「正四位上」の意味?高橋説?

美川圭
No.9526

 先週は会津若松から東京への道程でしたので、見ませんでした。ビデオに録ってあるのですが、それも見ていません。

 今週は何とか見ました。

 忠盛が正四位下から正四位上に昇進した話を前半でやっていました。これって、時代考証を担当している高橋昌明先生の説?
 
 でも少しおかしい。

 普通、正四位下から正四位上を飛び越えて、従三位、つまり公卿になるのに、ならなかったのは、院や貴族たちの武士に対する差別だとかどうとか、ということになっていました。武士を公卿にさせないための。

 しかし、高橋説ではたしか、正四位上にするのは、忠盛を公卿に昇進させるため、という記憶があります。従三位昇進をたくさんの貴族が正四位下で待っているので、少しでも早く昇進させるため、あえてあまりつかない正四位上にして、すこしでも有利な立場にしておいたというふうに理解していました。

 ドラマが終わってから、高橋先生の『清盛以前』(平凡社ライブラリー)を確認しました。たしかに、227頁につぎのようにあります。

 「正四位上への叙位は、忠盛が公卿昇進のⅢβのコースにのったことを示す。従三位に昇進せず四位にとどまる官人は、正四位上に叙せられることがなかったといわれ、先の分析結果からも従三位への昇進を促進する措置とみなせる。」

 と確かに書かれています。つまり、ドラマではまったく高橋説と逆の意味に、この「正四位上」をとっているわけです。つまり、正四位上への叙位は、鳥羽院あるいは貴族が忠盛を公卿に昇進させない気だと。たぶん、一般視聴者は、ほんとうはそのまま正四位下から従三位に昇進させなかったのは、公卿にさせないため、という説明に納得してしまったかもしれません。
 
 しかし、高橋説のすごいところは、それを打ち破ったところにあり、たぶん高橋先生の実証のもっとも冴え渡ったところなのです。この正四位上への叙位は、いかに忠盛が鳥羽院近臣として重用されていたかということを示しています。鳥羽院は何とか忠盛を公卿にしようとしていた。と少なくとも私は今まで考えてきました。
 
 ところが、それが大河ドラマでは正反対にされ、しかも高橋先生がいったいこれにOKを出したのか?

 こんな不可思議なことはありません。高橋先生は自らの学説を撤回したのでしょうか。私はあの緻密な議論を知っているので、まさかと思います。どう考えたらいいのでしょうか。

 もう1回ビデオに録ってあるところを見なおしてみようと思いますが、それはまだやっていません。こんなおかしなことはめったにありません。

岩田慎平著『乱世に挑戦した男 平清盛』を推薦します。

No.9527

 今回は、まず質問ですが、強訴する山法師たちの先頭に、のちに天台座主になる、貴族出身でバリバリの学侶であるはずの明雲がいましたが、あのような設定は可能なのかどうか?

 つぎに、明らかに俗説に迎合してしまったのが、頼朝を尾張の生まれとしたこと。これを支持する研究者は、まずおられないでしょう。名古屋で、この時代の歴史を真面目に研究されている方たちが一番困ると思います。

 この調子でいくと、義朝の下野守補任を、院に水仙を届けた功績によるとでもしてしまうのではないかと心配したのですが、さすがにそれはなくて一安心
 ・・・等々、いろいろ申し上げることはあるのですが、何よりもこの時代の政治・社会がどんなものであったのかを理解することが肝要。それを、読者に媚びるような形でなく、この時代を専門にする研究者が誠実に分かりやすく提示した本を御紹介致します。

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 岩田慎平著『乱世に挑戦した男 平清盛』(新人物往来社)

 日本史教育の衰退した今日、毎年NHKで放送される大河ドラマはその市民向け教科書のような役割をになっている。高視聴率をあてこんで、前年の秋頃から、ドラマのテーマに即した内容の書籍が続々と出版される。しかし、その多くは歴史作家と呼ばれる人たちによって書かれたもので、ここぞとばかりに、謎解きのような話が展開されるのだが、歴史の骨格そのものは分かりやすいステレオタイプの旧説が再生産されることになる。

