遅ればせながら「源頼俊申文」について

前川佳代
No.771

初めて書き込みいたします。野口先生から小口氏が「源頼俊申文」について御高論を書かれたとお知らせを受け、掲示板を拝見いたしましたところ、議論されているようなので、実際に本文書を見た人間として一言書かせていただこうかと思いたった次第です。
私は2000年12月に宮内庁書陵部へいき『御堂摂政別記』柳原旧蔵本におさめてある「源頼俊申文」を実見させていただきました。
さて、本掲示板で問題になっている「貞衡」か「真衡」かであります。私が実見いたしたところ、大方のご意見のとおり「貞」であると思いました。ただ私はそれほど古文書に精通しているわけではありませんので、書体の特徴をメモ書きしてきた程度ですが、書陵部においでの石田実洋氏と検討させていただいた結果、「貞」でいいのではないかという結論でした。小口氏がご指摘のとおり一画目は横に短く入り、二画目の縦線の左に入ります。また下を「大」の字に作るのもそのとおりです。が、「大」の字の一筆目は短く止まりやや筆をうかして左と右にはらっています。元木先生のご指摘のように横線が突き抜けてないことは比較の対象にはできませんが、私のメモにはその次の行の9文字目にある「勧賞」の「賞」の字の「貝」のヶ所も同じく「大」の字に作ってありました。ゆえに「大」の字が根拠にはならないと考えます。ただし、小口氏が写本全体を検討され、柳原の特長であるなら考えなおさなければなりません。
そもそも本文書は江戸期に柳原紀光が書写したものです。現在は御堂関白記の抄出部の次に「裏ノ反古」と注書きされて申文が数通並ぶという冊子本であります。おそらくはこの形態のものを借り受け書写したと考えられます。申文群の年代から御堂は藤原師実本であろうかと推測されますが、柳原が書写するまで数回の書写があった可能性があることを考慮したうえで文書を使用する必要があると考えます。よく「貞」は「真」の誤記か?との指摘を見受けます。柳原が誤記した可能性は少ないと思いますが、柳原までの書写で誤記が生じた可能性は捨てきれない。しかしそれをいってしまったら、現在伝来している文書の多くは誤記だらけという危惧をいだかざるをえないわけです。したがって本文書の「字つら」のみを信用すると、やはり「貞」としか読めないかと思います。さらに野口先生のご研究で「貞衡」なる人物が実在した可能性があるのであれば、なおさらのことと思うのですが、いかがなものでしょうか?
なお、福原の情報はありがたかったです。私は神戸大学病院校内を治承4年11月11日に安徳天皇が移られた「新内裏」と考えております。おもしろくなってまいりましたね。

論文をよろしく。

No.772

前川さん、ありがとうございました。小口先生の御判読は、相当な確信的事実に裏打ちされているようなのですが、これまでの先生方の御意見によれば、どうも小生の説を再検討するほどのことはないようですね。それにしましても、この文書をズバリ、タイトルに掲げた前川さんの蝦夷研究会(盛岡、2000年12月)における御報告の早期論文化を小口先生は求めておられますが(別掲御高論注4)、この点については小生も同意見ですので、家事・育児・博士論文等々たいへんだと思いますが、何卒よろしくお願いいたします。
なお、前川佳代さんのことはすでにご存じの方も多いかと思いますが(歴史学を志す女子学生諸姉にとっては、神話的というか、あるいは伝説的とでもいうべき御経歴)、御紹介させていただきます。現在、奈良女子大学大学院博士課程に御在籍ですが、御出産と育児のために休学中。当ゼミ創設期にはいろいろ御助力いただいた方であります。そうです、滑川さんの先輩でもありますね。滑川さんを当ゼミに誘ってくださった八木さんを紹介してくれたのも前川さんでした。
前川さん、これからもしばしば御登場下さりたく、よろしくお願い申しあげます。

ぜひともご挨拶に

田中裕紀
No.778

 前川さん、はじめまして。同志社大学国文学専攻院生の田中裕紀と申します。以前から野口先生に前川さんのお話を聞いていましたので(史料編纂所にいらっしゃる岡さんからも聞きましたが)、ぜひともお会いしたいと思っていました☆掲示板の上ででもお会いできてとても嬉しいです(*^o^*)書き込みも前々から始まっていた先生方の議論と共にとても勉強になりました。野口先生から「これからは国文の研究者も古文書の勉強もしないと」と言われてもいることもあって、文書に書かれた文字の分析の仕方など、とても面白く拝見致しました。専門の国文も、そして歴史学は尚更、まだまだ不勉強の身ですが、いつか実際にお会いしたいと思います。ぜひゼミにもおいで下さいませ。