注に挙げられているのに、見つけられない話。

No.9962

 目下、来週の研究会で報告するために、12世紀末の阿波の有力武士「田口成良」に関するレジュメを作成しています。その中で、 久安二年(1146)七月十一日「河人成俊等問注申詞記」(『愚昧記』裏文書,『平安遺文』2583)を取り上げたいのですが、ある論文に、これに触れた先行研究として戸田芳実「初期中世武士の職能と諸役」(『日本の社会史』4)が注に示されていました。書架を見たところ、あいにく『日本の社会史』のこの巻だけが見当たらないので、この論文が再録されている戸田先生の論文集『初期中世社会史の研究』で参照したところ、この文書に触れた記述は全く見つかりませんでした。
 また、老人呆けであることをおそれますが、もし戸田先生あるいは地元以外の研究者がこの文書に関説した論文を御存知の方がおられましたら、御教示いただければ幸いとするところです。

 当時の阿波一宮の比定とか、なかなか厄介で頭が混乱しております。そもそも、「田口成良」という呼称も問題があり、如何様に表記すべきか迷っております。しかし、どうして田口成良(重能)という名で一般に流布してしまったのでしょうか。
 それにしても、中世前期の西国武士団の研究は、一次史料が多くて(あくまでも、東国との比較において)、なかなか新鮮です。

 ☆ 高知大学の市村高男先生より、御高論「四国における中世城館と交通」収録の、橋口定志編『中世社会への視角』( 高志書院)を御恵送頂きました。
 市村先生に、あつく御礼を申し上げます。

【追記】 戸田先生の論文の件、Facebookに同じことを書いたら、すぐに熊本の小川先生から御教示をいただけて、解決致しました。こんなとき、Facebookというのは便利なのですね。
 小川先生には、本当に感謝あるのみです。

 なお、ほかにこの文書に関説した論文を御存知であったり、「田口成良」の表記についてのお考えをお持ちの方がおられましたら、よろしく御教示頂きたくお願い申し上げます。

【追々記】 坂口君から1892年~2005年の間に発表された 7件の関係論文を教えて頂きました。
      ありがとうございました。
      そういえば、坂口君の御高論が『史学雑誌』最新号の巻頭を飾っております。とても重厚な内容です。
編集:2013/05/21(Tue) 20:05

早退させていただきますが…-次回の『吾妻鏡』-

No.9963

 前回から、『吾妻鏡』頼家・実朝期の記事を抜粋して振り返りを行っております。史料を挙げながらいろいろな問題について意見交換していきますので、とくにこれといった予習もなくご参加いただけると思います。

 日時:2013年5月23日(木)午後3時頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:頼家・実朝期の振り返り

 5月も木曜の午後、23日・30日に開催予定です。

 23日は私(岩田)は都合により4:00過ぎには退場させていただきますが、ご了承ください。

 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、早くも夏の訪れを思わせる季節に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。京都女子大の方限定ではありませんよ。