますが、とりとめのない観念の世界だけで動くものでもない。すくなくとも、とりとめのあるものの、実体をつかんでから、とりとめのないものに進むべきではないでしょうか。昨今の安倍晴明ブームなどを見ていると、そう思わざるを得ません。もっと、とらえどころのある部分から、政治史のあり方を鍛えていくべきだと、小生は考えています。
  
 鈴木君・永富さん、本日は本当に御苦労様でした。

紫苑sionしおん・・・師恩?!

No.1447

ようやくこれでやっと第二号完成!!(今度こそ!!)ということでほっとしております。これで今年度のお仕事は一応落ち着いたということになりますね。
野口先生、鈴木君、また長村君と平田さんもご苦労様でした。
また先生には昼食、夕食の二食もご馳走になってしまいました。おなかいっぱいになって疲れも充電です♪
鈴木君同様、何かを終えたあとにワイワイ話しながらご飯を食べるの大好きですヽ(´▽`)/

「正確は義務、美徳にあらず。」そのとおりだと思います。
何かを書いて発信することはつまりは商人が物を売って「モトをとってあたりまえ。利益を出してなんぼだ」というのと同じことですし・・・☆
前回の創刊号に引き続き、今回も私は編集も執筆も両方させていただきましたが、あらためてその両方の難しさを感じました。編集の側の立場から感想を述べると、創刊号よりやはり良いものにするためより時間をかけて工夫を重ねる必要もあったし、また原稿の量が増えた分校正作業もなかなか大変でした。自分の原稿もなかなか満足に仕上げられる技量がないのに他の人の原稿を読み、その間違い探しをし、なおしてゆく・・・何百、いや何千分の一の確立である小さな字の間違いを探すのは「ウォーリーを探せ」より難しかったです。笑
また個々の執筆者をまとめること(原稿集めも含め)の難しさも感じました。
「紫苑」という一冊の薄い雑誌ですらこんな状況であるのに、もっとたくさんのページ数のある本を編集なさっておられる石浜さんはすごい・・・!!とあらためて思ってしまいました。

執筆者の立場からの感想としてはやはりまだまだ「勉強不足」ということです。今年一年は卒論も進路のこともありますし、しっかりと腰を据えて勉強したいと思っております。ご指導よろしくお願いいたします。m(._.)m
また、校正では自分では何度も読み直して間違っていないはずだったのに先日お亡くなりになられた某先生のお名前の字を間違えているという重大うっかりミスもありましたし・・・☆あぶないあぶない!!
・・・とまあ波乱万丈ありましたが、本当に今年も発行にこぎつけることができ良かったです。たとえるなら「踏むたび爆発する地雷」のような原稿をここまでの完成度に近づけることができたのは私たちを根気よく熱心にご指導くださった野口先生のお陰です。感謝しております。また編集作業に夜中までつきあってくれた鈴木君にも感謝しております。あとは印刷の仕上がりを待つのみですね♪楽しみです。まさに「紫苑」=「師恩」ですね。(野口先生のおやじギャグがうつりました☆)

おまけ:明日の吾妻鏡講読会、お茶会が早く終われば着物姿で参上いたします。(雨がちょっと心配なのですが・・・)

本当にお疲れ様でした

No.1448

紫苑の再校正、本当にお疲れ様でした。
明日の吾妻鏡の講読会には、鈴木くんも参加するのでしょうか??というのも、現在、うちのオーブンでケーキが一台焼けている途中なのです(^^)。一体、発表前に何を・・・と言われるかもしれませんが、大事な気分転換でして・・・(^^; で、もう少し理由をつけると、山本さんと樹里ちゃんの合格祝いと、永富さん・鈴木くんの慰労も込めて・・・。先ほど、試食用のミニチュア版を食べてみると、結構良い出来なので、みなさまお楽しみに☆
 と、いうわけなので、鈴木くんも時間があればお茶だけでも参加してね☆☆

Re: 『紫苑』第2号 PDF版差し替え

平田樹理
No.1466

野口先生、編集長の永富さん、鈴木君、長村君、皆様、先日は大変ご迷惑をおかけしました。深くお詫び致します。特に永富さん、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
戒めとして、今後しっかりやっていかねばと思います。

>野口先生、ご馳走様でした。ありがとうございました。
先日の研究会は途中で抜けてしまってすみませんでした。

>田中さん、レモンケーキご馳走様でした。バタバタしてしまってすみませんでした。とっても美味しかったです。
私は、ごはん類はともかくお菓子系は作るの苦手です。。今度ケーキの作り方教えてください★