 歴史への関心や理解ということについて、一般市民と研究者との間に深い断絶が生じていることは長く指摘されている。大河ドラマがらみの出版は、研究成果の市民への還元を行う上で絶好の機会のようにも思うのだが、大学に所属する中堅の研究者は多忙で書き下ろしの余裕などはなく、若手研究者もポストを得るためには研究論文を優先する。しかも学界の一般的風潮として、テレビドラマの人気などに便乗した一般向けの本を書く行為をさげすむようなところもある。

 そんな状況に一石を投じるかのように本書は出版された。著者の岩田慎平氏は一九七八年の生まれ。コーヒー店のアルバイトで生活を支えながら日本中世史の研究に立ち向かっている頼もしい若者である。すでに、平安~鎌倉時代の武士に関する論文もいくつか発表されており、大学院では平氏政権の研究者として令名高い田中文英氏に師事し、現在は院政期政治史研究の第一人者である元木泰雄氏の主宰される研究会で、その謦咳に触れている。したがって、本書は最新・最高の研究成果を反芻した上に、彼自身の視点を織り込み、しかも、一般の読者に対する心配りが籠められた内容であり、源平内乱期の政治史に関する入門書としても最適な本といえる。大河ドラマとの関わりで刊行されたにせよ、モチベーションの高い若い研究者によってこそ世に出すことの出来た出色の本である。
 将来に希望を持って真摯に研究に取り組んでいる若い研究者に白羽の矢を立てた編集者の見識にも心よりの讃辞を送りたい。
               (『京都民報』2011年12月25日付より、一部の改行を変更して転載)
編集:2012/03/26(Mon) 00:16

水仙を宅配便で送らないと枯れます

美川圭
No.9528

 今回のメインは待賢門院の死だったのでしょう。檀れいさんは綺麗ですし、待賢門院も美しい人だったのでしょう。水仙エピソードを創作して、視聴者を泣かせようという魂胆らしいのですが、あんなもんでは泣きません。だいたい、何で武士に水仙をつんでこさせるのか、わけがわかりません。しかも、義朝が陸奥から水仙をもってくるという話。あほらしい。宅配便でもあったのでしょうか。枯れるにきまってるではありませんか。何をとちくるっているのか。

 白河法皇は目の前で家来に清盛の母を射殺させたのに、鳥羽法皇は待賢門院の死の床から家来に抱きかかえられて排除。白河も鳥羽も大きな権力をもっているのに、どうしてケガレに対する描き方が全く違うのか。鳥羽法皇と待賢門院の関係は、このドラマではわけがわからなく、完全に破綻しています。両者ともにおかしい。愛は人を狂わすからどう描いてもいいと考えているのでしょうか。

 相変わらず、清盛も単細胞で、激高するばかり。馬鹿者です。院御所の中らしきところで、完全武装で、義朝と喧嘩するのは、何だかもうあほらしくて。昔、殴り合ってから、仲良くなるという浅薄なドラマがよくありました。

 相変わらず、貴族や寺社勢力は腐敗堕落していて、武士だけが新しい世の中を作れると思っているらしいです、貴族社会にどっぷり浸かっているはずの武士が、土にまみれているような雰囲気なのは、そのせいなのでしょう。土深い農村から生まれた武士たちが世の中を変える。60年ぐらい前の歴史観です。

そのあとにあった、藤原家成の台詞

美川圭
No.9529

 「正四位上」問題について、かなり気になったので、その部分などをもう一度ビデオで見なおしました。そうしたら、出家した信西の回想シーンで、「武士を参議?三位?に昇進させる気が無い」と叫ぶ信西に対し、平家に近い院近臣藤原家成が、「正四位上は三位昇進を促す意味もある」と発言していました。

その前にあったシーンでは、「正四位上」で武士を三位に昇進させない意図はあきらかであった、というナレーションがあるので、全体の方向性はそれで決まっています。私の推定、あるいは想像ですが、あの家成の一言は、あとで脚本にむりやり挿入されたのではないでしょうか。そこが時代考証の高橋先生の一言で。でも家成のその発言も、信西や鳥羽法皇の続く台詞でかき消され、ほとんど印象に残らなかったのです。「どうせ武士を公卿に昇進させる気は無い」ということです。

 いちおう、その辺りは、謎はとけたような気がするのですが、それにしても付け焼き刃というか、変なやりとりです。いちおう高橋先生の御説には配慮しておりますよ、という感じです。でも私どもは違う解釈をさせていただきます、というのかな。