薩摩といえば島津氏ですが、鎌倉時代には千葉氏も。

No.10248

 目下、年度内に終わらせなければならない諸事に追われておりますが、ついに風邪を引いてしまったようで身体がだるい上に喉が痛い。右目の飛蚊症も気になりますので、仕事が捗らずに困り果てております。
 来月は暖かくなって欲しいところですが、3月9日(日)に鹿児島の隼人文化研究会で、「鎌倉時代の千葉氏と薩摩・大隅」というテーマで発表をさせて頂くことになりました。昨年3月に発表させていただいた「12世紀末の内乱にともなう東国武士の鎮西進出-千葉氏の場合-」の続きの内容になると思います。
 先般、深谷市で畠山重忠に関する講演をさせて頂いたとき、南九州に畠山重忠に関する伝承の多いことについて御質問がありましたが、そんなことにも触れてみたいと考えております。ただ、準備がどのくらい出来るか、些か心配です。

 ☆ 神奈川県愛川町郷土資料館の山口研一先生より、先生の御高論「戦国期島津氏の家督相続と老中制」の収録された新名一仁編『薩摩島津氏』(戎光祥出版)を御恵送頂きました。
山口先生に、あつくお礼を申し上げます。
 ちなみに、山口先生は私の出身大学・大学院の後輩です。専攻する時代は異なりますが、これまで、たいへんお世話になりました。
 戦国期島津氏研究で多くの優れたご業績を重ねておられます。いずれ、それらを一書にまとめて頂くことを期待しています。

宗教・文化研究所『研究紀要』第27号が出来ました。

No.10246

 本号には、平成24年度宗教・文化研究所公開講座講演録要旨として、
  元木泰雄先生の「平清盛と後白河院」
  服藤早苗先生の「院政期の五節~童女たちへのまなざし」
が掲載されています。
 (写真をFacebookに掲げておきました。)
 
 私は「十二世紀末における阿波国の武士団の存在形態-いわゆる「田口成良」の実像を中心に-」というタイトルで、はじめて四国の武士団をテーマにした論文を書きました。
 読んで下さる方には抜刷を差し上げますので、ゼミの時にでもお申し出下さい。

 ☆ 相模女子大学の高木信先生より、高木先生ほかの編による『日本文学からの批評理論 亡霊・想起・記憶』(笠間書院)を御恵送頂きました。
 高木先生に、あつくお礼を申し上げます。

 ☆ 関西大学の樋口健太郎先生より、御高論「藤原忠実の追善仏事と怨霊」(『日本歴史』第787号)
を御恵送頂きました。
 樋口先生に、あつくお礼を申し上げます。

 埼玉県の熊谷・深谷に行ってきました。

No.10239

 昨日は埼玉県深谷市の川本公民館で「畠山重忠のイメージと実像」と題する講演を行ってきました。前日から出発したのですが、大雪に遭遇して、なかなか面白い経験をすることが出来ました。

 東海道新幹線では予定の列車より先に到着した自由席車両に飛び乗ったので、名古屋まで立ち乗り。「名古屋で座れるだろう。まぁ短い距離だから」と判断したのですが、その名古屋までが徐行運転でしたから、想定外の長時間の立ち通しとなりました。其の後、静岡県の東部辺りからまた徐行。さらに品川駅から東京駅までの僅かな区間でさらに15分の遅延という次第で、約1時間遅れで東京着。いつもとは逆に、空席だらけの山手線や京浜東北線が何本も通過していきました。

 この調子では熊谷にたどり着けるかどうか心配したのですが、東京駅で邂逅した高校以来の親友のアドバイスに従って上越新幹線を選択したところ、自由席はガラガラの上、猛吹雪の中を爆走して定時運行。持つべきものはよき友だちであります。

 しかし、熊谷駅に降り立つと、、そこは一面銀世界というよりも豪雪地帯そのもの。まさに雪の中を抜き足、差し足でなんとかホテルに辿り着き、「やれやれ、熱いお茶でも一服」と思ったのですが、そのホテルには驚くべきことに湯沸かしもポットも無い。イタリアに行ったときの苦労が再現されることになりました。