お菓子

No.1469

樹里ちゃんへ
 当方、ごはん類・お菓子類なんでもござれでございます。大学入試に失敗したら、料理の専門学校もいいなぁ~と真剣に考えた時期もあったくらいです(笑) というわけで、いつでもお申し付けください☆

ゼミメンバーへ緊急の諸連絡。

No.1440

 ゼミ旅行が終わり、一段落したいところですが、緊急を要する問題や、最近変化したこと、これから変わること、これからはじまる研究会のことなどについて連絡します。
 
 ① 『紫苑』第2号の版下について
 先月9日、永富編集長以下、丸一日をかけ、分担して一生懸命に校正を行い、版下を完成しました。これによって、予算措置を講ずることが出来たのですが、やはり、後になっていくつかの校正漏れを発見。正誤表を作成すべく、PDFによる確認を執筆者に呼びかけましたが、あまり反応はなく、安心していました。
 ところが、先日、印刷会社で仮製本してくれた版下を見たところ、いささか誤植が多すぎることが判明しました。幸い、本印刷を待って貰えることになったので、明日、研究室に来てくれる予定の永富さん・鈴木君と版下の訂正をしたいと考えています。
 永富さん・鈴木君には、『紫苑』の編集とゼミ旅行で大活躍していただいたので、私的にその慰労会をするつもりだったのですが、逆に仕事をお願いすることになってしまいました。申し訳ありません。
 この背景には、小生の不行き届きは言うに及びませんが、執筆者個々の自覚不足があることは否定できず、今後の大きな反省材料だと思います。なお、1・2回生の原稿には誤りはほとんどありませんでした。

 ② 研究室の備品などについて
 前に書き込みましたように、研究室前にゼミ用の新しい掲示板が取り付けられました。また、小生にしかお湯が出せなかった古いポットは退役させ、新しいものを購入しました。
 また、目下、須田春子先生寄贈図書の配架のために研究室の整理をすすめていますが、事務方の御厚意で、あらたに書架2つを設置してもらえることになりました。
 それと関連して、あまり役に立たなかった大きな6人用のソファーを別室に移して、新たに4人用の応接セットを入れました。

 ③ 『吾妻鏡』講読会の開始について
 この詳細は、指導者の山本君が別に書き込んでくれることと思いますが、4日から始めるとのことです。この企画は山本君と2回生の立花さんが実施を目指していたもので、鎌倉時代史研究の入門に絶好の勉強会だと思います。1回生の山内さん・山岡さんも参加すると聞いています。
 なお、この2年間、学習院大学大学院で修士課程を過ごしてきた国文専攻の門屋君も参加されるとのことです。
 これ以外にも、史料ではない読書会など、ぜひ新しい研究会の立ち上げを期待しています。また、例会発表の立候補もどしどし、お願いします。

 ④ 新年度の方針策定について
 これについては、新会長の永富さんを中心に、仕事の分担を定め、まずはメンバーの授業日程をふまえて例会の曜日を決めていただきたいと思います。また、ゼミ旅行・見学会などの原案も検討の要があると思います。そして、新年度前にゼミメンバーが集まる機会も設定する必要があるでしょう。

 以上、ちょっと出しゃばってしまいましたが、緊急な要件もありましたので、今思いつくことをアトランダムに書き込ませていただきました。みなさん、よろしく、お願いいたします。

『吾妻鏡』講読会のお知らせ

No.1442

   『吾妻鏡』の講読会のお知らせです。
 ①日・今週の3月4日(木)
 ②時間・1時~4時まで
 ③野口先生の研究室
 ④講読範囲は、文治元年十一月廿五日~廿八日まで
 ⑤注1・なお、今回の講読会では、これからの分担と予定を決めたいと思います。

既に参加の方には、個別にメールでお知らせしましたが、その他の参加希望者への連絡が遅れてしまい、申し訳ありません。

心機一転

野口 洋平
No.1439

みなさんこんにちわ。どうもお久しぶりです。院試に落ちたショックでしばらくへこんでましたが、それもおかげさまでようやく回復し、両親から様々な条件付きではありますが京都に留まり研究を続ける事ができるようになりました。
今年は結果的に失敗してしまいましたが、僕はこの一年勉強してきた事が無駄だったとは決して思いません。不合格の通知を見た時全てを忘れて地元に戻ろうとも考えましたが、逆にここであきらめたら今までの努力が無意味なものになってしまうのではないかと思い、両親も説得して研究を続ける事にしました。

自分の実力でどこまでできるかわかりませんが、自分にできる限りの事を精一杯努力していくつもりです。どうぞ今後ともよろしくお願いします。野口先生はじめゼミの皆様にも未熟なこの身でご迷惑おかけすることとは思いますが温かい目で見守ってやって下さい

