【公開講座レビュー】のお知らせ
No.6324
◆ ずっと下で予告した『公開講座の「事後勉強会」』ですが、7月29日(火)の『吾妻鏡』の後に開催したいと思います。
内容としては、事前準備も含めた運営の反省や、ご講演内容の振り返りと今後の課題、などを、みなさんで意見交換したいと思います。
そこで、「近藤先生のご講演」・「川本先生のご講演」・「当日の雑事」について基調報告(?)して頂ける方を募りたいと思います(どなた様も名乗りでない場合は、指名します)。お引き受けいただける方は岩田までご連絡をお願い致します。
日時:2008年7月29日(火)18:00~
場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
内容:2008年度宗教・文化研究所公開講座の振り返り
公開講座にご参加下さった方はもちろん、お出でになれなかった方も、この機会に今年度の公開講座を振り返りましょう。
◆また、同じ日にいつものように開催する『吾妻鏡』のご案内です。前回は、「恋は遠い日の花火ではない」ようなお話が出てきましたが、次回はその続きからです。
日時:2008年7月22日(火)15:00頃~(予定)
場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
範囲:『吾妻鏡』嘉禎四年(暦仁元年、1238年)九月二十四日・二十七日、十月三日・四日・十一日・十二日・十三日・十四日、十二月七日・十六日・十九日・二十三日・二十四日・二十五日、
暦仁二年(延応元年、1239年)正月十一日、二月十四日・十六日・三十日、三月十七日・二十九日、四月十三日・十四日・二十四日・二十五日、五月一日・二日・十四日・十五日・二十三日・二十四日・二十六日、六月六日、七月十五日・二十日・二十五日・二十六日、八月八日・二十二日、九月十一日・十六日・二十一日・三十日、十一月一日・二日・五日・九日・二十日・二十一日、十二月五日・十三日・二十一日の各条
尻池さんの宇治報告の応援に行きます。
No.6325
「恋は遠い日の花火ではない」ようなお話。残念なことに、碩学のお書きになった当該人物の伝記には取り上げられていないようです。それにしても、『吾妻鏡』というのは、頼朝の浮気の話も書かれていますし、本当におもしろい史料だと思います。
すでにお知らせしたように、古代史サマーセミナーで、尻池さんが宇治をテーマにした研究発表(「宇治における摂関家の儀礼)をなさいます。その応援に岩田君と出掛けることに致しました。私は27~28日、岩田君は28~29日の参加で、二人がかりで全日程をカバーという次第です。
29日の「公開講座事後勉強会」には、多くの方の出席を期待しています(講座に参加出来なかった方のために、当日配布した講演資料を用意しております)。報告者の「指名」については岩田君に全権を委任致しました。私はとくに川本先生の御報告に対して私見を申し述べたいと思っています。公開講座の準備の段取りや懇親会のあり方などについても御意見を頂ければ有り難いところです。
井上章一『日本に古代はあったのか』の書評は、岩田君が立候補して下さいました。
ちなみに、京都学派の東洋史学者の中国中世史理解については、すでに角田文衞氏が、「日本史における中世の意味」(1979年の講演録。同氏『古代学の展開』山川出版社,2005年 収録)において、井上氏とまったく同様の指摘をされています。
なお、この論文には「石母田氏を始めとする学者は、マルクスなどが考えた中世の概念を抽出して、その範疇をもって日本の歴史を分析しようとした。そして、日本史の中のどこにマルクスの言う中世史の要素が見出せたかということをもって日本の中世史の概念を設定し、またそれによって日本の中世はいつから始まったのかということを論じるにとどまるのである。これではとても研究という名に値しないと言わざるを得まい」・・・「私たちにとって、いまから100年前のマルクスが何を言おうと関係はない。私たちが忠実でなければならないのは歴史の史料そのものでなければならないのである」・・・「結論的にいうと、これは日本歴史の研究に専念している人々の不勉強と視野の狭さに帰するのである」・・・「現在、関東地方で文化が卓越しているといっても、平安時代の歴史を坂東中心に書いたならば笑い者になるであろう」などと、刺激的な言説が満ち満ちています。要一読。
☆ 摂南大学の美川圭先生より、先生が専門委員のお一人として編纂にあたられ、その一部を執筆された『寝屋川市史 第十卷 本文編』を御恵送下さいました。先生の執筆部分は畿内古代中世史の最新の成果というべきもので、『台記』研究会で御報告頂いた内容が存分に盛り込まれています。
美川先生にあつく御礼を申し上げます。
