「初校」と「かどで」&祝・山田博士50歳
No.6549
江波さん、御苦労さまでした。
それに、お土産の「こしあん」の美味しいお饅頭、ありがとうございました。
明日(3日)は初瀬詣りとのこと。「鬼」出没の時節ゆえ、お気をつけて、楽しんで来て下さい。
「初校」????・・・?。
こういう江波さんの書かれた「かどで考」。掲載の『紫苑』第7号の刊行を鶴首される方たちは、さぞかし多いことだろうと思います(なかなかの力作です)。
今日は新しくゼミに参加された大史1回の大倉悠さんが、昨年4月から講読を続けている同輩に追いつくべく、『吾妻鏡』を自習するための資料を求めて、研究室に来てくれました。大倉さんは「保元・平治の乱」を研究テーマに掲げています。
その心意気やよし!!
ほかに、同じ大史1回の本徳さん、今井さんも積極的に参加の意志を表明されているので、新年度の『吾妻鏡』(治承四年)講読会は、とても賑やかなことになりそうです。
今日はまた、次期『紫苑』編集長である山本みなみさん(「鎌倉幕府における文士」を研究テーマに掲げておられます)も、研究室に来て下さいました。次号には御本人による研究ノートも期待されるところです。
さて、今日2月3日は山田邦和博士のお誕生日です。
「福はうち~」の声に呼び込まれて、この世に生まれ出た山田先生も、ついに50歳となられたはず。
京都文化博物館草創期の山田先生は、若く、初々しく、且つ学問への情熱と希望に充ち満ちておられ、マイナス思考がちな私にとって、大きな心の支えでした。そのイメージは未だに変わらないのですが、時間だけはシビアに流れているようです。
今や中堅・第一線から「権威」への道を歩み始めた山田先生の今後のさらなる御活躍に期待しております。
しかし、なにしろ健康を第一になさって下さい。
なお、蛇足ながら、「鬼は外~」の声に恐れをなして、20日後にこの世に生まれることにしたという方もおられるやに聞いております。
Re: 「初校」と「かどで」&祝・山田博士50歳
山田邦和(同志社女子大学)
No.6551
野口先生
私の誕生日にあたってお言葉をたまわり、ありがとうございます。ついに50歳になってしまいました。別に10年おきに区切る意味はないとは思うのですが、やっぱり年をとっていくのを感じますね。大学にいると、毎年々々新しい学生さんが入ってきて(当たり前だ!)、こちらはどんどん年をとるばかりで、なんだか自分だけが取り残されていく(どうもおかしな表現・・・)ような気分になります。
健康にはもともと自信がないのですが、やっぱり身体第一だと思います。
それはそうと、本日のNHKの「その時歴史が動いた」は、源義朝が主人公となりますね。でも、予告を見ると、貴族の圧迫をはねのけて武士による政権をめざした義朝、などという言葉が踊っており、あぁまたか、という気分になります。最近、義朝について考えるところがあるのですが、彼に対する私の評価はどんどん低下し、ついには最悪になってきました。おそらくこの番組では義朝への絶賛が続き、その点でも辟易するんだろうな・・・
ただ、やっぱりコワいもの見たさで、この放送、見てしまうと思います。みなさんはどうされますか?
保元・平治の乱と源義朝
No.6553
山田先生、御返信ありがとうございます。
なにしろ、「健康」だと思います。
また、そのような番組が放送されるのですか。驚きました。
あいかわらず、「貴族VS武士=京都VS東国」の過度な強調の図式が再生産されているようですね。
歴史学において、今日の研究の水準を示す成果は、この書によって社会に還元されているはずなのですが。
元木泰雄『保元・平治の乱を読みなおす』(NHKブックス,2004年)
NHK出版の刊行であることが皮肉なのですが、「まともに」保元・平治の乱や源義朝の評価を語るとき、この本をペースにしなければ意味は薄い、と私は考えております。
【追記】 四日の夜、私は、京都は仏光寺・木屋町上るの辺りで、まさに保元・平治の乱の時代を研究領域とされる著名な先生方との宴席に臨んでおりましたので、この番組は拝見できませんでした。
その時歴史が動いた~ 保元・平治の乱と源義朝
山田邦和(同志社女子大学)
No.6554
四日の夜、酔っぱらって帰宅したら、「その時歴史が動いた」にかろうじて間に合いました。
野口先生、御覧にならなくてもよかったですよ。
期待通りというかなんというか、最初から最後まで噴飯モノで、大笑いしながら見てしまいました。
特に、平治の乱を語るのに、藤原信頼の名が一度も出てこなかったのには仰天。
「保元の乱で義朝は奇襲攻撃を主張したが、天皇と天皇との国争いにはそんな卑怯な手はつかえないと言った頑迷な貴族によって阻まれてしまった」とか、
「義朝は、保元の乱の恩賞が前線で戦いもしなかった貴族たちにだけ厚く、自分には薄かったことで絶望した」
というのも初耳のトンデモ学説でした。
その他にも、「義朝はついに、信西とその一族が籠る邸宅を急襲(オイオイ、それ、後白河上皇の三条東殿のことじゃないの? それに、信西はその直前に逃げ出している)」とか、突っ込みどころ満載でした。
少なくとも、番組制作者が元木先生の御高著にまったく目をとおしていないことは確実でした。
こんなむちゃくちゃな内容の番組のゲストで呼ばれるのは、どうせ歴史作家かなんかだろうな、と思っていたら、東大史料編纂所の本郷和人先生でした。
本郷先生、出番は少なかったのがお気の毒でしたが、トレードマークだった(?)顎髭をすっぱりとそり落としての出演で、
「義朝の意義は、武士が貴族に対抗して武力で政権をとれることを証明したことだ。そして、京都に対する東国の価値観を示したことだ」と力説しておられました。
これもまた、予想通りというかなんというか・・・・
やはり、そうでしたか。
No.6556
歴史学者・国文学者のみならず、一般の方からも、あまりに批判・怨嗟の反響が大きいので、NHKの番組HPを見たところ、参考文献に元木先生の御著書があげられていて、また驚かされました。何を参考にしたというのでしょうか?
