たどりついたらいつも雨ふり

No.9772

 むかし、こんなタイトルの歌がありました。ギターをかき鳴らして芝浦工大や青学の仲間達と大声で歌った記憶があります。 吉田拓郎氏の作詞・作曲だったでしょうか。

 ところで、昨日の「もちもちぃんウォーク」で史跡見学の講師をつとめて下さった岩田君・佐伯君、それに同行して種々お手伝いを頂いた山本さん・滝沢さん・真鍋さん、ありがとうございました。
 私は身体・頭脳ともに疲れ気味のため、昨年のようには行かなかったので、内心忸怩たるものがあるのですが、伏見区醍醐支所の方たちの熱心な取り組みには本当に頭の下がる思いでした。地元のボランティアの方たちのパワーにも昨年同様に感動致しました。

 栢ノ杜遺跡では京都市埋蔵文化財研究所の山本先生が、出土遺物の展示と解説をして下さり、「ウォーク」}のレベルを越える充実した内容であったと思います。
 また、一般市民に交じって若い府議会議員の方が参加して下さったのも、うれしいことでした。地域の住民とその代表が地域の歴史をしっかりと認識することは、地域の未来づくりの前提だと思います。

 講座でも述べましたが、「栢ノ杜遺跡」の名称では、そこが何の遺跡なのかよく分かりません。ここにあった寺院の門に掲げられていた寺の名に「醍醐」を冠した呼称が適切だと思います。この寺の名を史料から発見された坂口君の研究成果の公表を待望する次第です。

 今日は普段より一時間ほど余分に朝寝をして、それから後回しにしていた仕事に取り掛かろうと考えていたのですが、日曜の朝であるにも拘わらず、様々な情報手段を通じて、いろいろな仕事が届けられ、かえってやる気を失っております。外は雨ですし。
 そこで思い出したのが、タイトルの歌。
 歌詞のなかには「ところが、おいらは、何のために、こんなに疲れてしまったのか」というフレーズもありましたね。

 とは言っても、このまま休んではいられません。重源や千葉常胤を見習って頑張りたいものです。
編集:2012/11/11(Sun) 11:49

秋はどこへ-次回の『吾妻鏡』-

No.9773

 昨日は野口先生のお手伝いで「醍醐もちもちぃんウォーク~「方丈記」と「平家物語」の里を歩く~」に参加させていただいてまいりました。
 運営に当たられました伏見区醍醐支所のみなさん、社会福祉法人 南山城学園新和光のみなさん、ご協力いただいた醍醐・日野地域のみなさん、参加者のみなさんに御礼申し上げます。
 朝から好天に恵まれ、法界寺・恵福寺・日野家の墓・栢ノ杜遺跡・平重衡の墓などの史跡を見学することができ、たいへん充実した機会となりました。

 朝夕のみならず、昼間もすっかり寒さを感じる季節となってしまい、秋の情緒もなにもあったものではありませんが、次回の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2012年11月13日(火)午後3時頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:元久二年(1205)六月二十二日・二十三日・二十六日・二十八日、七月一日・二十日、閏七月十九日・二十日・二十五日・二十六日・二十九日、八月二日・五日・七日・十一日・十六日・十七日・十九日、九月二日・二十日、十月十日・十三日、十一月三日・四日・十五日・二十日、十二月二日・二十四日の各条
     元久三年(建永元年、1206)正月十二日・二十七日、二月四日・二十日・二十二日、三月十二日・十三日、五月六日、六月十六日・二十一日、七月一日・三日、十月二十日・二十四日、十一月十八日・二十日、十二月二十三日の各条

 11月は、13日、20日、27日に開催予定です。

 火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、新年度から何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

来年6月の公開講座のテーマは「摂関家」です。

No.9774

 毎年、6月の第四土曜日に開催している当研究所の公開講座「東山から発信する京都の歴史と文化」ですが、来年は、「摂関家と地方社会とのネットワーク」をテーマに実施する予定です。

 院政期以降の摂関家の存在形態と、摂関家領鎮西島津庄と京都との関係が取り上げられることと思います。
 講師の先生お二方には、すでに内諾を頂きました。
 
 詳細は後日報告致しますので、お楽しみに。