 さて、当日。
 講演会場のある川本公民館は秩父鉄道の武川(たけかわ)駅の近くなので、武川まで出る必要があるのですが、秩父鉄道はしばらく動きそうもないので、当初の予定どおり、熊谷寺の見学を決行。荷物を駅のコインロッカーに預けて、雪の中を歩きました。なかなか見つからなかったのですが、なんとか到着。しかし、大雪の降り積もった境内に入ることは断念せざるを得ませんでした。帰途、大通りに出ると、チェーンを巻いた熊谷駅行きのバスが走ってきたので、これに乗り込んで帰り道の困難は回避することができました。しかも運賃は100円と安い。公共交通はこうでなくてはいけません。京都は高すぎだと言わざるを得ません。

 ケータイ電話というのはこういう時は便利で、主催者から講演会の決行と、秩父鉄道がまだ動いていないから、高崎線の次の駅である籠原まで出て、そこで待つようにとの指示がありました。幸い、高崎線は籠原までは動いており、たまたますぐに到着した列車に飛び乗りました。

 籠原の駅では、雪に埋もれて閑散とした南口でしばらく待ちましたが、その間はこの駅前広場を根城にしている野良猫二匹が遊んでくれました。どこに行っても猫さんにはお世話になります。

 そうこうするうちに、スタッドレスタイヤを装着した女性職員の方の運転する軽自動車(この方の自家用車)が迎えに来て下さり、川本公民館に到着。主催者である教育委員会の方々の御挨拶を頂きましたが、みなさん雪かきの作業で大変そうでした。

 それにしても、こんな何十年ぶりかの大雪で、電車もストップしているという中、どれだけの方がお出でになるのか、かなり疑問視しており、場合によっては、このまま何もせずに引き返すことになるのではないかと懸念していたのですが、その予測は見事に裏切られ、開会の30分くらい前から、続々と車でたくさんの方がやって来られて仰天。その中には、私がかつて千葉県の高校で教員をしていたときの教え子もおられました。雪道の運転は危ないので御夫君を運転手に来られたとのこと。実に30年ぶりの再会でした。彼女からは、私がすっかり忘れていた、私の人生にとって大収穫となるような、ちょっといい話を伺うことが出来て幸せでした。

 こんな大雪なのに、ほとんど満席に近い方たちが聴きに来て下さったのは、ひとえに地元の方たちの「畠山重忠」に対する思い入れの深さの結果であるように思いました。

 先般の小山市における講演といい、地元の方たちの先人に寄せる思いは大変熱いものかあるようです。こうした情熱には歴史研究者としての使命感を突き動かされるものがあります。

 月末の小山市の調査が、楽しみになって来ました。先般お世話になった、その小山市の若い職員の方も、遠路はるばる今回の講演を聴きに来て下さっていました。

 それにしても、雪中の講演会を実現して下さった深谷市教委生涯学習課の皆様には、あつく御礼を申し上げる次第です。

 帰りは車で深谷駅までお送り頂き、熊谷と東京で上越・東海道新幹線に乗り替え、夜遅くに帰宅することが出来ました。

 写真など、またFacebook の方に貼り付けたいと思っております。
編集:2014/02/10(Mon) 11:16

帰国しました

No.10240

 野口先生、皆さん、『紫苑』12号の入稿もお任せしてしまい、申し訳ございませんでした。野口先生はご講演へのご出張もお疲れ様でした。

 私も先ほど帰国致しました。
 写真なども整理しまして、13日のゼミのときにでもご報告等させていただければ幸いでございます。おみやげもちょっとあります。

 日時:2014年2月13日(木)午後3時頃~(予定)

