『新修神戸市史 歴史編Ⅱ 古代・中世』

No.7298

 『史学雑誌」の「回顧と展望」が届きました。もう、そんな季節かと思って温度計を見たら33度を超えていました。
 『紫苑』第7号からは、江波さんの「かどで考」が紹介されていました。まさしく、ハイレベルな卒論でした。しかも、彼女は国文専攻です。
 それにしても、私は2009年中に、一本も論文らしい論文を発表していなかったものか?情けなし。

 ☆ 京都大学の元木泰雄先生、神戸大学の市澤哲先生の御連名で、新刊の『新修神戸市史 歴史編Ⅱ 古代・中世』を御恵送頂きました。故・戸田芳実先生の執筆部分もある大冊。監修者のお一人である元木先生が、この本に精魂を傾けておられたことは記憶に新しいところです。
 元木先生・市澤先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 日本放送出版協会の石浜哲士さんから、新刊のNHKブックス、福澤一吉『議論のルール』と本多久夫『形の生物学』の2冊を御恵送頂きました。
 前者の帯には「国会議員も大学教授も、必読!」とあり、読まねばなりますまい。
 石浜さんに、あつく御礼を申し上げます。

 最近、大学グッズとして「瓦せんべい」が人気のようで、先日の『吾妻鏡』講読会に、松井君が立命館大学のものをお土産に持参して下さいました。大学によって味に落差があるようですが、これは、とても美味しかった。
 今さらながら、松井君に御礼を申し上げます。

 【追記】 明日(18日)は、『古代文化』の編集委員会がありますので、『吾妻鏡』の講読会は休会です。 

Re: 『新修神戸市史 歴史編Ⅱ 古代・中世』

元木泰雄
No.7299

野口先生、『神戸市史』に対し、過分の御褒詞を賜り、まことに恐縮に存じます。
 当方は、発足当初の委員であった戸田芳実先生のご逝去により、1992年から委員に加わりました。戸田先生はご逝去の直前に、高倉院厳島御幸に関する原稿を作成されました。示唆に富んだリズミカルな文章で、鈍重な当方の文章とは大違い。すぐにお分かりになると思います。
 ともかく、ようやく先生の遺稿が陽の目を見たことで、長らくお預かりした当方も責任を果たした思いです。何せ、熱田公先生から委員に加えていただいた時の御誘いの言葉が「君、戸田さんの供養をしたくないかね?」というものでしたから(笑)。
 その時の熱田先生との約束では、執筆範囲は源平合戦のあたりということだったのですが、ふたを開けてみれば「私が言う源平合戦とは、純友の乱から承久の乱までのことだ」との信じがたいお言葉。それでも力を振り絞って、一年後の執筆期限を守って260枚を書きあげ耳をそろえて提出し、「お前みたいな非常識な人間はいない」と熱田先生を怒らせたことでした。
 その二年後、あの大震災で市史はストップ、原稿はたなざらしになってしまいました。
もう市史もおしまいと思った2005年、亡霊のようによみがえり、とんでもないことになったのでした。

 もう熱田先生はご逝去、かくて当方が専門委員。震災前からの委員の方はモチベーションが上がらず、古い原稿を放置する人、投げ出す人、書いたけれど何が書いてあるのやらわからない人などが続出、その後始末に振り回されました。おまけに当初の事務局は本の作り方など知らず、作る気もなく、大混乱となりました。この間、肺炎二回、体重は激増、市史の帰りにやけ酒を飲んで新幹線に乗り、名古屋に泊まるはめになったこともありました(泣)。
 これを乗り切れたのは、市澤先生以下の神戸大の方々の活躍、迅速に原稿を作成された若い方々の御尽力、そして兵庫県域の中世史に造詣の深い小林基伸、原田正俊、野田泰三の諸先生が素晴らしい原稿作成されたおかげでした。
 もっとも、気がついてみれば、自分の原稿の修正も不十分で、まことにお恥ずかしいものになっております。17年も前にかきあげた原稿を、今の水準に合わせて修正するのは実に難しいことと思い知りました。
 神戸市史をひもとく方は、何卒当方の原稿以外のところをお読みください・・・
 編纂過程でお世話になった方々に、心よりお礼を申し上げます。