そういえば今さらながらの話になりますが合宿の翌日、鈴鹿峠が吹雪で通行止めになったとか…これも壇ノ浦、熊野同様僕の影響かもしれませんね。

史蹟見学会について

野口 洋平
No.1443

肝心な事をいい忘れてました。
皆さんが忙しくなる前に恒例の史蹟見学会を実施したいと思います。まだ詳しい日程等は決めてませんが、今のところ個人的な史蹟見学を含めて三回程予定しています。

①3月10日前後
西陣散策:北野天満宮、宝鏡寺等
北野天満宮の梅園と尼門跡宝鏡寺の特別拝観を中心に西陣周辺の史蹟散策を予定。特に宝鏡寺は人形の寺として知られ和宮や孝明天皇縁の品が数多く残り、見所が多い。

②3月13日前後
東福寺、泉湧寺見学会:東福寺、泉湧寺のネハンエ特別公開と塔頭光明院、退耕庵特別拝観見学
毎年この時期に三日間だけ公開されるネハンエの見学と、現在京都冬の旅で特別拝観している光明院と退耕庵の見学。冬の旅のお寺は僕がいれば無料で拝観できるので、興味ある方はこれを機会に是非どうぞ。学生ガイドによる丁寧な?案内が聞けます。

③三月中旬以降
詳しい場所は未定ですが今のところ宇治辺りを考えてます。

以上また詳しい事が決まりましたらMLや掲示板等でお知らせしますが、とりあえず今の段階で考えてる事だけ載せておきました。
興味のある方は是非ご参加下さい。また活動地や日程等で意見のある方は掲示板に書き込んでいただくか野口まで直接ご連絡下さい。たくさんの参加をお待ちしております。
gucci_0529@vodefone.ne.jp 野口 洋平

土蜘蛛と源頼光と神楽岡

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1436

みなさん、こんにちは。

うちの奥様の頁「平安京探偵団」
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/
に、源頼光の妖怪退治についての論をアップしてみました。
もともと『国立能楽堂』という、ちょっと特殊な雑誌に書いたものですので、必ずしも多くの人の目にとまっていなかったと思います。

源頼光の妖怪退治伝説 1「酒呑童子の大江山」
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/yomo20.html
源頼光の妖怪退治伝説 2「土蜘蛛伝説と源頼光」
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/yomo21.html

特に見ていただきたいのは、後者の「土蜘蛛伝説」です。なぜ東博蔵「土蜘蛛草紙」の舞台が神楽岡でなければならなかったのか、その理由に対する仮説を提示してみました。かなり大胆な論とも思いますので、御批判をいただけたら幸いです。

そういえば、京都大学は神楽岡(吉田山)の麓でしたね。元木先生、あの辺にはもう土蜘蛛はでませんか?

山田先生、町内会長御就任。

No.1441

 吉田山の近くに頼光の伝承が成立する理由については、小生もある考えを持っておりますが、ここでは出し惜しみすることにします。そのうち、どこかにデーンと書きます。
 それよりも、山田先生は町内会長に選出されたとのことで、御苦労様です。花園の史学科主任もまだ任期中なのでしょうか。
 若手研究者だったはずの山田先生も、いよいよ肩書きが「長」だらけになってきましたね。ご無理をなさらないように。そういえば、同志社の竹居明男先生も、ごく最近、町内会長をされていたはずです。
 でも、山田先生のことですから、平安京京域内の町内会運営の経験をもとに、また新しい「京都論」を世に問われるのではないかと楽しみでもあります。

Re: 土蜘蛛と源頼光と神楽岡

長村祥知
No.1444

山田先生こんにちは

私、学生サークルで狂言を習っているので、とても興味深く御論考を拝読させていただきました。
しかし現時点で自分にはあまり生産的な意見を述べる事が出来ないので、つまらない事を伺い、恐縮なのですが・・・

先生は能楽と何か特別な御関係があるのでしょうか??