 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:頼家・実朝期の振り返り

 ※しばらく“振り返り”を続けていきますが、それが終わった後の範囲は以下の通りです。
     承元四年(1210)正月一日、二月五日・十日・二十一日、三月十四日・二十二日、四月九日・十九日、五月六日・十一日・十四日・二十一日・二十五日、六月三日・十二日・十三日・二十日、七月八日・二十日、八月九日・十二日・十六日、九月十一日・十四日・三十日、十月十二日・十三日・十五日、十一月二十二日・二十三日・二十四日、十二月五日・二十一日の各条
     承元五年(建暦元年、1211)正月十日、閏正月九日、二月二十二日、三月十九日、四月二日・十三日・二十九日、五月四日・十日・十九日、六月七日・二十一日・二十六日、七月四日・十一日、九月十二日・十五日・二十二日、十月十三日・十九日・二十日・二十二日、十一月二日・三日・四日・二十日、十二月一日・十日・十七日・二十日・二十七日の各条

 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しております。「授業がない期間にも史料読みたいな…」という方は、まずは見学からでも、どうぞご自由にご参加ください。
 京都女子大の方限定ではありませんよ。

『紫苑』第12号、入稿

No.10217

 本日、『紫苑』第12号の原稿を印刷所に入稿いたしました。
 入稿に際して、ちょっと思わぬアクシデントに見舞われましたが、これもよい勉強になったことと思います。何事も「経験」が物を言いますから。
 初稿ゲラは20日のゼミの時間に届けられる予定ですので、執筆者は当日は必ずお集まり下さい。
 
 一部の方にお伝えした栃木県小山市の調査ですが、藪本君と山本さんが参加して下さることになりました。調査に際しては地元の行政機関に所属する研究者の方のご案内を頂けることになりましたので、多大な成果が得られそうで、楽しみです。
 私としては、このところ飛蚊症の酷い右目の具合がよくなってくれれば更に嬉しいのですが・・・。

☆ 清泉女子大学の清水由美子先生より、御高論「資料としての軍記文学、物語としての軍記文学- 敦盛と業盛の最期をめぐって-」(『國學院雑誌』114-11)を御恵送頂きました。
 清水先生に、あつくお礼を申し上げます。

<追伸> 岩田師範は、今晩、関西空港より、「トルコ行進曲」、否「トルコ航空」にて欧州(南蛮国)遠征に旅立たれます。
 まずは、「飛んでイスタンブール」とのこと。

書評 元木泰雄著『平清盛と後白河院』

No.10210

 京都大学大学院人間・環境学研究科の『人環フォーラム』No.33に元木先生の御高著『平清盛と後白河院』の書評を書かせて頂きました。Facebookでお知らせしたところ、入手が難しいという御連絡を頂きました。いずれPDF化されるようですが、ここに原稿を貼り付けさせて頂くことに致しました。
     **************** ◇ ********************* ◇**********************

元木泰雄著『平清盛と後白河院』角川書店
 角川学芸出版  二〇一二年三月  二三九頁    定価(税込)一六八〇円
              評者 野口実(京都女子大学宗教・文化研究所 教授)

