トンブクトゥ古文書救出作戦

山田邦和
No.9847

野口先生、私の誕生日を気にかけていただき、ありがとうございます。

最近のニュースで、感動した話をひとつ。

アフリカのマリ共和国が内戦状態であり、先日、フランスが軍事介入したことはご存じの通りと思います。その過程で、歴史地区が世界遺産に指定されているトンブクトゥが争奪の的となりました。トンブクトゥはサハラ砂漠の貿易中継地として13世紀以降に栄え、イスラーム研究の中心都市でもありました。そこには12世紀からの貴重な古文書の大群が残っており、国立研究所のほか、60以上の私立施設が古文書を守ってきたといいます。しかし、今回の内戦でこの古文書群が失われたというニュースが世界を駆け巡りました。

ところが、続報で、この古文書群の大半が、実は救い出されていたことが判明したのです。それも、反政府武装勢力が町を占領する直前に、古文書を砂漠に埋めて隠したといいます。
「ここの人々は大昔のことを覚えている。古文書を隠すのには慣れている。砂漠に出て、安全になるまで埋めておくんだ」。

さらに驚いたこと。国立研究所の所員たちは武装勢力が侵攻してきた時、いったんは首都バマコに逃げ出しました。しかし、彼らは改めて、約1200キロ離れたトンブクトゥに密かに潜入し、武装勢力の目をくぐり抜けながら、深夜などに研究所から徐々に文書を回収したというのです。さらに、古文書は砂漠を行き来する交易商人の助けを借り、文書の箱の上に粉ミルクや米の袋など実際の商品を載せてカムフラージュし、首都バマコの安全地帯まで運んだ。最終的には、研究所が所蔵する古文書約45,000点のうち約20,000点は武装勢力の放火で失われたものの、約25,000点が救出されたというのです。もちろんこれは命がけです。もしこうした行動を武装勢力に見つかったら、否応無しにその場で射殺されていたはずです。彼らは命を張って古文書救出にあたったのです。

これだけでも感動的なのですが、私がもっとも心打たれたのは、トンブクトゥのひとりの観光ガイドさんが語った言葉です。
「これらの古文書は、この町の本当の黄金だ。
「古文書、私たちのモスク、私たちの歴史、これらは私たちの宝なのだ。
「それがなければ、トンブクトゥなど何ものでもない。」

これ以上、何もいうことはありません。この高貴な人々に、一刻も早い安寧の日が来るのを祈っています。

【出典】http://mainichi.jp/feature/nationalgeo/archive/2013/01/30/ngeo20130130003.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130202-00000013-mai-m_est
http://mainichi.jp/select/news/20130202k0000m030189000c.html

歴史を伝えゆく人々に幸いあれ!

No.9848

 山田先生、よいお話をありがとうございました。

 われわれが研究に活用している、この京都にのこされている文献史料も、応仁の乱など幾多の戦乱をくぐり抜けてきたもので、その過程で多くの先人たちの命懸けの努力があったのだろうと思います。
 ないがしろには出来ません。当然のことながら、後世にしっかりと伝えていかなければならないものと存じます。
 人々が歴史を顧みることを怠るようになってしまった、今日のような時代に、私たちの責任は重大だと思います。

 ところで、山田先生にとって、今年の誕生日はさぞかし感慨深いものがあったことと思います。
 しかし、古代学協会時代、あの少年のように初々しかった山田さんが、もう50代半ばとは。こうして、時は過ぎ去っていくのでしょう。
 しかし来年は、四捨五入すると、山田さんと私は同年代ということになりますね。