「暴力装置」で思い出すこと

No.7842

 今はどうしているのか存じませんが、私が在学していた当時、青山学院大学の史学科では卒論の口頭試問に、学生一人に対して専攻を問わず全専任教員があたっていました。専攻を異にしますから、思いもよらぬ質問も飛び出します。
 たとえば、東洋史学の泰斗で当時の学科主任であった三上次男先生からは「豪族的領主層」の「豪族」とは何かを問われ、何とも答えようが無く困っているのを指導教官の貫先生にフォローして頂いたことを記憶しています。
 そのときは、なんでこんな質問をするのだろうと思ったのですが、学問を本業とするようになってから、三上先生が研究上の概念をきちんと把握すべきことを教えて下さったことに気がつきました。
 
 それと、もうひとつが「暴力装置」で、これは私の卒論が武士団をテーマにしたもので、その成立を理論的に論じた先行研究の中で使われていたのを引いてしまっただけなのですが、これについても適切なのかどうか、これは確か日欧交流史が御専門の岡田章雄先生からだったと思いますが、御指摘を頂きました。
 これも、返答に窮しているのを、ドイツ近代史の新進気鋭の研究者であった富永幸生先生が「(学術用語の)訳語です」と助け船を出して下さいました。

 富永先生は、あの大学紛争の渦中にあって、理論面でも行動面でも、とても信頼の置ける研究者でしたが、若くして亡くなられました。
 三上先生も岡田先生も既に世を去られています。

 いまさらながら、あの当時の、信念を持ち、学者然とした、しかし優しい先生方に支えられた青学史学科がとても懐かしく、いとおしく思われる昨今です。