《平家》の重囲の中で孤立無援

No.9376

 京都女子大は、本日後期授業再開。仏前成人式もありました。

 さて、このところお騒がせしている『武門源氏の血脈』。
    http://www.chuko.co.jp/tanko/2012/01/004318.html
 本を出すと、諸方の反応が気になるといいましょうか。やたらと、そんな書き込みばかりしていて、端(はた)から見ると大いに馬鹿げていることだろうと思います。

 それを承知で、また書き込むわけですが、すでに都市部では店頭に登場したようで、高校以来お世話になっている親友からは、東京は池袋の大書店に並ぶ拙著の写真が送信されて参りました。
 どうやら、大河ドラマ関連本コーナーに配架されているようで、周囲を数多の平家本に囲まれております。しかし、いろいろ出ているものですね。

 執筆中の「八幡太郎」の方は、ようやくどうにか形になって来た・・・という段階です。これから何度も読みなおして、推敲に推敲を重ねる必要あり。今の感じでは、すっかり教科書みたいであります。しかし、あまり奇を衒うのもよくありませんから、この程度が無難なところでしょうか。

衝撃の大河ドラマ?

元木泰雄
No.9377

 きっとこうなるだろうな、と思いながら、怖いもの見たさで見ました。何をって、もちろん大河ドラマを。

 武士は王家の番犬、血塗られた汚れた存在という、昔ながらの描き方には、やっぱりという感をうけました。あのころ、忠盛はすでに伯耆守であり、自らチャンバラはしないと思いますが。
 衝撃的なのは、院御所で、殺人行なわれたこと。仏教信仰に篤く、殺生禁断例を何度も出した白河法皇が、自分の目の前で、しかも何やらわからない理由で処刑を命じ、追い詰められて切りかかった元の愛妾を射殺させたのには、ただ唖然・茫然でした。地獄変の悪影響でしょうか??
 殺生禁断例がどうのという以前に、藤原忠実が血にまみれた忠盛を忌避する場面を設定しながら、よくこんな場面が作れたものです。脚本家は何を考えているのでしょうか?プロデューサーは矛盾を感じないのでしょうか?これでは時代考証の先生方も大変ですな。お察しいたします。
 歴史的にどうのという以前のお粗末な脚本に、ただただあきれ返りました。

 正盛・忠盛が怪しげな盗賊と切り合いをしたり、忠盛が自ら海賊船に乗り込んで、海賊を一網打尽にしたりは、まあ娯楽時代劇的サービスなのでしょう。でも、戦闘形態は、もう少しリアルにしてもらいたいですね。かつて大河ドラマには品格があって、水戸黄門や桃太郎侍とは一線を画したものですが・・・

 白河院と待賢門院の醜聞を映像化したのも、別の意味で驚きました。一種の天皇制タブーに対する挑戦かもしれません。でも、残念ながら最新研究では否定されているのですがね。おどろおどろしく、世を混乱させる元凶である院政という、戦後歴史学の成果に則った理解ですね。
 まあ若いころ非行に走った清盛が、西行や文覚と交わるという設定自体、戦後歴史学の影響下にあった吉川英治の世界といえるでしょう。結局、NHKの歴史認識は、武士と貴族を階級闘争でとらえるという、半世紀以上前の認識のようです。
 こうなったら、水戸黄門も終わったことですので、古代末期の腐敗の元凶院政・院近臣、貴族・寺社などの荘園領主勢力と戦いながら世直しを目指す、さっそうとした清盛を描く「痛快時代劇」に徹してもらいたいものです。いざとなったら、印籠の代わりに三種の神器か何かを取り出してはいかがでしょうか(笑)

「紅旗征戎、吾事に非ず」の心境

No.9378

 当方も、授業や市民講座で関連する話をすることになるだろうということで、あえて視聴致しましたが、驚くことの連続。まず、政子には(一人称「オレ」だった)財前直見さんの時以上に驚かされましたが、院御所での殺戮の場面には驚く以上に絶句、驚愕いたしました。

 もう少し、新たな(あるいは真面目な)歴史理解(あえて「認識」とは言いません)に基づいたものになっているのではないかと思っていたのですが、見事に裏切られました。
 大河ドラマで、これをやられてしまうと、一般の方々は、これをその時代のイメージとしてしまいますから、今後の市民講座など一苦労だと思いやられます。どっと疲れを感じました。

