昼食はお饅頭 付 来週の見学会案内

No.6922

 今日はミュージアム知覧の新地浩一郎さんがお見えになり、沢山のお土産をいただきました。
 学術資料の他に「薩摩花林糖饅頭」も。
 『吾妻鏡』講読会は、先日、畠山先生にいただいた福山名物のお饅頭もあり、7人の2回生のみなさんは大満足だったことと思います。
 新地さん、どうもありがとうございました。

 今回は昨年の公開講座で川本重雄先生の使用された資料を使わせていただいて、将軍御所の空間的な身分秩序についてお話ししました。これは、東国武士に対する通説的な理解を打破する上で重要な事実であると考えています。

 治承四年十二月十二日条ですから、鎌倉幕府の成立時期についても一席ぶたせていただきました。
 私の恩師、貫達人先生の「承久三年説」は、『青山史学』創刊号(青山学院大学史学科研究室)に掲載されています。

 今日は「一所傍輩」も出て参りました。「小松殿」ならぬ「小松寮」で一所傍輩の学生さんには、自分のことのように「一所傍輩のネットワーク」の意味が理解できたことと思います。
 橘公長と加々美長清の関係です。
 ところで、橘氏(→小鹿島氏)と言えば、
 >岩田君  関学での御報告は如何でしたか? 

 ◎ 来週木曜日の『吾妻鏡』講読会は、六波羅の一部と豊臣氏関連遺跡を含める形で後白河院の院御所であった「法住寺殿跡」の見学です。
 見学先は「伝佐藤嗣信・忠信墓」→「積翠園(伝・平重盛小松殿庭園跡)→東山大仏殿跡→方広寺鐘楼→六波羅探題関係遺構出土地点→蓮華王院(三十三間堂)→後白河天皇陵→法住寺南殿跡→最勝光院跡→今熊野社→新日吉社、というコースを予定しています。
 10時30分、研究室前に集合して下さい。
 ゼミメンバー以外の参加も歓迎します。
 なお、「お金の取られるところ」には入りませんので、費用は要りません。ほかでは絶対に手に入らない資料を用意する予定です。

吏僚的武士の橘氏-次回の『吾妻鏡』-

岩田慎平
No.6923

 新地さんに鹿児島をご案内いただいてからもう四年ほど経ちますね。その節は大変お世話になりました。
 あのときは、出発前に(最近話題の)大阪南港のフェリーターミナルで時間潰しをしたり、知覧警察署のお世話になったりと、いろいろなことがありました。

 >野口先生
 水曜日は橘氏について報告をして参りました。またお聞きいただきたいと思いますが、橘氏の存在形態もまた、鎌倉幕府に対する通説的な理解を打破する上で重要な事柄であると思われます。

 次回の火曜日の『吾妻鏡』は以下の通りです。 

 日時:2009年11月17日(火)14:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 野口先生の研究室

 範囲:建長三年(1251年)正月一日・四日・五日、二月一日・十日・二十日・二十四日、三月六日・七日・十四日、四月二十日・二十六日、五月一日・五日・八日・十五日・二十七日、六月五日・十日・十五日・二十日・二十一日・二十二日、七月四日・八日・十日・二十日、八月六日・二十一日・二十三日、九月五日・二十日、十月十九日・二十九日、十一月十二日・十三日・十八日・二十二日・二十七日、十二月二日・三日・五日・七日・十七日・二十二日・二十六日・二十七日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられています。後期もどうぞよろしくお願いします。冬の訪れを思わせる季節に何か始めてみようという方も、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

橘氏の研究は立ち話では終わらない。

No.6924

 岩田君が知覧警察署のお世話になったというのは、落とした財布が見つかったのを受取りに行ったというだけの話ですので、念のため。
 ちなみに、岩田君が財布を落としたのは、大雨の中、車でいっぱいの駐車場で車から降りようとした私を濡らすまいと、無理な体勢で傘を差し掛けてくれたからでした。

 ところで、橘(小鹿島)氏ですが、本年度の共同研究の一環として、公開での研究発表会を企画したいと思います。今月末か12月の初め頃に如何でしょうか。
 ほかに報告(テーマは自由)を希望する方がおられましたら、お申し出下さい。

逃走経路、如件

岩田慎平
No.6925

 しつこいですが、大阪南港のフェリーターミナルで時間を潰したのは私が集合時間を間違えたためでありますが、その後、住之江公園のほうのフェリーターミナルに移動し宮崎行きのフェリーに乗船、船内で一風呂浴びて、翌朝カンカン照りの宮崎港に到着しました。フェリー内では自作のお弁当を開く方もいました。まさに用意周到です。
 船内放送(?)ではW杯ドイツ大会アジア予選最終戦の日本vsイランが流れていました。
 知覧警察署の受付の窓の向こうの、机の上にちょこんと置かれた赤い(当時)サイフの光景は今でも忘れられません。拾って届けて下さった方には、ただただ感謝です。

 さて、ご提案いただきました研究発表ですが、日程は後日ご相談させていただくと致しまして、させていただけるとすれば以下のような内容になる予定です。

 題名:「小鹿島橘氏の治承寿永内乱」
 概要:坂東武士ではないが鎌倉幕府の有力御家人である橘氏(小鹿島氏)のことを取り上げながら、中世前期の武士の存在形態や鎌倉幕府成立にまつわる諸問題を考えたいと思います。
 主な参考文献は以下の通りです。

 川合康「内乱期の軍制と都の武士社会」『日本史研究』501、2004年。
 塩谷順耳「武士団の東北移住―橘氏(小鹿島氏)を中心に」『歴史』19、1958年。
 野口実『源氏と坂東武士』吉川弘文館、2007年。
 元木泰雄『源義経』吉川弘文館、2007年。

「一天、にわかにかき曇り」の宮崎空港

No.6927

 「カンカン照りの宮崎港」・・・とのことですが、その日のお昼、岩田君たちが飛行機組と宮崎空港で集合したときには「一天、にわかにかき曇り」となり、それから三日の間、雨の降らないことはなく、桜島すらうすボンヤリとしか見えず、開聞岳に至っては影も形もございませんでした。
 ゼミの一行の中に雨降(あめふらし)の験者がおられたのでしょうか?

 鎌倉期の橘氏に関する参考文献ですが、以下も役に立つと思います。
  塩谷順耳『中世の秋田』(秋田魁新報社、1982年)
  服部英雄「開発・その進展と領主制支配-肥前国長嶋庄の橘薩摩一族-」
        (『地方史研究』152)