Re: 土蜘蛛と源頼光と神楽岡

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1452

野口先生、長村さん、こんばんは。
野口先生> 先生の「隠し玉」が気になります。どこで爆発するのでしょうかね。
長村さん> 読んでいただき、ありがとうざいます。ただ、私は能楽とはぜんぜん関係ありません。脇田晴子先生だとおんみずから能を舞われるのですがね。
「国立能楽堂」に執筆したのは、まったく思いもかけず、あちらさんからの御依頼です。永く研究生活をやっていると、どこでどんなリクエストが来るかわかりません。今回も、頼光の妖怪退治伝説なんて、自分が書くとは思ってもみませんでした。
でも、やはり挑戦してみると自分なりに勉強になります。チャンスを与えてもらった国立能楽堂には感謝しています。一般化していうと、どんなことでも「チャンス」が巡ってきた時に、それをパッとつかめるか、またはグズグズしてそれを逃すかで、その後のありかたが変ってくるような気がします。
・・・国立能楽堂の仕事をしたおかげで、梅原猛原作のスーパー狂言のプレ公演にご招待いただくという役得がありました。

Re: 土蜘蛛と源頼光と神楽岡

長村祥知
No.1453

山田先生
お返事ありがとうございました。
そして自分も、「チャンス」を逃さないように頑張りたいと
思います。
スーパー狂言・・・どのような出来かは存じ上げませんが、役得とはうらやましいかぎりです。
以前自分の卒業公演の際にも書き込んだことの繰り返しとなりますが、古典曲には変容しながらも長く受け継がれるだけの良さがありますし、素人の(特に学生の)芸には、心地よい熱意・気迫があります。
もしご興味と機会があれば、是非一度学生能をご覧になってください。

さて。
実は私、田辺の収蔵庫で、若き日の山田先生の須恵器実測図を
拝見したことがあるんです(勿論とても上手でした)。
結局私は文献史学の魅力に惹かれ考古学を専攻とする事無く、野口先生のもとにおしかけていって、今こちらにお邪魔しているわけなんですが、まさか能楽関連でこんなやりとりをさせていただけるとは思いもよりませんでした。
世の中不思議だらけです。

Re: 土蜘蛛と源頼光と神楽岡

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1462

長村さん、こんにちは。

私の若き日の須恵器実測図ですか。どこの遺跡のやつでしょうかね。同志社京田辺校地の下司古墳群かな?
私は1・2回生の頃、土器の実測図が描けなくて苦労したのですよ。何べん描き直しても似てこないので、途中で投げ出すことたびたびでした。
しかし、それでは考古学をやる資格はないわけです。3回生になって一念発起、土器の実測に没頭し、とにかく丁寧に描くことを繰り返したおかげで、なんとか人に見せても恥ずかしくない図面が描けるようになりました。
考古学ならば図面が描けること、文献史学ならば史料が読めること、外国史ならば外国語ができること、いずれも必須ですね。これらの技術は、やはり若いうちに根をつめた努力をしないと身に付かないのだと思います。

今日から元木教授。

No.1423

 京都大学の春の除目、もとい、人事で、元木先生は晴れて教授に昇任なされました(3月1日付)。先生は院生時代から、すでに「元木助教授」と呼ばれていたとのことを、美川先生からおうかがいしておりますが、いささか、事大主義と捉えられるかも知れませんが、やはり京都大学教授というポストは、多くの研究を志す者にとって羨望の対象だと思います。
 元木先生も、長いご苦労の末のことゆえ、いろいろな思いがおありのことだと存じます。また、それにも増して御家族のお喜びも一入なのではないでしょうか。われわれ京都を本拠にして、日本中世史を専攻する者にとっても、とても嬉しいことです。
 教授というポストにはいろいろな責任が伴いますから、ますますお忙しいことになろうかと思いますが、元木先生には、関西ににおける日本中世前期研究者の「棟梁」として、ますますの御活躍をお願い申し上げる次第です。当ゼミメンバーも、ストレス発散のカラオケ大会の実施など、いろいろお役に立たせていただきたいと存じております。おめでとうございました。

おめでとうございます

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1424

元木先生、京都大学教授御昇任、おめでとうございます。
ただ、先生の御業績からすると当然すぎるほど当然のことではありますね。
とにかく、祝・祝・祝・祝・・・・・

(国立大学の人事は3月1日付にもあるのですね。知らなかった。)

Re: 今日から元木教授。

美川圭
No.1425

 元木先生、おめでとうございます。ご業績からすれば、もっと早くご昇進、というのが常識だと思いますが、大学というところは、いろいろあるところですからね(一般社会の昇進のほうがもっと理不尽かもしれませんが)。
 私も、たいした大学ではないですが、昨年に教授となりました。たしか、山田先生も同時期にご昇進だったと記憶しています。
 予想外に、たいへん、といった感じです。助教授、講師は今後の昇進がかかるので、いいたいことがいえない。教授は、学部長や学長をねらう一部の人をのぞいて、もう「上がり」ですから、助教授以下の代弁をしなければならない。責任感のない人はどうでもいいですが、少々でも良心をもっていると、そういう意味でがんばらねば、と思ってしまうのです。そのために、雑用増加だけでなく、精神的な負担が大きいです。
 京大も4月からの法人化で、先例のない世界に入っていくわけで、たいへんだと思います。くれぐれも、飲み過ぎに注意し、ご自愛くださいますように。

