非違を検する使(つかい)

No.9952

 月曜日に京都勤労者学園で「武士と検非違使」のお話をするので、そのための資料づくりをしています。しかし、検非違使の仕事というのは、武士の担当業務に相応しい軍事・警察のみならず、裁判から清掃・水防、国家・王権に対して秩序を乱す、あらゆる問題=「穢」の取り締まりを一手に引き受けていたわけですから、分業はされていたとはいえ大変だったと思います。
 現代社会で「秩序を乱すもの」といったら、すぐに思いつくのは環境破壊とかネット犯罪。平安時代に入ってから、社会の変化で律令制に基づく行政機関が機能不全を起こしたときに、令外官として検非違使が出現したのと同じように、今の社会もお役所の機構をどんどん変えていく必要があるのかも知れませんね。お役所だけではないか?
 しかし、歴史学上の「穢」の問題というのは、京都にいるとよく分かります。
  昔、ある民間の博物館に勤務していた頃、あまりの待遇の悪さにふと不満を漏らしたとき、国立大学に勤める某研究者から、「歴史を商売にしている者にとっては京都にいるだけでも給料月額5万円くらいの価値があるのだから、がんばりなさい」と、暖かいが変な励まし(?)をいただいたことを思い出しました(私は今、これを受け売りにして、使っています)。
 
 とすると、京都の大学で日本史を専攻している学生さんは、学費が安いと思わなければいけないという理屈になるのかな?「どうですか?」と滝沢さんにフる。

【追記】Facebookの方に、岩田君が伊豆旅行や学習院の兵藤先生のゼミのみなさんを法住寺殿跡に御案内したときなどの懐かしい写真を貼ってくれました。
    伊豆旅行では、山田先生御夫妻のお姿も!うな丼もあります。
編集:2013/05/11(Sat) 23:20

御指名をうけまして、

滝沢智世
No.9953

 野口先生、確かに京都は博物館・史跡が身近にたくさんあって訪れやすく、また地理的・風土的な感覚が理解しやすいので、京都で日本史を学ぶことができて本当によかったと思っています。
 地方から出てくる場合は交通費だけもかなりかかりますし、特に風土感覚は実際に住んでみないとわかりませんので。京都に来て4年目ですが、いまだに春の訪れの早さに驚かされています。

 ただ、自分が地の利を生かして月5万円分も他の地域の学生さんより学べているのかといわれるとその自信はないのですが・・・。

アンチ京都の人たち。

No.9954

 滝沢さん、回答ありがとうございます。
 どこにだって歴史はある。「京都」、「京都」と喧伝されるのは不愉快である。私も昔、そう思いました。
 「首都論?、どうせ京都の話でしょ、わかった、わかった」みたいな発言も、(とくに武士好きの人たちから)よく聞かされます。

 しかしですよ。良質な史料(文献のみならず遺跡・遺物・・・)が圧倒的な分量と密度でのこり、地名や伝統技術も継承されて、景観もほとんど昔と変わらない。考古学的な情況証拠と文字史料の突き合わせが可能、なんていうところは世界的にも稀有でしょう。
 だいたい、前近代の史料のほとんどは京都やその周辺にのこされているのですから、ただ史料を読む上でも、せめて平安京の街路の名前くらいは知っておかないとマズイ。

 京都で日本史を学ぶメリットをお金に換算するのはナンセンスかも知れません。ただ、この恵まれた環境を享受する意志如何にかかる。
 葵祭なんか下宿や寮から歩いて見に行けるでしょう。その後で、『小右記』から賀茂祭の記事を拾って読んでみる、なんて最高ではありませんか?
 
 ちなみに、高校生の時、修学旅行で京都に来たとき、三十三間堂に並ぶ観音様の数に圧倒されましたが、「朱雀」とか「醍醐」というのが、現行地名として日常の中に生きているのを知り、京都の高校生は日本史学習の上で、ちょっとズルイ立場にいるなと思いました。千葉の地名なんて、日本史の教科書にちっとも出てきませんから。「加曽利貝塚」くらいか?