☆ 長野工業高専の中澤克昭先生・長野県歴史館の村石正行先生の御連名で、井原今朝男・牛山佳幸編『論集 東国信濃の古代中世史』(岩田書院)を御恵送頂きました。
教育県として知られる長野に於ける地域史研究の水準の高さを如実に示した本であると思います。
中澤先生は「武家の狩猟と矢開の変化」、村石先生は「地方曹洞宗寺院の文書目録作成の歴史的意義」という論文を書かれておられます。
中澤先生ならびに村石先生に、あつく御礼を申し上げます。
Re: 井上章一『日本に古代はあったのか』
山田邦和(同志社女子大学)
No.6326
野口先生、皆様、おひさしぶりです。
呼ばれたので出てきました。
井上章一氏の『日本に古代はあったのか』、本屋さんではみかけましたが、まだ入手しておりません。パラパラと見た限りでは、刺激的かつ挑発的な議論だとは思ったのですが、かなり旧い説を相手に独り相撲をとっておられるような感を受けた(失礼!)ので、あえて購入しませんでした。野口先生のおっしゃる通り、井上氏が御自分の新発見のように説いておられることを、角田文衞先生は何十年も前から主張し続けておられる、というところもあるように思います。とはいうものの、きちんと読まずにこんな批評をすることはアンフェアですね。野口先生の御指示に従い、近く入手して読んでみたいと思います。
角田先生の「日本史における中世の意味」は、『古代学の展開』の刊行にあたって、ぜひこれを載せようと主張し、私がテープ起こしをしたものです。野口先生に「要一読」と言っていただけて、ちょっと嬉しい・・・
鎌倉時代も古代に時代区分した研究者
No.6327
山田先生、勝手にお名前をお出しして申し訳ありません。『古代文化』で「角田史学」の特集を組むという企画もありますから、ちょっと議論してみませんか?
この井上章一氏の著書は、今日の日本社会に蔓延している「関東史観」の成り立ちを明らかにしたものですが、それとオーパーラップするのが近代以降の「武士」認識だと思います。また、京都学派の日本史認識という点では、よく言われる中世国家の理解についての東西研究者の(対立)の問題が想起されます。
私は中世前期の地方武士の存在形態を考える場合に、これまであまりにも不当な形で「京都」が等閑にされていたと考えておりますので、等閑にされた理由を考え、それを改めてもらうためにも、この辺りの問題を検討する価値があると思っています。
井上氏の著書は、こうした問題を正面切って論ずるというものではありませんが、研究者の経歴の考察などから、それが却って分かりやすく、また氏がこの方面を本業とされる立場でないことから忌憚なく率直に論じられており、それが有り難いところでした。
この本をとっかかりにして、中世前期の武士論、権門体制論や東国国家論、王権論などを俎上に載せて議論してみたいと考えるのですが如何でしょうか?
ちなみに、京大日本史の担い手のお一人である元木先生も、本書を読んで下さるとのこと。御感想が楽しみです。
それにしても、井上氏が、世界史的視野から「古代」を論じ、独自の時代区分を示された〈東北育ちで京大出身、かつ深く貴族文化を憧憬した〉研究者の提唱した学説(「角田史学」)に言及されなかったのは、とても残念なことだと思います。
* 本日、京都は午後から大雷雨。明日が締め切りだというのにレポートを持ってきた学生さんはたった一人。大丈夫でしょうか。
落雷による一瞬の停電で、書いたものがスッカリ消えてしまいましたという電話が一本。雷公さんは大変な実害をもたらしているようです。
Re: 井上章一『日本に古代はあったのか』
No.6328
さっそく昨日、私も読んでみました。おもしろくて、いっきに読めました。
私も、最近、律令成立期から南北朝ぐらいまでを、一つながりでみるくせがついているので、共感するところが多かったです(拙著『院政』もそうなっているでしょ)。そうか、7世紀から中世と考えるのも、いけるのかも、と今思っています(まだそれほど厳密に考えてはいませんが)。というか、それを全部中世と見ることが可能とは、思ってもみませんでした。京大東洋史の時代区分との関係で見るという視角は新鮮でした。私も昔、学生時代に宮崎市定の中国史を読んだのですが、そうか、宮崎史学では唐は中世だったのか。再読したくなりました。でもはたして邪馬台国までいけるかな。
それから、鎌倉時代も古代、というので思いだしたのですが、たしか東大史料編纂所の古代史料部門も鎌倉時代まででした。あれはどういう経緯でああなったのでしょう。ご存知の方がおられたら教えていただきたいと思います。
この議論、野口先生のおっしゃるように、かなりおもしろいと思います。
Re: 井上章一『日本に古代はあったのか』
山田邦和(同志社女子大学)
No.6329
>この本をとっかかりにして、中世前期の武士論、権門体制論や東国国家論、王権論などを俎上に載せて議論してみたいと考えるのですが如何でしょうか?
