上総常澄登場

No.9513

 郷土史にのめり込んでいた少年時代の私が見たら、さぞ喜んだであろう上総常澄の登場。

 源義朝が東国の在地勢力間の紛争の調停者であったという意見を認めて下さったのは有り難いことですが、しかし、あの常澄の風体は凄まじい。そういえば、『草燃える』で名優小松方正が演じた上総広常もあんな感じで、石坂浩二の演じる頼朝に「ブエイ、ブエイ」とからみまくっていたのが思い出されました。

 少なくとも大河ドラマにおける上総氏(広常は常澄の子)に対するイメージは、あれ以来変化無しということのようです。近年、武士は流通と生産に依拠する都市的存在で、内裏大番役の勤仕が「武士」身分獲得の前提であるとか、幕府成立以前の段階でも、坂東の有力武士は、さかんに浄土庭園を付属させた寺院を造営していたとか、そういう成果が次々発表されていたはずなのですが・・・。

 まぁ、佐藤義清が出家した頃、すでに位階は四位に達し、中務大輔や肥後守の官歴を有していた清盛が、あんな姿なのですから仕方ないといえば仕方ありませんね。

 上総氏に興味をお持ちになられた方には、市販の拙著『武門源氏の血脈』(中央公論新社)や『源氏と坂東武士』(吉川弘文館)を御笑覧頂ければ幸いです。
 ちなみに、後者の拙著で、平治の乱後、相馬御厨にかかわる係争に介入した源義宗を、通説に従って佐竹義宗に比定致しましたが、それは誤りだったようです(詳しくは前者の拙著を参照してください)。

 そういえば、千葉から京都市伏見区の小野に移り住んだばかりの頃、近くの醍醐寺に散歩に出掛けたところ、宝物館に『醍醐雑事記』が展示されており、その端のめくれたところ(要するに紙背文書)に、常澄の名を見つけて感激した覚えがあります。研究にも「縁」はつきもののようです。

 先生方、お後を宜しくお願い致します。

 * 鈴木君、これを→http://goo.gl/82p3U どうもありがとうございました。
  発掘調査現場の様子もさることながら、先生方のお姿が楽しそうでいいですね。
編集:2012/03/11(Sun) 23:48

待賢門院の首を絞め、子供は虐待

美川圭
No.9515

 遅く帰ってきて、ビデオで見たところです。
 
 今回は、西行の出家が主題です。
 
 それにしても、この西行がまったく、感情移入できない馬鹿者です。
 
 待賢門院の首は絞めるは(身分差から考えるとまったくありえないが)、
 かわいい子供を蹴りつけるは。あきれて物が言えません。
 わざとらしく、髻を切って、出家しますが、こんな無礼な人間は、腹を切ってほしい。

 しかも、それを見ている、相変わらず単細胞清盛が、涙を流している。どうかしたか。
 待賢門院への愛ゆえとか、お助けしたい、とかほざいておりますが、どうみてもそうは見えない。
 ドラマになっていない。おそろしく脚本が浅薄。耐えられぬ。
 
 ほんとうの西行が、いまごろ草葉の陰で泣いていることでしょう。

 雅仁が鳥羽院の子ではないとか、美福門院に言われて、国母(天皇の母)である待賢門院が「なりこさまあ、とりけして」などと言っているのも、おかしいでしょう。そんな呼び方するわけがありません。

 せりふがひどく聞き取りにくい。とくに語尾が肯定か、否定か、ビデオを再生し直す場面が何カ所も。出来が悪いです。さすがに、視聴に耐えがたい思いがつのってきています。勘弁して。