青年は荒野を目指し、老人は時頼を嫌う

No.7064

 昨日は出産のために帰郷される山田夫人(平田さん)が、わざわざ研究室に挨拶に来て下さいました。ほんとうに、もうすぐお母さんですね。
 何年か前、史学科の授業で「歴史学研究会の大会に行く人は?」との問いかけに、学部3回生だった平田さんが、ただ一人応じてくれたことが思い出されます。
 『吾妻鏡』講読会に参加するメンバーにケーキのお土産を頂戴しました。ご馳走様でした。

 新年度をひかえて、ゼミの古参メンバーから、異動・就職はもとより、新居購入(高級住宅地です)・学振採用などの情報が次々ともたらされております。
 こんな御時世だというのに、みんななかなか良くやっていると思います。あるいは、マスコミが騒ぎ立てるほど、世の中、そんなに悪い状態ではないのかも知れません。
 人生の新たな展開を期して、欧州(けっして「奧州」の誤りではありません)への旅立ちを決意した方もおられます。

 昨日の『吾妻鏡』講読会では、とても身につまされる記事に遭遇。建長六年閏五月一日条。私がこの場にいた御家人ならば「逐電、或令固辞」めていた一人。お酒で調子づいた北条時頼にはついていけませんね。
 今でも、このようなタイプの人が、いろいろな組織や集団で幅をきかせているケースが多いように思えます。

 なお、『紫苑』第8号、めでたく校了となりました。編集長の山本さんご苦労様でした。
 来月早々にも発送作業を開始したいと思います。お楽しみに!

 ☆ 成城大学の後藤昭雄先生より、科学研究費研究成果中間報告書『真言密教寺院に伝わる典籍の学際的研究-金剛寺本を中心に-』を御恵送頂きました。
 後藤先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 京都造形芸大の野村朋弘先生より、御高論「史料紹介『綱光公記』自文安五年八月一日至九月二十九日」(『史学研究集録』35)を御恵送頂きました。
 野村先生に、あつく御礼を申し上げます。

『紫苑』第8号校了&御家人はつらいよ

山本みなみ
No.7065

 昨日、無事『紫苑』第8号を校了することができました。あとは、来月初めの納品を待つばかりです。
 これも野口先生と執筆者の皆様のご協力のおかげです。お忙しい中、ありがとうございました。心よりお礼申し上げます。
 私も納品を楽しみにしております。

 ところで野口先生も触れておられました建長六年閏五月一日条。読むにはとてもおもしろい記事でしたが、当の御家人たちは大変だったろうなと思いました。いきなり相撲をとらされ、勝者及び引き分けの者には褒美、敗者にはしっかり罰ゲーム?が用意されておりました。六試合中三試合が引き分けなのは互いに示し合わせていたからでしょうか?何れにせよ、御家人もいろいろと大変ですね。
 特に『吾妻鏡』第四巻は新しい発見や考えさせられることが多々あり、読んでいて楽しいです。

新年度目前の『吾妻鏡』

No.7066

 慌ただしく2009年度が暮れようとしておりますが、その仕上げとなる『紫苑』第8号は出来上がりがとても楽しみです。
 その『紫苑』第8号はまだ出来上がりませんが、次回の火曜日の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2010年3月30日(火)14:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:建長六年(1254年)十一月十六日・十七日・二十一日、十二月一日・十二日・十七日・十八日・二十日・二十三日・二十五日・二十六日の各条
    建長八年(康元元年、1256年)正月四日・五日・十日・十二日・十四日・十六日・十七日、三月十一日・十六日・二十七日・三十日、四月十日・十三日・十四日・二十七日・二十九日、六月二日・五日・七日・二十七日、七月六日・十七日・二十六日、八月十一日・十五日・十六日・二十日・二十三日、九月三十日、十月二日・三日・九日、十一月二日・二十二日・二十三日・二十四日・二十六日・二十八日、十二月十一日・二十日・二十五日、
    康元二年(正嘉元年、1257年)正月十三日・二十五日、二月二日・二十六日、三月二日、閏三月二日、四月七日・九日・十四日・十五日、五月二十二日、六月十四日・二十三日・二十四日、七月十日・十二日、八月十二日・十四日・十五日・十七日・十八日・二十一日・二十三日・二十五日・二十八日、九月十六日・二十四日・三十日、十月一日・十三日・十六日・二十六日、十一月八日・十六日・十七日・二十三日、十二月六日・二十四日・二十九日、の各条