たるんだドラマ

美川圭
No.9474

 最近の大河ドラマでこまるのは、ドラマとしてひどく間延びしていること。今日の話も、まったく緊迫感のかけらもない。

 だいたい、清盛と信西が何しに海賊の唐船めざして行ったのかよくわからない。信西が漢文が読み書きできるならわかるが、何で中国語が話せるのかがわからない。博多か大宰府にでもいて、貿易を担当していたという設定なのだろうか。それだったら、忠盛が中国語話せたという方が、おもしろかろうと思うんです。九州の肥前神崎荘での貿易の話が、この保延元年(1135)の海賊追討の2年前ですから。私だったら、そういうお話をつくります。

 ともかく、それで海賊に捕まって、自分がこの海賊の首領の父を殺した忠盛の子だとばらしてしまうので、とうぜん命が危うくなる。こういうところは、ふつうの人間だと自分の命があぶないので、言わない。こういうおばかはけっしてあとで権力をにぎったりできない。

 それで、なんだか人質になり、平家一門がおびき出される。ところが、この海賊の首領はまるでアホで、おびき出された平家一門が近づくのがわからない。このあたりのドラマの運び方は、ふざけているのか。視聴者をなめているのか。それとも作り手がしろうとなのか。小学生か幼稚園児なのか。

 45分のドラマだが、だいたい25分すぎから、あほらしくなって、見続けたくなくなります。長ーいです。時計を見ながら、ほかのことをやりたくなってくる。海賊の首領と清盛が殺し合いをしているようなシーンが延々と続くが、しかしどうみてもじゃれている。周りの戦いは終わっているらしく、みんな見学している。

 去年の大河も、戦国時代だというのに、妙に緊迫感がなかった。今回もそうである。史実と違うとかもう言わないので、なんとかもう少し眼が離せないような歴史ドラマをつくってくれないだろうか。無理なんだろうか。昔の大河ドラマのパロデイのつもりなのだろうか。

 ちなみに、最近、ローワン・アトキンソン(いわゆるMr.ビーン)主演のジョニーイングリッシュ、気休めの報酬という007のパロデイ映画を見に行きました。かなりよくできたコメデイでした。お勧めです。

(頼朝) 「母熱田大宮司季範女」

No.9475

 「史実と違うとかもう言わないので」という立場からすれば、もうどうでもいいことなのですが、せっかくですから、私も一言。

 当時の熱田大宮司家を尾張の在地豪族、そして頼朝を尾張国熱田(現、名古屋市)の生まれと誤解している人は多い。その再生産につながるような描かれ方は困る、ということです。

 熱田大宮司の職は頼朝の外祖父にあたる季範が担っていましたが、それは名誉職的なもので、このころ彼は京都に常住しており、頼朝も京都の生まれであることがほぼ確実です。
 頼朝の母(?~1159)が待賢門院や上西門院と関係の深い家の女性で、そうした環境に生まれ育ったことが、頼朝の政治的立場を規定することになったこと等については、角田文衞「頼朝の母」(『王朝の明暗』所収)に詳述されています。
 そのあたりのことは、拙著『武門源氏の血脈』(中央公論新社)でも触れておきました。

 ちなみに、頼朝の母の名を「由良」とする伝承も、出典詳らかならざるところです。
編集:2012/02/13(Mon) 00:12

身分が違いすぎる待賢門院と得子

美川圭
No.9476

 皇女をみごもった得子と待賢門院が出会い頭に、待賢門院の方が道をよけるシーンがありましたが、ありえませんね。得子はまだ女御にもなっていないと思いますが、待賢門院はすでに中宮をへて、ということで身分が違いすぎます。どだいこのレベルの作り手に、このあたりを要求しても無理だとは思いますが・・・・。

 この作り手の頭では、頼朝はできるだけ田舎から出てこないとこまるんでしょうね。武士は東国の草深い農村、西では海賊の中からでも出てこないと、既成の秩序は倒せないと思い込んでいるのでしょう。そして、アホで乱暴で無鉄砲な若者こそが、えらくなるのでしょう。

突然おじゃましてしまい、ご迷惑ではないかと心配しております。

長瀬
No.9477


以前から、先生方の御高説うかがえて、大変為になっております。

私は、大河は小学生時代の「国盗物語」から見ていて、「新平家物語」は、時代背景が良くわからないまま、清盛が叔父を処刑したシーンとか、そういうものが若干記憶に残っております。

大河のお陰で歴史が好きになったようなものですが、結局歴史とは関係ない分野を専攻して、関係ない分野で仕事もしております。趣味として、愛好家として、古文書とかを今も学んでおります。

この掲示板では、御高説ほか、一般向けで良質の本を御紹介いただき、野口先生の『武門源氏の血脈』も買わせていただきましたし、美川先生の『院政 もうひとつの天皇制』も読ませていただきました。最近では岩田慎平先生の「平清盛」を読ませていただき、大変素晴らしく、多くの知識を与えて下さる本であると感謝しております。

さて、本論ですが、大河が歴史好きのきっかけとなる小中学生は、私だけでは無いと思います。それで、どうしても、史実とフィクションを識別下さり、時代考証・年代のズレ等ご指摘いただくと大変参考になります

耐えがたいドラマかもしれませんが、1年色々ご指摘くださると、幸甚でございます。

大河ドラマから歴史家へ

美川圭
No.9478

 長瀬さん、迷惑なんてとんでもありません。よろしくお願い致します。拙著も読んでいただいているそうで、ありがとうございます。

 15年ほど前に出しました『院政の研究』(臨川書店)の「あとがき」にも書いたのですが、私が歴史好きになり、しいてはそれが職業となってしまったのは、大河ドラマのおかげです。もっと、具体的に言えば、たしか小学校3年生の時にやっていた「太閤記」です。高橋幸治の信長と緒形拳の秀吉の魅力にとりつかれてしまいました。とくに、本能寺の変は強烈な印象で、しばらく「切腹」のまねをしつづけてしまいました。当時の大河ドラマのレベルは高く、けっして子供だましではなかったはずです。しかし、ほとんど当時の映像はのこっておらず、残念です。

 そんなことなので、大河ドラマには格別な思い入れがあります。それゆえに、最近の惰性でつくっていることを疑わんばかりの出来にほとほとあきれるばかりです。ここのところ年末にやっていた「坂の上の雲」は、そこで描かれる思想には異論があるのですが、それでもドラマとしての出来はよく、日本海海戦のシーンでは画面に釘付けとなりました。ああいうシーンが撮れるNHKなのに、こと大河となると、去年のでも戦国時代なのに、ろくに合戦シーンもない、およそ緊迫感の感じられないドラマでした。現実は、東北の大震災のすさまじさなのに対して、ドラマの方はあまりにも腑抜けていました。

 世間ではどこかの市長が「画面が暗い」と言ったとかどうとか、どうでもいいようなことが言われていますが、あまりそんなことには関心がありません。

 そんなことなので、できる限り、今回の大河にはおつき合いし、苦言を呈していく所存です。作り手は、いちいち歴史家の言うことを聞いていたら、おもしろいドラマなどできないと思い込んでいるのかもしれませんが、私はそんなことはないと思っています。いいかげんな作り物より、事実の方がずっとおもしろいのです。なにとぞ、1年間おつきあいください。