復活しましたね

No.6882

>鈴木くん(…ですよね)
掲示板の復旧、ありがとうございます。お忙しいところすみません。

ところで取り急ぎのご案内ですが、次回の火曜日の吾妻鏡は、10月13日(火)、14:00~(予定)、宗教・文化研究所共同研究室にて、宝治二年閏十二月十日条から読んでいきたいと思います。
よろしくお願いします。

そ、そんなバカな

元木泰雄
No.6883

しばらく掲示板にアクセスできず、心配しておりました。
 無事に回復されたご様子、何よりと存じます。
 ところで、2003年、神戸大学付属病院の敷地内で、福原における平氏の邸宅の遺構とみられる「二重壕」が見つかり、大きな話題となったのはまだ記憶に新しいところかと思います。
 この壕の性格は軍事的なものか、平頼盛邸に敷設されたのか、あるいは新造内裏の施設か、はたまた一ノ谷合戦直前の新内裏に設けられたのか。熱い議論が展開されておりました。当方もシンポジウムに出席したり、『古代文化』の論文で、この壕にふれたことがありました。
 当方も含め、これまでの議論はすべて、二本の壕が同時に並行していたことを前提としていたものでした。ところが、昨年3月付で兵庫県教育委員会が刊行した『楠・荒田町遺跡Ⅱ 神戸大学医学部付属病院埋蔵文化財発掘調査報告書2』の末尾には、これを否定する記述があります。

 「二重の壕が同時期に存在していた可能性は、両壕から出土した遺物の検討からかなり低いものと考えられるようになった」。
 
 つまり、同時に併存した二重壕ではなく、たまたま二本の壕跡が並行して見つかった二本壕とのこと。また付近の「櫓」とされた建物跡も平安時代までさかのぼるものではない(近世の可能性を示唆)とのことです。
 上記の遺物の検討については報告書に記載がなく、困惑しておりますが、ともかく二本の壕は時期が異なるもので、およそ軍事的なもの、特別なものとは言い難いということのようです。出土品の検討結果に基づく、新たな分析が急務と存じます。
 実はこの報告書、昨年夏に寄贈を受け、調査報告部分のみを確認して、書架にしまっていたのですが、読み飛ばしていた「あとがき」で、まさにさりげなく、さらっと触れられておりました。読み落とすのが悪いには違いないのですが・・・。こんな大事なことは、根拠を挙げて、わかりやすく書いてもらいたいものです。 
 かくして、これで神戸市史の原稿が全面書き直しです。まさに(泣)・・・・