白河法勝寺の八角九重塔

No.6544

 京都女子大学は目下、入試の期間中。当然、私も業務に携わっているので、早寝早起きの規則正しい生活を送っております。
 このシーズンになると、入試業務が縁で、鎌倉旅行など、卒業間近からゼミの活動に加わっていただいた笠さんのことが思い出されます。
 あれから、もう何年になることでしょうか?笠さん(現姓、澤田さん)は今、北海道。今年もその例が加わるのですが、当ゼミにおいては、なぜか「おめでたい話」で離洛される方は寒いところに移住されるようです。でも、「松ヶ崎」は京北町よりも寒くはないか?
 
 ところで、本日、ゼミ一回生の皆さんは、京女ゼミ生の「棟梁」である江波さんに率いられて、懸案の白河(法勝寺跡)の見学に行かれた由(まるで保元の乱みたいです)。
 往時の八角九重塔からの眺めを、その跡に立つ動物園の観覧車から味わっていただけたでしょうか?
 ちなみに、拙著『武家の棟梁源氏はなぜ滅んだのか』(本当におかしなタイトルですね)の69ページに、この地点から比叡山を望見した写真があります。御参照下さい。

 『紫苑』第7号、初校ゲラを見るのが楽しみです。

二月の『吾妻鏡』

No.6545

 二月の『吾妻鏡』ですが、三日(火)・十日(火)・十七日(火)・二十四日(火)と開催の予定です。学期間外となりましたので開催時間にも変更がありますのでお気をつけ下さい。
 次回の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2009年2月3日(火)14:00頃?~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:仁治二年(1241年)六月十六日・十七日・十八日・二十八日、七月八日・二十六日、八月十一日・十五日・二十五日・二十八日、九月三日・七日・十日・十一日・十三日・十四日・二十二日、十月十三日・二十二日、十一月三日・四日・十七日・二十一日・二十五日・二十七日・二十九日・三十日、十二月一日・五日・八日・十三日・二十一日・二十四日・二十七日・二十八日・二十九日・三十日、
    仁治四年(寛元元年、1243年)正月五日、二月十五日・二十五日・二十六日・二十九日、三月十二日、四月十日・二十日、五月二十三日、六月十五日・十六日・十八日、七月十日・十七日・十八日・二十日・二十九日、閏七月二日・六日・七日、八月十六日・二十四日・二十六日、九月五日・二十五日、十月七日、十一月一日・十日・二十六日、十二月二日・十日・二十二日・二十五日、の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。ご自身に合った勉強法を見つけていただけると思いますので、どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

入試業務の「縁」と「宴」

No.6546

 岩田君、いつも丁寧な告知をありがとうございます。
 2日には『紫苑』の初校ゲラが届いているはずですので、編集についても相談が出来ると思います。

◇ ところで、上に笠さんの思い出話を書きましたが、縁は異なもので、今回も私の入試業務の補助にあたってくれた学生さん3人と意気投合。今日(30日)は、仕事の終わった後、女坂の「里」で一席もうけました(「いつもはA地下なのに~」という声が聞こえてきそうですが・・・)。
 史学科4回生の田中さんは、日本中世史専攻だったのに研究所ゼミに参加できなかったことをお互いに残念がり(でも、笠さんの例もありますから、これからでもどうぞ)、現社1回生の谷田さんと堤さんは、現代社会に歴史の視角から斬り込もうとする意欲満々!当方としては、門戸を広げてお待ちするのみです。