おめでとうございます。

No.1428

元木先生、おめでとうございます。美川さんのレスにもあるように、今後は益々体調管理にはご留意下さい。

おめでとうございます。

No.1433

遅ればせながら、元木先生、おめでとうございます。
参考文献については、私も恥ずかしい思い出があります。ある本で、なんと元木先生のお名前を間違えてしまいました。実際は著者が間違えたにしても、それを見つけられなかったのは、不徳の限りです。おそらく、皆様のお手元にある本を探っていただければ、見つかるかもしれません。元木先生にはお叱りの言葉をいただきました。その節は、失礼いたしました。こうしたミスは、編集者の信用にもかかわるので、気をつけるようにしております。
なお、一般社会の人事は理不尽です。年功序列には決して反対ではありませんが、こうも無能な上司をたくさん見せつけられると、能力主義を導入せよ、と叫びたくなります(かくいう私が、まっさきに首を切られたりして)。お前なんかに、俺の企画について云々されたかぁねえぞ、という方がいっぱいいるのです。ろくに一人で本を作れないお前が、がたがたいうなというお方がいっぱいいる会社なのです。
それでも、みなさんが順当に昇進されているご様子をお伺いしていると、大学の人事はうまく機能しているのではないかと思います。2月の新聞に「産学連携 文系も本腰」という記事が出ていました。そうした中では、いろいろと風当たりも強いのではないかと思いますが、そんな中だからこそ、先生の今後のご活躍に期待したいと思います。

白い巨塔?

No.1435

野口、美川、山田、近藤の諸先生方、また石浜さん、教授昇進につき、お祝いのメッセージを頂き、本当に有難うございます。厚く御礼申し上げます。京都では、何かの新聞にでも人事が掲載されましたのでしょうか。Eメールでもお祝いの言葉を頂き、恐縮しております。
厳しい業績審査の結果、きわどいところで対立候補を追い落とし、その陰では執行部にあれこれ裏工作をし、実弾飛び交う修羅場を潜り抜けて昇進した財前教授のような立場なら感慨もひとしおのことと思います・・が、こちらは定員制度でして、要は誰かが定年、辞任、まれに死ぬようなことがあれば、ほぼ年齢順に昇進するだけでして、まあ海外に移った先生がいたおかげで、思ったより一年早く昇進したな、というようなところです。
山田先生の仰るように、3月1日付というのは変な人事なのですが、当方の部局ではあきポストが先にあり、どの講座に配当するか決まった段階で人事が行われることになっております。そんなわけで、随時昇進するようです。
昇進と同時に待っていたのが、全学の学生部委員でして、独法化とともに強化される学生対策、前回話題になりました革マル、中核の教室占拠や、泥沼化している寮対策要員を仰せつかってしまいました。サマーワに行く自衛隊、てなところですかね。学内では昇進の祝辞より、同情の声の方が大きい有様です。これを旨くこなせば執行部など問い言うことになるのでしょうが、当方そんな器でないことは十分自覚しております。今後は、いかに仕事をサボり、ゲバ学生の矛先をかわし、外部評価をごまかし、くびにならない程度に無能の烙印を押されるように振舞うかが課題でしょう。
学部内の学生生活委員を務めただけで、執行部、職員、学生の板ばさみになって相当精神的ダメージを受けてしまいました。今後のことを思うだけで、酒量も激増気味です。もう少し心身のタフな方を選んでくれれば良いのにと恨み言の一つも言いたくなります。なお、当方の研究室に来られる時は、火炎瓶や角材に備える防具をご持参ください??
ついでに、屈強なボディーガードと、健康管理をしていただける方、募集します。もちろん、どちらも無給ですが。後者はできれば女性にお願いいたします???
冗談はともかく、こうした次第だからこそ、少しでも時間を惜しんで、努力したいですし、研究会などには力を入れたいと思います。
今後とも、よろしくご支援のほど、お願いいたします。

名古屋大学のシンポジウム

末松憲子
No.1417

今晩は。
来る3月13日に名古屋大学で「今開かれる文庫の魅力」というシンポジウムが開かれます。五味先生、安部先生、塩村先生などが講演をされるそうです。
ちょうどその時期別の講演を聴きに名古屋へ帰っているときなので、行ってみようと思っています。もしレジュメが欲しいという方がいらしたら、今度京女に行くときにコピーして渡しますので、この掲示板に書き込みしておいてください。(4月以降の渡しになるかもしれませんが)

長村君へ
ごめんなさい、先日教えてもらった鍛冶に関する資料名を失念してしまいました。あとでメモらせてもらおうと思ったことすらすっかり・・・(お恥ずかしい)
すみませんが、この掲示板に書き込んでもらえませんか?

