医学博士渡辺淳一『天上紅蓮』

美川圭
No.8277

 昨日の朝日新聞夕刊を読んでいたら、渡辺淳一氏の小説『天上紅蓮』がとりあげられていました。あの白河法皇と待賢門院のあいだの性愛をあつかった小説です。自分の研究分野に関係が深いといっても、いちいち小説家の歴史小説に関心をもつことはないのですが、今回はちょっと気になります。渡辺氏が「医学博士」だからです。歴史的知識はともかく、医学的知識は私よりはるかに上であるはず。しかも、新聞の記事によると、角田先生の本をとりあげながら「法皇も自分の子を生ませやすい時期を調べさせたはずです」と述べているのです。受胎時期を推定できる荻野久作先生の世界的な学説を角田氏は知っていて(本質を理解されていなかったことは『古代文化』の論文で論証したつもりですが)、あの本を書いたのですが、白河法皇はこの学説を知るよしもない。いったい、それではどうやって受胎時期を推定できたのか。そのことが、この小説に書かれているのか。時間を見つけて読んでみることにします。

オギノ式避妊法を実践していた璋子

美川圭
No.8278

 気になったので、急遽買ってきて、いそいで読んでみました。白河法皇も璋子も、荻野説をご存知だったようです。璋子さんは鳥羽天皇とのあいだに子供ができないように、バースコントロールをしていたということです。何百年も前にオギノ式避妊法実践していた。はっきりいって、トンデモ本です。

 医学博士っていったって、もう医学の学会にもでていないだろうし、考えれば当然かもしれません。医学のことなんてもう何にも知らないということが、166頁で角田先生の誤った荻野説理解をそのまま踏襲しており、よくわかります。少なくとも、医者だったんだから、しっかりしてほしいですね。

 まあ、そんなもんか、と予想はしていましたが、現代作家のレベルにもがっかりです。荻野説がよく理解できていないのなら、一応、歴史学の最新研究も見ておかないと、こういうトンデモ本を出版してしまうことになります。角田先生って、渡辺さんよりどれくらい年上。父親世代でしょ。その人の本に今頃触発されて、本書くってどういうことなんでしょうか。若い人の研究に触発されたというんなら、りっぱですが。

 1600円返してほしいです。

小説家と歴史学者との懸隔?

No.8280

 美川先生の御論文とは、『古代文化』第56編第10号の巻頭に掲載された「崇徳院生誕問題の歴史的背景」です。

 私はてっきり、渡辺氏は美川先生と音信を取り交わした上で、この小説を書かれたのだと思っておりました。
 そんな内容だったとは・・・、ちょっと驚いております。

 ちなみに、昔、『新平家物語』を執筆した吉川英治氏が、中世史研究の大家だった豊田武先生(私もお世話になりました)とともに取材旅行に行ったときの写真というのを拝見したことがあります。

JINー仁ーと比べると?

美川圭
No.8281

 子供のときから、医者にだけはなるまいと思っていたのですが、この10数年医学というのがとてもおもしろいことに気がつきました。まわりが病気になったり、自分が病気になったりすることが多くなり、そのたびごとににわか勉強をすると、興味がつきませんね。人間の身体というか、生命というのは。
 待賢門院の生きた時代、子供はいつできると考えていたのでしょうか。男性の「射精」は目に見えますから知っていたでしょうが、女性の「排卵」は見えませんね。また「受精」もわからないはずですね。それこそ、謎に満ちていたのではないかと思います。そこに宗教が介在する余地が大きかったのでしょう。日本でいえば、それこそ「神仏のご加護」ということになるのでしょう。とても、オギノ式避妊法に近いことを考えたとは思えないのです。そういうことを、渡辺氏は考えたのでしょうか。
 今年の前半、大河ドラマの時間のあと、民放で「JINー仁ー」というドラマをやっていました。ずいぶん評判が高かったので、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。幕末にタイムスリップした現代の脳外科医が、引きおこすさまざまな事象を描いた作品でした。単なる興味本位のドラマではなく「医の倫理」の問題などについても踏み込んだみごたえのあるものでした。大河ドラマ「江」などお話にならないほどの「大人のドラマ」でした。これの原作は村上もとか、という人のマンガなんです。現代というのは、いろいろと変化が激しいのですが、かつては子供のものだったマンガが、もっとも大人のドラマを生みだし、NHKの大河ドラマは子供だましにもならない。そして、渡辺氏の小説は、出来の悪いポルノ小説なのですが、『文藝春秋」という立派な雑誌に連載されていたのです。まったく何の問題意識もない小説で、白河法皇はただのスケベ老人に描かれています。残念なことです。