訃報 大河『太閤記』『源義経』

美川圭
No.6416

 すでにご存知だと思いますがNHK大河ドラマ、1965年の『太閤記』の秀吉役、翌66年の『源義経』の弁慶役の緒形拳氏が亡くなりました。実は、この9月30日に両方を演出した元NHKデイレクター吉田直哉氏が亡くなったのを新聞の訃報で知ったばかりです。
 
 拙著『院政の研究』のあとがきで書いたように、とくに前者は私が物心ついてはじめて見た歴史ドラマで、私の将来に決定的な影響をあたえました。この演出と主演があいついで亡くなったということは、なんともいえない寂しさを感じます。映画だったら、もう一度見ることができるのですが、両方ともほとんどもう映像は残っておりません。実に残念です。『太閤記』では信長役のクールな高橋幸治の人気が沸騰したのですが、私は若い緒形拳の秀吉に熱中しました。その後、緒形氏は日本を代表する俳優となって活躍したことはよくご存知の通り。私にとっては今村昌平監督の『復讐するは我にあり』の殺人鬼の役がもっとも印象にのこっています。

 今年はめずらしく大河を熱心に見ています。『篤姫』よくできています。大河は史実をふまえた「ドラマ」なのだということを、作り手がよく理解した上で、つくられています。とくに篤姫と平幹二郎演じる調所広郷とのやりとり、篤姫と中村梅雀が演じた井伊直弼との茶室シーン、とてもよかった。たぶん両方とも完全なフィクションですが、歌舞伎の一場面を彷彿とさせます。

 緒形拳氏と吉田直哉氏のご冥福をお祈りしたいと思います。

豊臣秀吉の因縁

No.6420

 あの緒形拳氏が亡くなり、王貞治氏がユニホームを脱ぐ。時の経つのは本当に速いものだと思います。
 中学生の時、14インチの白黒テレビで一生懸命に見た『太閤記』のタイトル場面や、前途不明の大学院生時代に友人達と市川のラーメン屋のテレビで見た王選手のホームラン世界記録達成の記憶は未だ鮮明なものがあります。
 前にも書いたことがあると思うのですが、私が「歴史」にのめり込む切っ掛けを作ってくれたのは、小学校二年生の時に父が買ってきてくれた豊臣秀吉の伝記でした。たしか偕成社から出版されたものだと思います。もちろん、子ども向きのものですが、秀吉の明るさ、とんとん拍子に出世していく痛快さ、母親への思いやり、そんなところに惹かれて、何十回も読みなおしたものでした。中学生の時に大河ドラマで放送された緒形拳氏の秀吉は、まさにその実写版のような感じで、信長役の髙橋幸治氏とともに、本物に出会ったような気持ちになったものでした。
 ちなみに、緒形拳氏が私の母校である千葉東高校(旧、千葉三高)に短期間ながら在籍したことがあるということを後から知って、そんなことからも親しみを覚えておりました。
 秀吉の出世物語から日本史に興味を持つようになり、高校の先輩である緒形拳氏の演じた秀吉に心を奪われた私が、いま、秀吉のお墓のある阿弥陀ヶ峰の麓の大学に勤務しているというのも何かの因縁かも知れません。
 また、現実が歴史の彼方に去ってしまったように思えて、さみしい限りです。 

Re: 訃報 大河『太閤記』『源義経』

山田邦和(同志社女子大学)
No.6421

 皆様。
 緒方拳(ホントは「おがた・こぶし」だったのが、みんなが「おがた・けん」と呼ぶので、結局「けん」になってしまったらしい・・・)さん、すばらしい俳優さんでした。私が記憶に残っているのは、1976年の大河ドラマで平将門を主人公にした「風と雲と虹と」。緒方さんはここで、承平・天慶の乱のもうひとりの主役、藤原純友をこれ以上ない存在感で演じておられました。なお、このドラマ、無骨な将門を演じきった加藤剛、都会的でスマートな平貞盛の山口崇、なんともいえない異様な雰囲気を醸し出していた興世王の米倉斉加年など、芸達者な役者さんが揃っておられましたね。平国香の佐野浅夫、源護の西村晃、藤原秀郷の露口茂なんかもピタリとはまっていました。さらに圧倒的だったのは、将門と貞盛の双方の愛人で、将門に連れられて板東に降り、そこで非業の最期をとげる非実在の女性「貴子」を演じた吉永小百合さんの美貌。それだけに、貴子(嵯峨天皇の曾孫という設定なので本名は「貴子女王」または「源貴子」か?)の死は、NHKがこんなシーンを放送してええんかいな、と言いたくなるような無惨なものでした。
 以上、思い出話でした。