Re: 名古屋大学のシンポジウム

長村祥知
No.1422

すいません、後でお見せするつもりがすっかり・・・(お恥ずかしい)

豊田武「中世の刀鍛冶雑考」が、豊田氏の『著作集』2巻に、
豊田武「刀鍛冶の信仰」が『日本歴史』100号にあると、
『著作集』8巻の付録(年譜・著作目録)P56・P73に書いてありました。

以前に申し上げた通り、私も論文自体を見たわけではないので、ご参考になるか分かりませんが、情報源とともに書き込ませていただきます。


あと、名古屋大学の講演レジュメ、お願いします。

Re: 名古屋大学のシンポジウム

末松憲子
No.1432

長村君へ

ありがとうございますo(^-^)o

速報・廣政さん、卒業生総代に決まる!

No.1407

 昨日は、院試全員玉砕の報が入り、とても残念でした。しかし、三人からいただいた私信で、そろってこれを肯定的に乗り切っていこうとする姿勢をもっていることに、むしろ感動をおぼえました。
 また、田中さんの報告にたいする諸先生方の激励を拝見して、これは長い階梯の中の常道なのだなと思い至った次第です。
 思い起こせば、小生は恩師のお情けで修士課程も博士課程も簡単にクリヤーさせていただいたのですが、職など無くてODとなり、ようやく学位を取得しても、周囲から「日本一惨めな博士」と、同情の交じった嘲笑をかう有様でした。スタートがちゃんとしていた方が学問の王道を歩めるのかも知れません。
 それにいたしましても、先生方御自身の経験に基づくお話しは、とても貴重なもので、ありがたく拝読させていただきました。こんなに励ましと評価をいただいて、田中さんが羨ましい限りです。

 ところで、昨日にうってかわって、本日は朗報一件。タイトルの通りです。廣政さんはこの四月に、京都女子大学短期大学部から文学部国文学科に編入するのですが、短期大学部卒業生の総代とのことです。教師はダメですが、ゼミメンバーが優秀なので、このゼミは安泰です。

 ちなみに、その廣政さんは明日から中国旅行に出かけるのだそうですが、なぜかこれから家に帰ってNHK大河ドラマ『草燃える』のビデオを見るんだと張り切っていました。山本君の『吾妻鏡』は盛況が期待されます。

 それから、事務方の御厚意で研究室入り口横に掲示板が設置されました。このHPの掲示板は大盛況ですが、この本物の掲示板もおおいに活用してください。
 また、研究室のソファーも、もっと実用的な椅子に取り替えて、研究会などに使えるようにする予定です。山本君と長村君とが月曜日に勤労動員されることになりました。

Re: 速報・廣政さん、卒業生総代に決まる!

No.1410

総代...おめでとうございます。
僕は高校の卒業式の在校生代表はやったことありますが、
廣政さん、さすがですね☆
どんな事をするのかわからないのですが、体験談を聞かせてくださいね!!

掲示板つながりで、一つ情報です。
伊勢旅行中のこのホームページへのアクセスを調べてみました。
2月25日が、実質的にゼミ以外の人のアクセスと考えても良いと思いますが、予想に反してアクセス数はほとんど落ちませんでした。
 普段は訪問数150くらいが平均値ですが、25日は120でした。厳密なデータではないですが目安としてみても、ゼミ以外の方がご覧になっているのがとても多いことが、数字として出ました。(ちなみに、翌日27日のアクセスは普段の3倍ほどありました)
 掲示板は情報の更新が命です。リアルとバーチャル、両方の掲示板が盛況になればうれしいです。今後も、よろしくお願いします。