 前世紀の後半、京都大学教養部で日本中世史を講じられた上横手雅敬氏は、その最初の論文集『日本中世政治史研究』(塙書房、一九七〇年)の「あとがき」に「政治は社会的諸現象の集中的反映であり、歴史学の究極の目的は政治史にある」と断じ、氏が学問を志した当時の歴史学界にたいして「基礎構造の分析に主たる情熱が注がれ、上部構造としての政治は、その中でおのずと明らかになるという風な安易なオプティミズムが少なくなかった」と評し、「このような傾向への不満が、私を政治史に赴かせたのであろう」と述べられた。その後、国際社会における東西冷戦構造の解消などにともなって、社会変革の因果関係を下部構造の理解によって解明しようとした戦後歴史学は行き詰まりを見せ、一九八〇年代ころからは静態史観ともいうべき「社会史」が一世を風靡した。さらに、現代の歴史学はそれを通り越して、民俗学・文化人類学、さらには美学・文学に類するものが持て囃される時代になり、「政治史」ははるか後景に追いやられてしまった観がある。そして、サブカルチャーは盛んだが、「『平家物語』史観」のような、「国民共通の文化認識」そのものが社会から消滅しつつある、という深刻な状況が眼前に展開するに至っている。本書は、そうした現状に一石を投じ、「政治史」の健在を世に示したとものとして評価されるべき著作である。本文は七章をもって構成され、平清盛と後白河院が最初の政治的接点を持った保元の乱から両者の破局によってもたらされた平氏滅亡までの時代をダイナミックに描いている。
 著者は上横手雅敬氏の愛弟子で、すでに院政期政治史研究の泰斗としての評価を得て久しい。そして、これまでに、当該期を対象にした啓蒙書として『藤原忠実』(吉川弘文館、二〇〇〇年)・『平清盛の闘い』(角川書店、二〇〇一年)・『保元の乱・平治の乱を読みなおす』(NHKブックス、二〇〇四年)・『源義経』(吉川弘文館、二〇〇七年)・『河内源氏』(中公新書、二〇一一年)を矢継ぎ早に上梓されている。本書はこれらの著作に示された保元・平治の乱から平氏滅亡にいたる時代の政治の流れを、あらためて平清盛と後白河院の権力闘争という観点から捉え直し、その後の研究で得られた新たな知見を加えて叙述されたものである。著者は当該期のあらゆる史料を博捜・精読され、綿密な史料批判に基づいて論を構築される。その結果、通説的な「物語史観」の誤りが所々に指摘されることとなる。そうした作業によって藤原信頼・成親、平重盛・宗盛などの実像が明らかにされた。また、いわゆる鹿ヶ谷事件にたいする新たな評価も提示される。貴族社会の制度・慣習・人脈に精通するから、清盛の権力伸張の過程において、政界引退を前提とする太政大臣よりも事実上の皇胤および摂関家家長の認定を意味する内大臣に就任したことを重視すべきである、というような説得力のある指摘が随所に見られる。また、中世成立期の武士論研究の第一人者でもある著者は、地方武士団の動向についても中央の政局との関連を視野に入れながら卓見を差し挟む。このような目配り、貴族も地方武士も視野に入れた歴史叙述は、この著者によってしか成し得ないことであろう。
 そして、何よりも申し上げたいのは、本書が間違いなく面白いことである。自身の願望のためなら帝王の威厳もかなぐり捨てる激情の後白河院と一族の統制に腐心する沈着冷静な清盛との間で織りなされる人間ドラマが、緻密な実証をベースに語られているのは見事というほかはない。ともに支え合い、互いの地位を高め合いながら、ついに両者は最終的な衝突を迎えることとなる。不評に終わった昨年のNHK大河ドラマ『平清盛』が、この本をベースに制作されていたならば・・・と思わざるを得ない。本書は、まさに「歴史の醍醐味は政治史にある」ことを再確認させてくれるのである。
 ちなみに、上横手雅敬氏は冒頭に掲げた著書の「あとがき」に自身の研究姿勢について、こうも書かれている。「いわゆる啓蒙的著作といえども、煩瑣な考証を省き、表現を平易にしただけで、学術論文同様の姿勢で執筆したことが少なくない」と。本書の著者は、まさに師の研究者としての生き方と矜持を完璧に継承されているように思われる。
編集:2014/02/03(Mon) 00:13

二月の『吾妻鏡』

No.10216

 『紫苑』12号の原稿も無事に集まったようで、本日入稿の予定です。編集担当の池嶋さんには、今後の作業(校正など)の差配等につきまして、引きつづきお世話になりますが、どうぞよろしくお願いいたします。

 二月の『吾妻鏡』は、13日・20日・27日に開催予定です。 

 日時:2014年2月13日(木)午後3時頃~(予定)

