後白河登場

美川圭
No.9502

 先週は、台湾におりましたので、見ておりません。ビデオに録ってはあるのですが、見なくて済めば見たくないという気持ちが強く、見ていません。ある程度予想できるので、怖いもの見たさ、という気分にもなりません。

 今週は、後白河の登場がメインのようですね。たぶん、汚い平安京を汚いカッコで歩き回り、今様なんぞを歌うんだろうと予想していましたら、だいたいはずれませんでした。清盛がもう四位なのに、汚いカッコで歩き回っているのには、あきれます。きたないボロをまとわせると、リアリテイが出ると思い込んでおられるようですね。黒澤映画の悪い影響です。画面が汚いと話題になっているので、図に乗っているのかもしれません。本質的には、そういうことではなくて、ドラマが描けてないところに、問題かあるのですが。


 待賢門院を美福門院が罵倒したり、後白河が父鳥羽院と母待賢門院を面前で軽侮したり、やりたい放題で、あれで歴史的リアリテイが出るわけがありません。現代の2時間ドラマではないわけですから。

 当時は身分制社会で、しかもその中枢の朝廷なのですが、作り手がこの身分制というのがとても苦手というか、すこしも理解できないらしい。現代日本は身分制社会ではありませんからね。

 今回も、白河法皇の血筋は「もののけ」だという発言が・・・。後白河に清盛もいわれていまして。でも後白河も白河のひ孫であることはまちがいないし、現代の皇室も白河法皇の子孫であることをお忘れなきように。王家という言い方がいろいろ批判されていますが、こっちの方が問題ではないでしょうか。少なくとも、唯一の評伝を書いた私としては、これほど白河法皇が悪く言われるのは、あまりよい気分ではありません。

ところで、近藤先生はご覧になっているかな。後白河の髪型、あれ元服前の親王の髪型のつもりだと思うのですが、あれでよろしいのでしょうか。私、そういうことはよくわかりませんので。うちの家族がなんだか、聖徳太子とか、奈良時代みたいな髪型だね、と申しております。ご教示願えれば幸いです。
編集:2012/03/04(Sun) 22:54

参考文献の御紹介

No.9505

 たしか、近藤先生は大河ドラマ御覧になっていないと仰っていたように記憶致しますが。
 いずれにしましても、美川先生にまったく同感です。身分や社会制度にたいする無理解は昨年のドラマも同様だったそうですが。

 樹上で大童になっている義朝主従に三浦義明が在地紛争の解決?を懇願している場面も面白かったのですが、それはさておき、歴史に興味を持って御覧になっているみなさんに、参考文献の御紹介です。

 ① 京都が汚いという点について、
   髙橋昌明「よごれの中の京都」(同編『朝日百科 歴史を読みなおす12 洛中洛外』朝日新聞社)

 ② 後白河院と民衆の交流?について、
   辻浩和「後白河と<都市民>」(『古代文化』60-3)  
編集:2012/03/05(Mon) 10:05

水戸黄門と公家新制

美川圭
No.9506

そうでした。たしかに近藤先生は見ておられませんでした。

身分制がある程度描けないと、時代劇をつくる意味がないと思いますが。水戸黄門でも身分制がテーマですから。

この紋どころが目に入らぬか!ははあー!

黄門=中納言

公家新制のあまりに細かい服飾規定に、学生時代にうんざりしましたが、あれこそが、公家社会のコアの部分ですから。そこがわからないと、公家社会をドラマにはできません。

元服前の親王等の髪型

近藤好和
No.9507

美川先生、野口先生、こんにちは。
今、開いたら、私の名前が出ているのでびっくり。
確かに、私は大河ドラマをまったく見ておりません。
大河ドラマ関連の原稿や講演の仕事でもあれば見ますが、
今回はそういう仕事の依頼もまったくありませんので、
見る必要も感じていません。

しかし、美川先生のご質問、聖徳太子などの名前が出ているとすれば、
その髪型は、頭の両サイドで髪を束ねた「みづら」(総角とも)だと思います。
「みづら」であれば、元服前の親王等の髪型として間違いではありません。
ただし、ドラマのどういう場面ででてきたのかはわかりませんが、
「みづら」は、元服(加冠)の時などの童形の晴儀の髪型で、
天皇を除いて、日常的に「みづら」であったかどうかは定かではありません。

ところで、今回のドラマは、歴史設定も相当に酷いようですが、
装束などの問題もおそらく酷いのでしょう。

なお、手前味噌で恐縮ですが、公家装束が身分標識であることは、
拙著『装束の日本史』(平凡社新書)を御覧下さい。

「みづら」です

美川圭
No.9508

 大河をごらんになっていないのに、的確なご回答。さすがです。

 その「みづら」「総角」だと思います。元服前の親王の髪型でまちがいないのですね。大河というのは、けっこうそういうところは、正確だったりするので、逆にやっかいです。部分的な装束が正しいから、史実に忠実とはいかないわけですから。

 ただ、ハレの髪型だとすると、あの髪型で京都市中で博奕などをやっているというのは、おかしいかも、ということですね。まあ、日常の元服前の親王の髪型などわかる史料はないのでしょう。

 近藤先生のご教示に感謝致します。