富岡西高校の出張講義から戻りました。

No.7050

 まず、岩田君からの御連絡です。
 次回の火曜日の『吾妻鏡』。 3/16(火)14:00~共同研究室にて。
 範囲は建長五年九月十六日条より。

 この日は『紫苑』の再校返しも予定されていましたね。

 さきほど、徳島から帰って参りました。高速バスを利用したのですが、始発の段階で15分遅れており、さらに夕刻の渋滞に巻き込まれて高速舞子に30分ほどの延着でした。
 舞子から乗った快速電車がいつもより、とりわけ軽快に感じられた次第です。

 もう昨日のことになってしまいましたが、徳島では、阿南市にある県立富岡西高校で出張講義を行ってきました。たしか数年前には同じ3月12日に島根県立出雲高校で出張講義をしたように記憶します。あの時、私の話を聞いてくれた生徒さん(もう今年で大学4年生になりますが)とは今でも親交があり、そのお友達までがゼミに参加してくれたりしていますから、3月12日は出張講義の吉日なのです。
 「地理・哲学・歴史」に関心を持つ1・2年生が対象で、受講者の数は少なかったのですが、じつに熱心に聴いてくれました。

 この富岡西高校は、地元では知られた名門の学校で、卒業生には政治家の後藤田正晴氏などがいます。また、今から20数年前、関西テレビの「お天気おじさん」として一世を風靡した福井敏雄氏もこの学校の出身だそうです。福井さんの天気予報はほんとうに楽しかった。あの頃、福井さんの天気予報を見ることが出来たのは、京都に引っ越したメリットの一つでした。

 徳島を旅行できたことで、平家の家人田口成良や西光を生んだ阿波の在庁官人近藤氏についての理解が深まりました。山下知之「阿波国における成立と展開」・野中寛文「阿波民部大夫成良」・五味文彦「阿波民部大夫と六条尼御前」といった論文を現地で読むと、よ~く分かる。
 屋島を攻撃すべき源義経が、なぜ阿波の勝浦に上陸したのかということも、よ~く理解することが出来ました。彼はやはり軍略家として素晴らしい才能の持ち主だったと思いました。 
 
 しかし、家に戻ると、たくさんの「催促」ないしは「お誘い」のメールが届いていました。
 15日締切の原稿が間に合うかどうかの瀬戸際という状況ですので、どれだけお応えできるか分かりませんが、可及的速やかに少しずつ対応させて頂きたいと思いますので、御返信は、しばしお待ち頂きたくお願い申しあげる次第です。
 正直、結構疲れております。