 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:頼家・実朝期の振り返り

 ※しばらく“振り返り”を続けていきますが、それが終わった後の範囲は以下の通りです。
     承元四年(1210)正月一日、二月五日・十日・二十一日、三月十四日・二十二日、四月九日・十九日、五月六日・十一日・十四日・二十一日・二十五日、六月三日・十二日・十三日・二十日、七月八日・二十日、八月九日・十二日・十六日、九月十一日・十四日・三十日、十月十二日・十三日・十五日、十一月二十二日・二十三日・二十四日、十二月五日・二十一日の各条
     承元五年(建暦元年、1211)正月十日、閏正月九日、二月二十二日、三月十九日、四月二日・十三日・二十九日、五月四日・十日・十九日、六月七日・二十一日・二十六日、七月四日・十一日、九月十二日・十五日・二十二日、十月十三日・十九日・二十日・二十二日、十一月二日・三日・四日・二十日、十二月一日・十日・十七日・二十日・二十七日の各条

 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しております。「授業がない期間にも史料読みたいな…」という方は、まずは見学からでも、どうぞご自由にご参加ください。
 京都女子大の方限定ではありませんよ。

「演習Ⅱ」・「基礎演習Ⅱ」のレポート回収終了

No.10188

 すべての履修生からレポートの提出を頂きました。
 どんなテーマをとりあげたのか?今後の資料にもなると思うので、各レポートのタイトルを掲げておきたいと思います。

 [演習Ⅱ]
 「香川県の観光について」「新撰組でのまちづくり」「ディズニー誕生について」「古代から現代にかけての貨幣の歴史」「浮世絵の歴史」「かわいいは正義」「京都の観光問題について」「伊勢神宮」「日本の自殺問題について」「お菓子の歴史」「民族差別について考える」「天理市と観光」「裁判員制度について」「地域振興の必要性」「京都の観光振興」「漫画の歴史」「日本の化粧文化と流行の昔と今」

 [基礎演習Ⅱ]
 「児童虐待について」「現代の日本の人気アイドルの歴史と人気について」「女子教育」「伝統を持つ京野菜について」「エンターテイメントに関する著作権について」「様々な外国から見た日本」「東京オリンピック」「世界のスターバックス」「地域産業と旅産業」「富山に訪れる外国人観光客について」「オリンピックと経済効果」「女性のキャリア」「子どもの社会学について」「伏見の地域振興について」「朝鮮王朝について」「現代社会における家庭内の子どもの役割」

現社レポート受付終了・『紫苑』入稿間近・論文集企画&『中世の人物』(清文堂出版)の進捗状況

No.10184

 現代社会学部で私が担当している「基礎演習Ⅱ」「演習Ⅱ」のレポート受付は終了しました。かなり一生懸命に取り組んでくれたようなので、これから読ませて頂くのが楽しみです。

 次に、前回書き込んだ論文集の企画についてですが、メールで参加意志をお伝え下さった方や直接話の出来た数名の方には具体的な方針をお伝えしました。2年ほど先の刊行を目標に、これから話を詰めていければと思っています。
 歴史・文学の専攻を問わず、このゼミに参加されたことのある方(現在の居住地が遠方でも構いません)で、この機会に論文を一本発表してみようという方は、とりあえず御連絡頂ければ幸いです。

 『紫苑』は印刷所も決まり、次はいよいよ入稿という段階に到りました。執筆者の皆さん、宜しくお願いいたします。そして、編集長の辣腕に期待しています。

 最後になりましたが、私が編者を担当させて頂いている『中世の人物 京・鎌倉の時代 第2巻 治承~文治の大乱と鎌倉幕府の成立』(清文堂出版)の進捗状況をお伝えいたします。
 出版社からの連絡によりますと、再校ゲラは1月28日に印刷所から出校される予定で、到着後、速やかにご執筆の先生方に送付させていただきますので、今しばらくのご猶予をお願い申し上げたいとのことです。
 ちなみに、元木泰雄先生編の『中世の人物 京・鎌倉の時代 第1巻 保元・平治の乱と平氏の栄華』は、すでに全ての執筆者から再校ゲラが返送されたとのことで、出版に向けての作業は順調に進行している模様です。

