「頼朝さん、蔵の中には興味なし」

No.8155

 つまらぬ駄洒落にこだわったりして一見元気そうだが、実は中身はボロボロで一触即発の状態というのが、われわれ中高年の身体の実態なのかも知れません。

 さて、昨日の『台記』研究会は美川先生の御報告。後白河院を取り巻く文化と政治の関わりについての実に興味深い内容。元木先生の研究史に関するコメントも得て、例の如く頭の中の情報を気持ちよく整理することが出来ました。
 拙著『源氏と坂東武士』の「あとがき」にも記したように、この研究会で得るところは極めて多大。ありがたいことです。

 満仲の原稿は、図書館に依頼した資料待ちの状態です。それにしても、芸能史に関する無知が歴然。伊藤さんが京都に居ればいろいろ教えて頂けたのに残念です。

☆ 國學院大學の森幸夫先生より、御高論「南北朝動乱期の奉行人斉籐氏」(『鎌倉遺文研究』27)を御恵送頂きました。
 斎藤氏というと、『紫苑』第3号に掲載された山本陽一郎君の論文「北陸地域と比企氏-疋田斎藤氏の御家人化の背景-」が思い起こされます。
       http://donkun.ath.cx/~sion/organ/sion_003.pdf
 森先生に、あつく御礼を申し上げます。

本日もやります『吾妻鏡』

No.8156

 日時:2011年5月26日(木)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:弘長三年(1263年)十一月二十三日・二十四日、十二月九日・十日・十一日・十六日・二十四日・二十八日・二十九日の各条
    文永二年(1265年)正月一日・五日・六日、二月九日、三月四日・五日・七日、四月二十五日、閏四月二十日、五月二日・三日・二十三日、六月三日・十日・十一日・十三日・二十三日、七月四日・十日・十六日・十八日、八月十三日・十六日、九月二十一日、十月二日・十八日・二十五日、十一月十三日・十六日・十七日・十九日・二十日、十二月五日・十八日の各条
    文永三年(1266年)正月二日・十三日・二十五日、二月一日・十日・二十日、三月五日・六日・十一日・十三日・二十七日・二十八日・二十九日、四月七日・十五日・二十一日、六月五日・十九日・二十日・二十三日・二十四日・二十六日、七月一日・三日・四日・二十日の各条

 今年度から木曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。