はじめまして

No.937

 鹿児島に住んでいます永山といいます。野口実さんにいつもお世話になっているものです。今回も、お世話になるついでといってはまずいのですが、この掲示板をご覧の方に御教示いただきたく、初めてお邪魔させていただきます。
 最近、鹿児島市の横井竹ノ山遺跡(発掘は鹿児島県埋蔵文化財センター)で面白い墨書土器が出土しました。その状況は概略以下の通りです。
 口径15cmほどの土師器の高台付埦が口縁を逢わせた形で埋められていました。古代の調査面は狭く、遺構はこれ以外には確認されていません。土師器は、2個とも内側・外側とも赤色顔料が塗ってあります。(外面は、口縁から4分の3程度が塗られています。鹿児島では、内外赤といってそれほど珍しいものではありません。)時期は、9世紀後半のものということです。上の(蓋)土師器に「肥道里」(おそらく人名)の墨書が体部外面に正位で墨書され、底部内面に「八万」と刻書されています。下の土師器には、計3字が体部外面に正位で墨書されています。「子」と「☆□」で、これは土師器の反対側に描かれています。五芒星の下の字は判読できません。
 横から見ると「肥道里」と「子」は、位置をそろえて書いてあり、だいたい南向きに置かれていました。したがって五芒星の方は、だいたい北を向いています。
 遺跡は、近世の参勤交代路のすぐ横にあり、交通路としては古代にさかのぼる可能性のあるところです。
 祭祀に関わるものであることは明らかだと思われますが、はたして具体的にどのような祭祀があり得るのか、もちろん可能性の話として、御教示いただければ幸いです

陰陽道研究上の重要史料。

No.938

 古代史を専攻されている方は永山先生をよくご存じだと思います。先生は鹿児島ラ・サール学園にお勤めで、隼人文化研究会の事務局を担当されるなど、古代史に限らず、南九州史全般にわたって大活躍されている方です。小生、鹿児島経済大勤務時より今に至るまで、たいへんお世話になり続けております。
 ここに御紹介いただいた遺物は、陰陽道的な呪術祭祀が地方社会でどのように行われていたのか、あるいは陰陽道そのものの社会的意味を究明する上で、きわめて貴重な史料だと思います。永山先生からの情報により、すでに、陰陽道を研究されている山下克明先生と花園大学の山田邦和先生には、御教示をお願いしているのですが、小生からも、出来るだけ多くの、様々なジャンルを御研究の方からの御教示をお願いするものです。
 なお、出土状況の写真はここで御覧下さい。
 http://maibun.net-shinwa.co.jp/f2.html