土蜘蛛と源頼光と神楽岡
山田邦和(花園大学・考古学)
No.1436
みなさん、こんにちは。
うちの奥様の頁「平安京探偵団」
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/
に、源頼光の妖怪退治についての論をアップしてみました。
もともと『国立能楽堂』という、ちょっと特殊な雑誌に書いたものですので、必ずしも多くの人の目にとまっていなかったと思います。
源頼光の妖怪退治伝説 1「酒呑童子の大江山」
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/yomo20.html
源頼光の妖怪退治伝説 2「土蜘蛛伝説と源頼光」
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/yomo21.html
特に見ていただきたいのは、後者の「土蜘蛛伝説」です。なぜ東博蔵「土蜘蛛草紙」の舞台が神楽岡でなければならなかったのか、その理由に対する仮説を提示してみました。かなり大胆な論とも思いますので、御批判をいただけたら幸いです。
そういえば、京都大学は神楽岡(吉田山)の麓でしたね。元木先生、あの辺にはもう土蜘蛛はでませんか?
うちの奥様の頁「平安京探偵団」
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/
に、源頼光の妖怪退治についての論をアップしてみました。
もともと『国立能楽堂』という、ちょっと特殊な雑誌に書いたものですので、必ずしも多くの人の目にとまっていなかったと思います。
源頼光の妖怪退治伝説 1「酒呑童子の大江山」
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/yomo20.html
源頼光の妖怪退治伝説 2「土蜘蛛伝説と源頼光」
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/yomo21.html
特に見ていただきたいのは、後者の「土蜘蛛伝説」です。なぜ東博蔵「土蜘蛛草紙」の舞台が神楽岡でなければならなかったのか、その理由に対する仮説を提示してみました。かなり大胆な論とも思いますので、御批判をいただけたら幸いです。
そういえば、京都大学は神楽岡(吉田山)の麓でしたね。元木先生、あの辺にはもう土蜘蛛はでませんか?