 【追記(蛇足)】Facebookに貼った通知表の写真は、まぎれもなく私の高校時代のモノです。

来年度の開講科目と論文集の企画について

No.10176

 ようやく来年度担当科目のシラバスの入力作業が終わりました。結構、考えさせられることが多く、難航いたしました。
 しかし、授業は「生モノ」ですから・・・。

 担当科目は9科目。これに、キャンパスプラザ(大学コンソーシアム京都)の特別講座科目が加わると10科目になります。
 まだ、時間割が決まっていませんから、研究所ゼミの日程は決められませんが、新年度は学部生が<激減>しそうですから、授業時間による制約は私の授業にばかり関わってくるのかも知れません。

 それから、2年先を目途に、かつて、何らかの形で当方のゼミナールに参加して、現在、日本史や日本文学のジャンルで活躍している方たちによる論文集の刊行を目指したいと考えています。
 具体的なことは、これから検討したいと思いますが、この企画に賛同してくれる方、或いは編集作業をお手伝い頂ける方は、当方に其の旨御連絡頂きたくお願い申しあげます。

レポートの提出について

No.10174

 「演習Ⅱ」・「基礎演習Ⅱ」のレポートですが、すでにお伝えしてあるように、締切は21日(火)17時です。
 私が研究室(L校舎西隅の宗教・文化研究所教授室)に不在の時は、研究室ドア横のレターボックスに入れておいて下さい。
 なお、評価表の添付も忘れずに。
 とくに事情があって、期日までに提出できないという人は、E・メールで連絡して下さい。

 ☆ 大阪大学大学院生の前田英之さんより、御高論「平家政権の成立と宇佐宮領」(『鎌倉遺文研究』32)・「国家的収取における本所沙汰と平家政権」(『ヒストリア』241)を御恵送頂きました。
 前田さんに、あつく御礼を申し上げます。

入試もはじまりますが-次回の『吾妻鏡』-

No.10175

 30日(木)は大学が入試期間に入るため『吾妻鏡』もお休みとなります。1月は次回23日開催分で終了し、来月は参加者の皆さんのご都合も考えながら木曜日にこだわらず柔軟に開催していきたいと思います。

 日時:2014年1月23日(木)午後3時頃~(予定)

 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:頼家・実朝期の振り返り

 ※しばらく“振り返り”を続けていきますが、それが終わった後の範囲は以下の通りです。
     承元四年(1210)正月一日、二月五日・十日・二十一日、三月十四日・二十二日、四月九日・十九日、五月六日・十一日・十四日・二十一日・二十五日、六月三日・十二日・十三日・二十日、七月八日・二十日、八月九日・十二日・十六日、九月十一日・十四日・三十日、十月十二日・十三日・十五日、十一月二十二日・二十三日・二十四日、十二月五日・二十一日の各条
     承元五年(建暦元年、1211)正月十日、閏正月九日、二月二十二日、三月十九日、四月二日・十三日・二十九日、五月四日・十日・十九日、六月七日・二十一日・二十六日、七月四日・十一日、九月十二日・十五日・二十二日、十月十三日・十九日・二十日・二十二日、十一月二日・三日・四日・二十日、十二月一日・十日・十七日・二十日・二十七日の各条

 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しております。新しい年に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞご自由にご参加ください。
 京都女子大の方限定ではありませんよ。

今日の「基礎演習Ⅱ」と「演習Ⅱ」

No.10173

 いつも駐車場がいっぱいにならないうちに出勤しているのですが、今日は大学にとってとても大切なお客様がたくさんの車でお見えになるようで、A校舎の駐車スペースがかなりの部分既に囲い込まれており、出車の難しいスペースへの駐車を余儀なくされることとなりました。こういう時のために、運転技術は磨いておきたいものです。

 ところで、昨日中に書き込まなければならなかった本日の「基礎演習Ⅱ」・「演習Ⅱ」の予定ですが、今日は最後の授業日であり、もう既に全員の報告が終わっていますから、全体のまとめと反省点や今後の展望について話し合いたいと思います。
 
 レポートを提出する人は受け付けます。なお、その際に「評価票」の添付をお忘れなく。