國學院で会いましょう。

No.7235

 本日の『吾妻鏡』講読会。養和元年七月二十日条の後半は、左中太常澄による頼朝暗殺(仇討ち)失敗の話です。
 拙著『源氏と坂東武士』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)に詳しく書いたところなので、その部分のコピーを資料として配布させて頂きました。
 まあ、要するに、頼朝は決して東国武士全体の輿望を担った存在ではなかったと言うことです。
 次の二十一日条に登場する、畿内(渡辺党)出身の武士「遠藤武者」や雑色「浜四郎時沢」の果たした役割も、頼朝の政権を評価する上で見逃せません。

 明後日のシンポジウム。思いの外、関西からも駆けつけてくれる方が多いようです。
 当ゼミ関係からも、本学をはじめ、神戸大・京大の諸姉兄たちが来られる由。
 フロアーからの御発言に、大いに期待しております。
 また、当方が答えに窮した際には、宜しく御助力の程、お願い申しあげる次第です。

 >岩田君  留守居役を何とぞ宜しく。

 ☆ 京都市文化市民局の梶川敏夫先生より、御高論「京都の文化財と文化行政:京都市における平安京跡の調査と課題」収録の『国際シンポジウム2009 古都物語 京都、奈良、ローマ、そしてポンペイ 報告集』(同志社大学大学院文学研究科)を御恵送頂きました。
 梶川先生に、あつく御礼を申し上げます。

3時にあいましょう

No.7239

 シンポジウムの盛会をお祈りしております。東京も暑くなるんでしょうか。
 先日、鎌倉幕府の奉幣使について報告する機会があったのですが、頼家・実朝将軍期のそれはほぼ北条(義時・時房・泰時)と大江(広元・親広)の二氏に独占されていました。これらは皆同時期の幕府の中枢にいた人たちですが、それとの関連が気になるところです。

 次回の火曜日の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2010年6月8日(火)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:正嘉二年(1258年)四月二十五日・二十六日、五月二日・六日・八日・九日・十日・十四日・二十九日、六月一日・二日・三日・九日、七月十日・十五日・二十二日・二十三日・二十九日、八月五日・六日・八日・十六日・十七日・十八日・十九日・二十日・二十八日、九月二日・二十一日・二十九日、十月十二日、十二月十日・十九日
    正元二年(文応元年、1260年)正月一日・十日・二十日・二十三日・二十六日・二十九日、二月二日・三日・四日・五日・十日・十四日・十八日、三月一日・二十一日・二十二日・二十七日・二十八日、四月一日・二日・三日・十七日・十八日・二十六日・二十九日・三十日、五月四日・十日、六月四日・十二日・十六日・十八日・二十二日・二十六日・三十日、七月四日・六日・七日・八日・十日・二十五日・二十六日・二十九日、八月六日・七日・十二日・十五日・十六日・十七日、九月五日、十月十五日、十一月十一日・十八日・二十一日・二十二日・二十六日・二十七日・二十八日、十二月一日・二日・十六日・二十日・二十一日・二十三日・二十五日・二十六日・二十九日
の各条

 『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加下さい。