もっとも、以前、この番組で取り上げられた「富士川の合戦」の内容が、私の学生時代以来の研究成果を全否定するものであったことがありましたから、驚くには値しないのかも知れません。しかし、研究者の端くれとして、あのときは不愉快を通り越して本当に情けない気持ちになったものです。
NHK総合の歴史番組について
元木泰雄
No.6558
お久しぶりでございます。
最近、歯科治療が長引き、その間に老眼が進行、パソコンを打つのも難儀する事態になり、すっかり落ち込んでおります。
今回の「その時・・・」の件では、野口・山田両先生に拙著を取り上げていただいた上に、高く評価していただき、まことに恐れ入ります。
問題の番組、HPで見ただけですが、確かにひどい内容ですね。もう少し何とかならないかと腹立たしく思うのですが、では拙著を中心に番組を作れるかというと、かなり難しいのかもしれません。貴族と武士の同質性、摂関家の複合権門化、信頼の再評価、王権の正当性などを、一般視聴者に30分間で理解させるのは困難だと思います。
一般視聴者の関心を惹き、視聴率を稼ぐには、難しい新説の提示、あるいは通説との対比を行うのは不可能です。結局、通説的な、貴族の悪政を倒す武士、東国の勇敢な源氏の活躍と、貴族による圧迫、滅亡という通説的図式に乗らないと、番組が作れないのではないかとディレクター氏はお考えなのだと思います。
本郷先生が最後にご登場とのことですが、おそらく事前打ち合わせでも番組のディテールは知らされず、義朝の評価に関する最後の議論について聞かれただけではなかったかと存じます。当方も昔この番組に出演した時に、番組の放送を見て初めてナレーションや説明のでたらめさに仰天、犯罪に手を貸した思いが致しました。おそらく、今回当方が出演しても、大して違う内容にはならなかったものと思います。
HPを見た限りですが、拙著も多少は見た形跡がありました。義朝の保元の乱における恩賞、さすがに清盛のそれとは比べておりません。ところが、記録所の役人人事を例に出して、「藤原信西」一族より冷遇されるとあるのですから、あいた口がふさがりません。おそらく、普通の歴史家があらかじめこの記述を見れば、驚いて改変させることでしょう。
また、本郷先生が高く評価しておられる、河内説も夜襲の話以外は全く反映されていないのも、ディレクターの独断を物語るようですね。ちなみに河内説こそ、権門体制論の原理主義であり、天皇を中心とした支配者の統合を極限まで強調されたお話です。
それはともかく、ディレクター氏の真意はわかりませんが、このように安直な番組作りが行われる背景はどこのあるのでしょうか。
そのひとつは、視聴者の歴史離れにあると思います。かつて、中学生でも知っていた歴史的事件を、今の大半の人は知らないのではないでしょうか。先日、勤務先の総合人間学部の学生の合宿で、宿泊先の近江に因んだ歴史の話をしたのですが、10名の学生のうち高校で日本史を全く履修しなかったものが半分。入試でとらなかった者が7名。したがって、宿泊先近江八幡ゆかりの豊臣秀次はともかくとして、大宰府、徳政令、馬借、楽市・楽座をほとんど知らないという有様です(さすがに60歳の教授、事務長さんはよくわかったと、とても喜んだくださいました)。おそらく、こうした事態はかなり上の世代にも共通すると思います。
日本史が必修科目ではなくなり、受験するにしても安直なセンター試験で事足りるなら、知識の減退、関心の低下は当然のことでしょう。知的好奇心が旺盛な世代の歴史離れが進み、歴史番組を見るのは昔ながらの時代劇ファンが大半。そうなると、通説を崩しては視聴率が稼げないのも当然と思います。大河ドラマの堕落も同様の事情(それに本格的ドラマについてゆけないという視聴者のレベル低下もありますが)によるのでしょう。
ならば、変に学問ぶらずに歴史バラエティーにすればいいのに、変にアカデミックなように見せかけるのですから、罪が重いと思います。その意味で、「その時・・・」が終了し、芸能人出演の歴史ヴァラエティーになるのは正解と思います。
ついでに大河ドラマの「時代考証」も、アカデミックなものという誤解を避けるために、字幕に出すのはやめるべきです。