関幸彦著『北条政子』刊行

No.1416

 このHPへのアクセスがどこからなされ、曜日ごとの件数の変化はどのようなものか、などといったこと、実に興味深いものがあります。それにしても27日のアクセスが普段の三倍だったとは。
 いずれ、鈴木君にbbsに関わる分析の御報告をお願いしたいものです。
 ↓では、院試から、英語・入試のあり方にまで、話題が広がっていますが、小生もご多分に漏れず英語は大の苦手科目でした。青学に入れたのも、当時、史学科の配点が国語・英語各100、日本史200点だったからです。日本史は全部出来たと思います。英語は苦手でしたが、基礎的な問題をじっくりと解答するという出題形式なので、何とか答えられました。早稲田も受けましたが、当時は、予備校で、どうでもいいような知識とテクニックを身につけなければ受からないような設問ばかりでした。
 ちなみに、私が大学を受験したのは1969年、東大が紛争で入試を行わなかった年です。
 入試のあり方について、美川先生の仰ることはよくわかります。今の入試形態は、「本来の大学」の欲する人材を得るためのやり方ではなく、時間と労力の都合による便宜的・妥協的な方法だと思います。
 ちなみに、元木先生は、まだ入試業務でお忙しいのでしょうか。「コラッ」の書き込みが懐かしくなってきました。
 「書き込み」といえば、美川先生は、ここでもスゴイですが、諸方のbbsでお名前を見かけます。「鎌倉時代」「京大文学部同窓会」「後深草院二条」「東アジア怪異学会」などなど。『美川圭著作集』が刊行される暁には、こうした書き込みを集める必要がありそうですね。
 
 さて、昨日、標題の御高著を拝受いたしました。関先生、御覧になっていたら、あつくお礼を申しあげます。ミネルヴァ日本評伝選の第7回の刊行です。前回は元木先生でした。
 近藤先生の『源義経』、美川先生の『後白河天皇』にも、きっと先んじられてしまうだろうと思いますが、娘の政子に出遅れた今、小生も『北条時政』の執筆の準備を「粛々と」(保守政治家の好きな用語を敢えて使用)進めたいと覚悟を決めております。
 関先生のご本の中身は、まだ拝読していないのですが、ただ、参考文献欄に、現段階における北条政子研究の最先端の成果である、野村育代氏の『北条政子』(吉川弘文館 歴史文化ライブラリー)があげられていないことと、「野口実『源氏はなぜ三代で滅びたか』新人物往来社、二〇〇一年」という、タイトルも発行年も身に覚えのない本があげられているのが気になっています。

お疲れ様

No.1419

野口先生、美川先生、ゼミの皆さん、ご旅行お疲れ様でした。天候にも恵まれたようですし、充実したご旅行のようで何よりでした。土産話を楽しみにしております。美川先生、お祓い町入り口の岩戸屋尾置ける某大先生の鰻事件はご披露になりましたか。
当方も、年度末校務が終了し、これで一段落というところです。最近、特に視力が低下し、目を酷使する仕事は辛くなってしまいました。試験というのは、確かに酷いし、矛盾はあるし、向き不向きはあるし、どうやっても問題の残る制度ですね。学部、大学院、それぞれどのような試験がもっとも望ましいのか、常に厳しく検証を繰り返すべきだとは思いますが、反面、ころころ変えるのも受験生には酷ですし、このこと一つをとっても問題の深さが痛感されます。
当方は英語はさほど苦手ではありませんでした。大学受験のときも院入試でもさほど困ることはありませんでした。英語は日本前近代史や国文の研究者には不要、ともいえますが、英文和訳は、英語を媒介にした国語、文章力の鍛錬と悟ってしまえば、それなりに意味もありますし、乗り越える道もあると思います。
が、数学と理科はどうにもなりませんでした。現役の時、京大入試で社会は7割、国語、英語は6割強を得点し、同じ高校から受験した中でダントツでしたが、あとが無残な成績で、合格点に20点届かず(900点満点で520点がボーダー)、一年を棒に振りました。何で日本史を専攻すると決めているのに、数学と理科でこんな目にあうのかという、理不尽さに涙があふれました。何とか翌年はもぐりこめましたが、数学や生物の知識がその後、直接的に役立ったことはほとんどありませんでした。しかし、数学や自然科学のもつ論理性が、論文作成に有意義である等と言うことがうっすら分かってきたのは何本も論文を書いてからのことでした。
広範な可能性を試す学部入試と、院入試は同じレベルではありません。しかし、直接的な有益性のみではなく、学問の可能性や思考力の深さを試すという方針は同じではないでしょうか。無論、これは試す側の理屈でしょうが、かく申す当方、浪人時代に悟りました。この世の中は理不尽である。この先、どんな理不尽に遭遇するか分かったものではない。されば、理不尽を乗り越える精神力が必要である。だから数学と理科を勉強せねばならないのだ、と。
ミネルヴァ、関先生の御著書刊行で、毎月刊行が守られ手いるようですね。参考文献というと、かく言う当方も苦い思い出があります。昔さる本の参考文献欄で上横手先生の書名を間違えてえらくお叱りを頂戴してしまいました。本文の校正で精力を使い果たし、付録のころは心が浮ついていたためでした。今回も高橋昌明氏の書名に校正ミスがありますが、あれはチェックしたはずなんですがね。毎月二巻刊行が一巻となり、編集者も焦慮のようです。それが杜撰な校正につながった面もあるかもしれません。再校の時のこと、仕事納めに合せて編集側の校正を済ませ、正月5日に返すようにとゲラを送りつけてきたときは、さすがに腹が立ちました。売るために本を書くのではない、納得が行くように本は書くものであるという近藤先生の名言は、編集サイドも銘記してほしいものです。
ちなみに拙著、一時よく売れて、アマゾンで見ると井沢元彦と並んでいた時もあったようです。おかげで、現在在庫切れとのこと。多田源氏愛好会ご一同様にでもまとめ買いしていただいたのかいな。そう売れる内容ではないのですがね。内容も井沢某並だったりして。


