卒業生、修了生に幸あれ。

No.9516

 今日は京都女子大学の卒業式の日です。晴天ですが、風が強くて、いささか寒い。
 私は10時開式の文学部・現代社会学部の式に出席致しました。
 川本先生の学長式辞は、原発事故にたいする報道のあり方に触れる内容で、例年の如く大変考えさせられる中身の濃いお話でした。

 話はかわりますが、最近、「政治過程は偶因によって決定されるから、政治史は社会経済史をベースに語られるべきものである」という意見のあることを知りました。こう考える人はけっこう多いのかも知れません。だから近年、私のイメージする「政治史」が低調なのかも知れないということも分かりました。
 しかし、政治過程が偶因で説明されるということになると、小説・漫画の類が「歴史学」の世界に跳梁跋扈する事態に陥ってしまうのではないでしょうか。
 けっこう研究者の間にも、発想の面で、深くて暗い大きな溝があるのだ、ということを実感させられる話でした。

 上横手先生の『日本中世政治史研究』や元木先生の『院政期政治史研究』は、政治史研究の真骨頂を示したものだと思うのですが。中公新書の『河内源氏』も、また然り。

 ところで、明日は『紫苑』第10号の再校ゲラの提出日です。執筆者のみなさん、くれぐれもお忘れなきように。

 ☆ 國學院大學の松尾葦江先生より、松尾先生御編の科研報告書『「文化現象としての源平盛衰記」研究-文芸・絵画・言語・歴史を総合して-』第二集を御恵送いただきました。
 松尾先生にあつく御礼を申し上げます。
編集:2012/03/15(Thu) 14:32

大河ドラマに対する歴史学者のスタンスの背景

No.9517

 昨日は、A地下で、裏返しになってしまった京女弁当の注文券をひっくり返してくれた親切な学生さんに遭遇したのですが、滝沢さんでしたね。帰省はされないのかな?

 15日の卒業式の日には、御両親共々御挨拶に来て下さった卒業生の方もあり、恐縮に存じました。
ゼミメンバーの進学先などの情報は新年度に入ってから、また追々にお知らせ致します。

 当方のゼミメンバーもしばしば出席させて頂いている中世戦記研究会の次回開催日は5月19日(土)に予定されていますが、ここで、この度、修士課程を修了された粟村亜矢さんに御報告頂くことになりました。先輩・後輩諸兄姉も応援に駆けつけてほしいところです。

 それから、10年ほど前にゼミに所属していたと名乗る人から、当方に相談事があるとのお電話を頂いたということを事務の方からうかがいました。耄碌のためか、お名前に記憶がなかったので、こちらから連絡は差し上げませんでしたが、また、あらためてE・メールででも御連絡下されば幸いです。

 昨年執筆した「東国武士研究と軍記物語」という拙文の中に、上欄で指摘した問題に関係する部分がありましたので、ここに抄出しておきます(注は省略)。
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 史実の解明は実証の作業であるから、あくまでも科学的に行われなければならない。しかし、研究者は常に、彼(彼女)の生きる時代の常識や思潮に制約される。前近代以来、『平家物語』は源平内乱期の歴史そのものとして受容され、その歴史観は血肉化するにいたっていた。平家政権の評価、鎌倉幕府の成立事情、そして東国武士認識という観点から、その影響を考えてみよう。
 面白いことに、滅び行く平家と新興の源氏、勇敢な東国武士と軟弱な平家(西国武士)を対比させた『平家物語』史観は、近代以降今日にいたるまで、その時々の要請する歴史観と整合しながら存続し続けているのである。
 明治維新後、西欧から近代史学の方法が伝えられたとき、平家は古代国家の武力と理解される一方、東国武士は西欧史におけるゲルマンの如く中世を切り拓く存在として位置づけられた。ついで、軍国主義教育が隆盛を極めるようになると、『平家物語』に示された質実剛健な東国武士のイメージが再生産、強調されるようになる。マルクス史観(唯物史観)が主流を占めた戦後歴史学は、皇国史観を徹底的に排撃したにもかかわらず、あたかも東国武士を農民・労働者、京都の貴族と貴族化した平家を地主・資本家になぞらえ、武士が貴族との階級闘争に勝利していく図式をもって古代から中世への展開過程として理解しようとした。戦前戦後一貫した、この歴史認識は広く国民一般に流布・再生産され、現在にいたっている。
 しかしながら、戦後歴史学は社会経済史中心で「下部構造」を重視するものであったから、人物史や具体的な政治過程に関する研究が停滞・退歩することとなったのは否めない。系譜や人的なネットワークの研究は、政治的に反体制の立場に立つ硬派の第一線研究者の間では、軽視というよりも「枝葉末節の軟弱な議論」として侮蔑の対象とする雰囲気も醸成されたのである。しかし、一般市民の歴史に対する関心は社会構造や理論にではなく、人物や事件にあるから、こうした歴史学の研究は社会還元されにくいものとなり、研究者と一般市民の歴史認識の乖離・断絶は広まる一方となった。こうした二重構造を補完する役割を国文学が担った側面は否定できない。歴史学が社会科学の一ジャンルとして位置づけられることにより、市民的な歴史理解は史学よりも文学に委ねられる結果となったのである。人物史・事件史など、国文学研究に受容される研究を行った歴史学者もあったが、彼らは歴史学界では主流の位置からはずれ、旧守的な存在と位置づけられるような状況が続いた。
 (千明守編『平家物語の多角的研究』ひつじ書房、2011年、233~234頁)