気楽ではない出張から帰洛致しました。

No.7109

 先ほど関東から戻って参りました。それにつけても、お江戸は人が多すぎるし、JR東日本の英語による車内アナウンスは多すぎる、と、いつも思うのであります。

 久しぶりに表参道の駅に降り立ちましたが、例の如く「浦島太郎」状態。
 学部入学から博士課程修了まで、それに非常勤講師の2年を含めると、都合14年も青山学院に出入りしていたのですが、そこは別の空間であったようにしか思えませんでした。

 ところで、17日は、宇治でも北側に池庭を配した貴族邸跡の現地説明会があったそうです。木幡も宇治も近いのに、所用があって見に行けなかったのは残念至極でありました。
 それにしても、院政期、王家と摂関家が巨椋池を挟んで、あたかも対峙するかの如く、権門都市を構築していたというのは実に面白いことであります。

 さて、明日はまた(いや、もう今日か)、書類書きの一日になる模様です。

 それから、『吾妻鏡』講読会の創始者である山本陽一郎君から、福井で、今年度は小学校の教員として、元気にやっている旨の情報が届きました。嬉しい限りです。

 ☆ 神奈川県立金沢文庫の永井晋先生より、先生の御高論「金沢文庫文書に見る唐船派遣資料」掲載の『金澤文庫研究』第324号を御恵送頂きました。
 永井先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 文科省の髙橋秀樹先生より、御高論「古記録と仮名日記」(秋山虔編『平安文学史論考』)を御恵送頂きました。 
 髙橋先生に、あつく御礼を申し上げます。