久々の緑の文字。

No.1420

 元木先生、入試業務お疲れさまでした。もう、こちらは伊勢のことなど遠い昔のことの如しです。実に目まぐるしい毎日が続いております。それにしましても、お久しぶりです。
 「理不尽云々」至言だと思います。小生、常に敵前逃亡ばかりで、高校時代も数学・物理に立ち向かう気力などはなく、早々に私学一本でした。そのあたりが、結果で大きな差をもたらすわけですね。
 さて、もう遠い昔のゼミ旅行ですが、見学による収穫のみならず、やはり三日間一緒にすごしたことで、メンバー相互に多大の認識の深まりがあったようです。小生は、メンバーの人間的優秀さをあらためて思い知らされました。
 伊勢内宮参道の岩戸屋には、大挙して昼食に立ち寄り、美川先生から鰻一件のお話しをうかがいながら、伊勢うどんを食しました。「やはり○○に限る」というところへは、小生のミネルヴァ担当巻の執筆取材のために近く訪れる予定ですので、そのさいに、その真偽を確かめて参りたいと思っております。
 それにいたしましても、近頃、鳥インフルエンザとやらで、そのうち焼き鳥の肉が、某先生の言われるとおりになる哉も知れませんね。未来を読む慧眼とでも申しましょうか。  

岩戸屋の変貌

美川圭
No.1429

某大先生の逸話に名をとどめし、岩戸屋なんですが、
すっかり、変貌しておりました。
かつては、土産物売り場の2階に、いかにもという食堂があったわけです。たしか、小学生の元木先生が、修学旅行で昼食を召し上がったところですよね。

(ここで、その情景をしばし想像し・・・)

そこで、カレーライスや親子丼などを食するのは、まあ常識的なのですが、そこで鰻丼を注文するというのは、かなりの勇気のいることでした。なにせ、お重はプラスチックでしたから。それゆえ、大先生といわれるかたのユニークさが際だつわけです。ましては、ご故郷の鰻の老舗との味を比較されるとは・・・。

それを思うと、このたびの旅行で訪れた岩戸屋は、外見こそ当時とそれほど変わりませんでしたが、食堂は1階に移り、食券購入というのが、かつての大衆食堂の雰囲気をいくらかのこしているとはいえ、かなりこざっぱり清潔感あふれるものになっておりました。たぶん、おかげ横丁の特徴ある飲食店に対抗して、岩戸屋なりの精一杯の経営努力の成果なのでしょう。といったことで、1500円の鰻丼を注文することに、それほど違和感をもちませんでしたが、けっきょく400円の伊勢うどんですませてしまいました。やはり、凡人は逸話をうめません。

岩戸屋の思い出

No.1434

美川先生、そうですか。岩戸屋も多少は変化したようで。以前、行ったときは伊勢うどんもなかったような気がしますが、如何でしょう。あの、たまり醤油の辛さはなかなか刺激的のように思います。
ちなみに、当方の修学旅行は1966年5月、西宮の夙川小学校6年の時でした。鳥羽で島巡りをして、真珠島を見学、二見浦の旅館に泊まって枕を投げて怒られました。翌朝、夫婦岩と朝熊山を経て、外宮、内宮に参詣したのち、岩戸屋で昼食でした。あれから40年近くを経た昨年の同窓会、その時、級長だった親友は救急医師、すっかり禿げ頭になってしまいました。少し胸をときめかした美少女が・・・どうなったかは言わぬが華ですかね。担任の先生の訃報に接したのは残念でした。まさに往時茫々です。
ところで、松坂ではどうなさいましたか。牛肉は堪能されましたでしょうか?そんなことより、史跡見学の成果を伺うべきでしょうが・・・。
野口先生とゼミ生諸君のキャッチボールとか、何か青春ドラマを髣髴とさせるシーンもおありの由、いずれ詳しくうかがう機会を楽しみにしております。