なつかしい小城に行ってきました。

No.8951

 先週の17日(木)は私の恩師、貫達人先生の三回忌でした。この日の『吾妻鏡』講読会には沢山のメンバーが出席してくれて、先生もさぞかし喜んで下さったことと思います。

 先生は、かまくら春秋社の鎌倉叢書全35巻の監修を担当され、そのうちの一冊として『吾妻鏡の世界』という本を刊行される予定がありました。いまさら乍ら、それが実現されなかったのが残念でなりません。私が貫先生からうかがった『吾妻鏡』論は、すべてゼミの時間、出席者に伝授させて頂きたいと思います。

 週末は風邪でダウン気味でしたが、20日の日曜日は佐賀県小城市で開かれた肥前千葉氏のシンポジウムに出掛けてきました。小城の方たちとのお付き合いはもう20年ほどになりますが、今回は懐かしい方々との再会が多く、体調の悪さを忘れて楽しむことが出来ました。住む人びとが文化を大切にし、心やさしく穏やかであるばかりか、電線の地中化など街並みの整備も着実に進められていて、こういう町に育った子どもは幸せだろうなと思いました。

 映画『男はつらいよ』に登場した小城駅も昔のままでしたし、後藤久美子の演じた及川泉の通った小城高校の前も通りました。そして、この高校の校長をつとめられ、現在郷土史会の会長をされている岩松先生や映画のロケの際に活躍された当時小城町の観光課長だった真子さんと久しぶりにお話しする機会を得て、なんだか映画の中に入り込んでしまったような気分に陥ったりも致しました。

 小城に行くと必ず大変お世話になる古庄さんには、今回も例のごとし。この場を借りて、御礼を申し上げます。小城市役所には歴史を勉強された若い方がたくさん採用されたようで、この地は本当に将来が楽しみです。

 シンポの会場は文化財に指定されている小柳酒造の昭和蔵でしたが、ここのお嬢さんは私が鹿児島経済大学に在任中、いつも最前の席で熱心に受講してくれた教え子です。彼女とも久方ぶりにお目にかかることが出来ました。お父上も、小城の文化向上のために活躍されておられます。

 このような、地方から湧き起こる文化のエネルギーの存在を実感することが出来て、何か未来に光明が見出せたような気持ちになりました。

 懇親会を開いて下さった小城の郷土史会のみなさんも頼もしい方ばかり。私もだんだんお仲間にいれて頂けそうな年齢にせまってきたようです。そういえば、『男はつらいよ』では、寅さんが郷土史会の方たちと吉野ケ里遺跡の見学に出掛けるような場面もありました。

 小城は千葉・京都・鹿児島とならんで、私の人生の故郷の一つになりました。

 なお、木曜日のゼミの出席者には、小城羊羹を召し上がって頂きたいと思っています。


 目下、東京の有名な出版社で、新著出版の準備を進めて頂いています。現在、「あとがき」を書いたり帯の文面を編集者の方が考えて下さったりしている段階にあります。
 『研究紀要』に書いた論文は初校校正中です。

 すべて書き下ろしの著書については、短いものや前提となる研究成果のあるテーマのものが先になることもあろうかと思いますが、出来るだけお約束の古いものから順に完成させていきたいと思っております。
 よろしく、お願い申しあげます。

 今週末(26日)は、学習院大学で開催される中世戦記研究会に出掛ける予定です。ゼミの関係者で行かれる方がおられましたら、お知らせ下さい。