福原京の二重濠

山田邦和(同志社女子大学)
No.7430

みなさま。
わたしも知らなかったのですが、例の福原京の「二重濠」(楠・荒田町遺跡、神戸大学附属病院内遺跡)、
現在、その延長上が発掘調査中で、去る24日に現地説明会がおこなわれました。
http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2010/07/20100722841001.html
ただし、新聞には産経・読売の神戸版と、神戸新聞に出ただけだということです。

以前発掘調査された「二重濠」の延長が綺麗にでています。
これで、濠の総延長の確認部分は65mとなったとのことです。
ただし、問題となっている、ふたつの濠が同時存在かどうかはこの調査でもよくわかりません。
ただ、「この2本の壕は、同時存在の可能性は残されているものの、壕の前後関係が確認されており、最終埋没はSD01の方が後であることが確認できました。」とされており、
完全に埋まった時期はV字形濠のほうが後だということになったようです。

文献史学研究者を悩ます「二重濠」

No.7433

 山田先生、お知らせ下さり、有り難うございました。
 考古サイドの評価が変わったので、元木先生が『新修神戸市史』の執筆の際に、大変苦労したというお話をうかがったばかりでした。

 福原はまた、再来年に向けて注目を浴びることになるでしょう。「同時に存在した可能性は残される」というところが、問題ですね。

 私は、区画溝だろうが排水路だろうが、そこに軍事的(防御)機能が期待されて掘削されたのは当然だと考えております。
 ちなみに、「区画溝」というのは、貴族の邸第の周囲に一般的に存在するものなのでしょうか?また、道路の側溝とは異なるものなのでしょうか?