 でも、このドラマを切っ掛けにして、この時代の真の歴史を考えようとする賢明な視聴者もおられることと思います。微力ながらも書物をもって対応するに如かずかと考えております。
 それにしても、この仕事をしていて日頃感じている空しさを、このドラマは、あらためて、しっかりと、そして、強く、噛みしめさせてくれたように思います。

 しかし、先学から受け継ぎ、そして自らこれまで積み重ねてきたこの仕事を止めるわけには参りません。少なくとも私たちの書いた本の読者には、わかって頂けるものと固く信じるしかありません。

 今年は、片目を開きつつ、定家の如く「紅旗征戎、吾事に非ず」でまいることに致しましょう。

皇国史観かもね

美川圭
No.9379

 町内会の新年会に行っていたため、20:30ごろからしか見ていないのですが、何で白河法皇のまえで女が射殺されるのか、まったく理解不能。目を白黒させてしまいました。天皇制を堕落させた院政の元凶は白河法皇、というのは戦前、とくに皇国史観でしょう。それを武士が正していくわけですから、混乱した政党政治を軍部が立て直していくのと同じでしょう。それが、いまの政局にオーバーラップしていくと、嫌な感じがします。家内の話だと、最初に頼朝と政子が登場したそうですね。政子はまるで漁師のような出で立ちだったとか・・・。私の本など読んでもらっているはずはないことは、最初からわかっておりますが。

「平清盛」第1回

山田邦和(同志社女子大学)
No.9380

みなさんこんばんは。
研究会でへべれけになり、帰って来てから録画で「平清盛」を見ました。
白河法皇の前での殺人に目が点になったこと、あいかわらずの「腐った貴族」史観に呆然としたことについて皆様と同感ですのでそれは別にして、
私が「オイオイ」となったのは、崇徳の即位直後に、白河(伊東史郎)と璋子(檀れい)の不倫関係を知った鳥羽上皇(三上博史)が嫉妬のあまり半狂乱になっているシーン。これは困る。だってそうでしょう。崇徳の生誕は元永2年(1119)で、即位は保安4年(1123)。この段階で鳥羽と璋子の夫婦関係が破綻してしまうハズがない。だってそうでしょう。崇徳の下には、大治2年(1127)生まれの後白河がいる。保安年間に鳥羽と璋子が喧嘩別れしていたら、後白河の父親までもが白河法皇なのか?という話になってしまう。んなアホな。

ドラマなのだから、史実に絶対忠実に、とはいいません。しかし矛盾は困る。描くんならば、次のうちどれかでないと後白河の父親の説明がつかない。
 1. 璋子は不倫しながらも、一方では鳥羽との夫婦関係を続けている。
 2. 鳥羽は璋子の不倫を知って嫉妬に狂うが、しかし彼女を熱愛して求めてしまう。
 3. 鳥羽は璋子の不倫をまったく知らない寝取られ男。
そう思いませんか?

待賢門院院政

美川圭
No.9383

 鳥羽天皇(院)があんなに嫉妬に狂っているなら、じいさんが死んだらすぐに自分の子どもではないとわかっている崇徳を退位させ、自分の子どもであることが確実な後白河に位をつがせなけりゃだめでしょ。そうしないと鳥羽院政なんてできない。
 それをやっていないんですから、結論は自ずからはっきりしているのです。崇徳の実父が白河法皇というのは、後白河を即位させるため藤原忠通あたりがながしたガセねたか。たとえ崇徳の実父が白河法皇であったとしても後白河即位の少し前まで、鳥羽はそれを知らなかったんでしょう。崇徳が生まれたところで、自分が実父でないと知っていたら、そのあとつぎつぎ璋子とのあいだに後白河など子どもはつくらなかったでしょうね。
 いったいこのドラマどうつじつまあわせる気ですかね。璋子がこわくて、鳥羽は白河法皇死後も崇徳退位以下なにもできなかったとするのでしょうか。それだったら、鳥羽院政じゃなくて、美福門院登場、近衛天皇即位までは、

待賢門院院政

という新(珍?)説を提示しなくちゃ。
いままでそんな説を聞いたことないけれど。案外画期的な説だったりして(笑)