業務連絡(プリンター)・吉野&神崎庄・為義亭・菊酒

No.9494

 今日はドラマ関連の書き込みがないようなので、まず業務連絡から。
 ゼミ関係の方で、プリンターにキャノンのPIXUSシリーズのip3600/ip4600/ip4700/MP540/MP550/MP560/MP620/MP630/MP640/MP980/MP990/MX860/MX870を使用されている方は、当方に御連絡下さい。とくにお願いしたいことがあります。

 3月8日の岩田君主催の見学会は吉野に行かれるようですが、事前勉強に疲れたら、このDVDを借りてきて御覧になるとよいと思います。蔵王堂もロケ地になっています。さらに、かつてゼミ旅行で訪れた伊勢の二見浦の夫婦岩も出てきます。
 『男はつらいよ』第39作「寅次郎物語」(マドンナは秋吉久美子)

 今日のドラマですが、神崎庄の倉敷が博多にあるということが視聴者には分かりづらかったのではないでしょうか。私は神崎庄で交易をする宋船の多くは有明海に来航したと考えているのですが。
 それから、為義の邸宅が出てきましたが、あれが六条堀河亭ということになるのでしょうか。地方の小領主の宅のイメージでは?
 菊酒は、この前のゼミの時間に講読した『吾妻鏡』建仁元年九月九日条に出てきましたね。

 それから、『台記』ですが、そんなに生やさしい史料ではありません。本気で取り組みたいのなら、元木先生に師事するに如かざるものがあります。

 つぎに宣伝です。
 ドラマの源為義はいかにも困窮の為体ですが、私は武士成立史の上で為義の役割を積極的に評価しています。拙著『武門源氏の血脈』(中央公論新社)を御覧下さい。また、佐藤義清の系譜や彼の武芸については、同じく『伝説の将軍 藤原秀郷』(吉川弘文館)に詳述致しました。御参照ください。
編集:2012/02/26(Sun) 23:54

博多の神崎荘?

山田邦和(同志社女子大学)
No.9495

野口先生、こんばんは。

今晩の大河ドラマ、のっけから「博多の神崎荘」と出てきて、目を剥きました。ただ、最後の紀行コーナーになって、博多にあった神崎荘の倉敷であると種明かしがされてましたので、一応の説明はつきました。しかしあれが倉敷ですかな。あれは完全に貿易港の市場になってしまっています。平家荘園の博多の倉敷に多数の商人や民間人が出入りして自由闊達に商売をやっているというのは理解に苦しみます。それに、おいおい、忠盛さんよ、院宣を偽造しちゃマズいだろ!、とツッこみたくなりました。清盛が博多で始めて宋銭のことを知るというのもアホすぎますね。確かに平安京に銭が入ってくるのはまだ一般的ではないのですが、それでも皆無というわけではない。銭という存在すら知らないとは、この清盛君、世間知らずもほどがあります。
 それに、平安京のシーンが必ずあのケッタイな市場なのは、そろそろどうにかならないですかね。「一遍聖絵」に鎌倉時代の平安京の東市が描かれていますが、それと似ても似つかないボロボロの市場ですね。だいたい、市場の向こうに崩壊寸前の門があるが、あれは何だ! 羅城門だなんて言ったら怒るぞ! そんな市場が当時の平安京に存在しなかったとはいいませんが、それだけが平安京と思われるのは心外だ。この時期の京都をワザと惨めに見せようという悪意が感じられ、不快きわまりないものです。
 加藤あいさん演ずる高階明子、もう後の重盛の妊娠を報告してましたね。さっさと退場せずに、じっくりと出てくださるよう、お願いします。

 >石浜さん、ごぶさたしております。お目にとまり、恐縮です。またお目にかかりたいですねm(_ _)m

追記:すみません、改めて考えると、上記は説明不足でした。平忠盛が院宣を詐称して神崎荘で貿易をおこなったことは史実ですが、違和感があったのは、単なる詐称ではなく、院宣を「偽造」して、しかもその証拠物件を易々と相手に渡すかな?、というところでした。おわびして追記します。
編集:2012/02/27(Mon) 12:50

美川先生は京都新聞で語っておられました。

No.9496

 美川先生の御出座がないと思っていたら、今朝の京都新聞に「崇徳上皇の出生の謎は事実か」という記事があり、そこに角田文衞説に対する美川先生の御見解が、要領よくまとめられていました。
 美川先生の御説が今日の、政治史研究の成果の水準を示すものと言えましょう。
 在京のみなさんは、御一読下さい。