拙著『保元・平治の乱を読みなおす』は品切れになって久しくなります。あるブログで、「藤原忠通とか、聞いたこともない人名ばかりでさっぱりわからん」と批判されていましたが、ことさら手に取った読者でもその有様ですから、一般読者の水準は推して知るべし。売れなくて品切れになるのも当然と言えるでしょう。
二つ目には、学問に対する信頼性、畏敬の低落という問題もあると思います。日本史に限らず、学問を馬鹿にする傾向が強まっているのではないでしょうか。「教育問題」に関する再生会議の委員のありかた、裁判員制度、あるいは大学院制度に対する文科省の姿勢に如実に表れているように、専門家を疑い、否定し、馬鹿にするのが最近の風潮と思われます。専門家の面倒な議論に付き合う必要はない、どうせ本当かうそかわからない煩雑なだけの議論、といった見方が番組作りにも反映しているように思われます。
三つ目になりますが、そうした風潮をもたらした、日本史学者の責任も否定はできません。先行研究を正面から批判せず、論拠もあいまいな思い付きを述べて、新説と称し、あたかも学界の通説のごとくふるまう傾向が顕著ではないでしょうか。非論理的な珍節が横行したのでは学問の信頼性もあったものではありません。これでは、日本史をはじめとする日本の人文科学は「グローバルスタンダードもなく夜郎自大だ」といった批判を招くのもむべなるかなです。
また概説書を見ても、本当に一般読者を意識しているのか、疑わしく思われます。教案作りの参考にする高校の教員、あるいは歴史好きな高校生を対象とする書物として相応しいのかと呆れてしまう書物が満ち溢れています。これでは、歴史好きも嫌いになることでしょう。こんな書物は、歴史をおもちゃにしてでたらめを吹聴する「小説家」の類が書くトンデモ本と変わりません。いや読みにくいだけ劣っているのではないでしょうか。
日本史学界のかかる体たらくの背景には、論理的な研究が重視されず、思いつきや一時的な流行に流れた研究がはびこったこと、大学などの人事で研究能力と異なる側面が重視されて、優秀な研究者が不遇となったり排除されたりしていることもあるかもしれません。また、実用的でなく、時として体制を批判する日本史学を軽視し、結果として破壊しようとする文教行政にも大きな原因があると思います。そして、何より学者の多くが雑務に振り回されて、こうした危機に対応できないことが最大の問題かもしれません。
我々はつねに研究を一般に還元する義務があります。歴史認識は文化と国家の品格の基礎であり、歴史をおろそかにする国は滅びると思います。政財界が「構造改革」の名のもとに日本の伝統を放擲詩し、「グローバルスタンダード」に追随した結果が今の日本ではありませんか。
正しい方法と論理に基づいた学問を提示すること以外に、歴史離れを防ぎ、文化と国家の衰退を防ぐ道はないと考えます。歴史学者は学問の危機と昨今の趨勢をきちんと認識し、歴史離れをあらゆる方法で押しとどめるように尽力する必要があると痛感するしだいです。
と、言うのはやさしいのですが、なかなか実践は難しいのですが。
少しでもゆっくりものを考える時間がほしい、というのが正直な気分です。書類書きで一日終わるような生活だけは送りたくありませんね(泣)。
なお、最近教育テレビの番組作りをお手伝いする機会がありました。こちらはかなり丁寧な作り方をしていると痛感致しました。上の批判は、総合テレビの話ですので誤解のないようにお願いします。
安楽寿院
元木泰雄
No.6560
山田先生、こちらこそご無沙汰しております。
安楽寿院の情報、有難うございました。
最後に出かけてから、もう10年になります。今回の特別公開を機に、ぜひ参りたいと存じます。
できれば院生諸君と一緒に見学会をしたいと思います。どなたか幹事をお願いします。
あのあたりも、いかがわしい建物を除去して、大規模な史跡公園にできないものかと思いますな。
申し遅れましたが、山田先生にはお誕生日をお迎えの由、まことにおめでとうございます。大台を突破されたとのこと、いよいよ人生のピークですね。
当方の経験を申しますと、大台だからと言って急に衰えることはなかったのですが、立場上心身ともに消耗する仕事が相次ぎ、そのダメージからなかなか立ち直れなくなってしまいました。回復力の遅さに、年齢を感じさせられた次第です。
大学も学問も大変な状況ですが、お互いに健康には留意して厳しい時代を乗り切りたいと存じます。
ますますのご活躍をお祈り申し上げます。