師走第一週の講義とゼミの予定

No.6949

 1日(火)、キャンパスプラザⅡ講時の「特別講座科目1 『平家物語』と中世前期の京都」のテーマはいよいよ源義経。生い立ち、平泉での立場、在京活動、一ノ谷・屋島・壇ノ浦合戦、逃走の経過等々、内乱期のさまざまな問題と絡めながら、数回に分けてお話しすることになると思います。言うまでもなく、視座は「京都」にあります。

 Ⅴ講時の基礎教養科目「源平内乱の時代を京都で生きた人たち」では、『平家物語』の人物造形のパターンに触れながら木曾義仲の実像に迫ります。

 ゼミ(『吾妻鏡』)は >>No.6946を参照。いよいよ、「建長の政変」に近づいてきました。このところ、私も了行のように諸事につけて「腹立」することが多くなって困っています」(「日蓮遺文紙背文書」参照)。老化の故でしょうね。

 3日(木)Ⅱ講時目の『吾妻鏡』。養和元年(1181)年に入ります。

 ※ 先週の木曜日に山岡さんから頂いたお土産のお菓子は、いつ供出すべきでしょうか?

 >山本さん 土曜日の女性史総合研究会は如何でしたか?
        ゼミの時に御感想をお聞かせ下さい。

銀杏は美しいが、胃腸はよくない日。

No.6951

 今日の京都は本当に良い天気で、山々の紅葉も美しく、街路の銀杏並木も見事です。而るに私の胃腸は見事に不調で、困ったものです。

 昨日、キャンパスプラザの講義終了を待っていたかのように、教室に入ってきた若者がありました。昨年度の受講生、立命館大学の三木君でした。将来の方向が決まったので、わざわざ挨拶に来てくれたとのこと。そういえば、昨年に比べて表情も服装も見違えるほど明るい。お土産にと「神戸みかさ」の詰め合わせを持ってきてくれました。
 専攻が日本史というわけでもなく、たった半期の縁だったというのに、本当にうれしい出来事でした。三木君は他大学の院に進学して英語を勉強されるとのこと。何事にも興味を持って取り組む、彼の前途はおおいに期待が持てると思っています。

 ゼミ『吾妻鏡』講読は、ついに建長の政変も過ぎました。次回からは宗尊親王が将軍の時代に入ります。
 三木君からのお土産は、ここでみんなと頂きました。

 Ⅴ講時の短大の授業。出席率100%。自分の資料も配布しなければならないかと危ぶんでしまいました。よ~く話を聴いてくれます。来週は『玉葉』の記事を読みます。

 帰宅すると、前任校のゼミの教え子からメールが届いていました。元気にやっている様子。

 この日は教師冥利に尽きる一日であったように思います。

 ☆ 静岡文化芸術大学の山本幸司先生より、新刊の御高著『穢と大祓 増補版』(解放出版社)を御恵送頂きました。かつて平凡社から出版された同名の御著書に関連する新稿を加えられたものです。巻末の資料が充実していて有用です。
 自分の研究に引きつけてみると、内裏警固の問題など、こうした側面から考え直さなければいけないと思いました。
 国文学御専攻の方こそ必読だと思います。
 山本先生に、あつく御礼を申し上げます。 

宗尊親王とその時代-次回の火曜日『吾妻鏡』-

岩田慎平
No.6953

 前回はきちんと範囲をお伝えせずにすみませんでした。今回はけっこう先のほうまでご案内したいと思います。

 日時:2009年12月8日(火)14:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室

 範囲:建長四年(1252年)三月五日・六日・十三日・十六日・十七日・十八日・十九日・二十日・二十一日、四月一日・二日・三日・四日・五日・十二日・十四日・十六日・十七日・二十日・二十一日・二十二日・二十四日・二十九日・三十日、五月五日・十七日・十九日・二十六日、六月二日・十日・十七日・二十五日、七月四日・八日・九日・十四日・二十日・二十一日、八月一日・二日・六日・二十一日・二十二日、九月一日・二日・七日・三十日、十月十四日・十六日、十一月三日・十一日・十二日・二十日、
    建長五年(1253年)正月二日・三日、二月三日・二十五日、四月二十日・二十六日、五月四日・十三日、六月三日、七月八日・九日、八月十五日・二十九日、九月十四日・十六日・二十六日、十月一日・十一日・十三日、十一月二十五日・二十九日、十二月八日・九日・二十一日・二十二日、
    建長六年(1254年)正月十日、二月十二日・二十日・二十四日、三月十二日・十六日・二十日、四月十八日・二十七日・二十九日、五月一日・五日、閏五月一日・五日・十一日、六月三日・十五日・二十五日、十月二日・六日・十日・十二日・十七日、十一月十六日・十七日・二十一日、十二月一日・十二日・十七日・十八日・二十日・二十三日・二十五日・二十六日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられています。冬季に何か始めてみようという方も、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

史料の評価は「読む側」の認識如何。

No.6954

 師走も、もう五日が過ぎようとしています。
 ところで、木曜日の『吾妻鏡』で読んだ養和元年正月五日条は、最近の武士論研究で指摘されていることが、凝縮されているような内容でした。
 第一に、関東の武士が南海を廻って京都を攻撃しようとしているという風聞のあったこと。第二に、相模国を本貫とする波多野氏が、頼朝挙兵以前より伊勢国内に所領を有していたことです。
 後者については、ずいぶん昔に指摘していたことなのですが、あまり顧みられることがありませんでした。でも、地方武士の在京活動や一族間の分業が共通認識になっている現在の研究情況からすれば、まったく奇異な話として受け取られることはないと思います。
 前者についても同様で、摂津の大物浦(現在の尼崎)と下総の三崎(銚子の辺り)の間に航路が想定できるくらいですから、平家が大まじめに対応してもおかしくはありません。それにしても、この時、平家が志摩国に派遣した伊豆江四郎とは何者なのでしょうか?

 『吾妻鏡』講読会(2回生)の忘年会は14日開催に決まりました。