野口先生、面白いですね。ふだんはあんまりそんなことまで議論がいかないので、結構なご提案だと思います。井上氏の御本、買いに行ってきます。
日本史研究における「京都」と「地域」
No.6330
美川先生、山田先生、ご賛同ありがとうございます。
この本は、一般読者よりも日本史研究者が楽しめる?本なのではないかと思います。
古代と中世の時代区分について私は、以前から自治体史の仕事をしている時、「中世史部会」も「古代史部会」も居心地が悪くて困ることがありました。言うまでもなく、私自身の能力不足が主な理由なのですが、ほとんどの自治体史が鎌倉幕府の成立をもって中世のはじまりとしていることにも原因があるのだと考えています。
そもそも、ごく最近まで東国武士の研究史料として記録(公家の日記)が使われていなかったことも、考えてみれば不可思議千万なことで、「貴族」と「武士」、「京都」と「東国」(地方)、「都市」と「農村」、さらにいえば「女性」と「男性」といった対立の図式が歴史学者の脳裏をも支配していたからなのではないかと思わざるを得ません。
最近、建築史を専門とする若い方たちなどと『吾妻鏡』を読んでいて思うのは、以前とはまったく逆に、鎌倉と京都の親近性です。極端な物言いかも知れませんが、東国武士といっても、人生の何分の一かは京都で生活しているのだから、すっかり京都人だというように思えてきました。
なお、この問題に関連いたしますので、一昨年、東北大学で開催されたシンポジウム「東北像再考-地域へのまなざし、地域からのまなざし」でお話しさせていただいた「日本中世史研究の現状から「地域」を考える-柳原敏昭氏「東北と琉球弧」へのコメント」(『東北文化研究室紀要』通巻第48冊,2007年)の一部を抜粋掲出させていただきます(注は省略)。
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3 地域史研究における今日的課題
近代の軍国国家日本を席巻し、今日もまた蘇りの気配を見せる「武士道」の概念を創作した新渡戸稲造が、島尾敏雄の両親と同じ東北の出身であることは興味深い。新渡戸は盛岡南部藩士の家に生まれ。彼の「武士道」概念は自らの受けた教育などの体験に基づくと考えられているから、この点は重要である。島尾は「武士道」を「あまり感心しない」ものと捉え、そこに人間の「固い顔つき」を見出しているが、それは彼のルーツである東北に向けられた眼差しであったのかも知れない。
島尾がその一部を否定的に評価する武士的なもののルーツが東国にあったとすると、彼は西国の社会や文化をどのようにとらえていたのであろうか。網野善彦も指摘するように、今日においても関東がタテ的で男系の本家分家関係を重視するのに対し、関西の社会はヨコ的で姻族を重視する傾向が強い。島尾は少年期と三十歳代の前半、通算すると十五年ほどの間、神戸で生活している。この体験も彼の思想形成に大きく影響しているのではなかろうか。そのように思うのは、私自身、千葉県で生まれ育ち、三十五歳になって京都に転居した際、地域の文化・社会のあり方の相違に大きな驚きを感じた経験を持つからである。
西の文化の中心は京都であった。今日、とりわけ各地の中世地域史を研究する人たちから、ある種の「忌避」の目でみられがちな京都である。京都の文化は「雅(みやび)」とか「はんなり」と言った言葉で表現される。これと南島の「人間的なあたたかみ」はまた別種のものであろう。島尾の京都論はどのようなものであったのだろうか。
最近、京都では観光振興の目的もあいまって、京都の文化こそが日本文化だと言わんばかりのキャンペーンがはられ、それは教育現場にまで及んできている。一方、上述のように歴史が「中央」と「地方」のパラダイムで語られることへの反発も根強く、出来るだけ京都の存在を相対化して歴史を考えようとする傾向が見える。相対化ならまだしも、捨象と受け取らざるを得ないものも見受けられる。
京都文化を日本文化と同一視することは戦前のような国粋主義に結びつく懸念がもたれるが、その一方で、文書・記録はもとより、地中の遺構や遺物も含めて、京都に遺された歴史資料の量は、日本列島のほかの地域との比較においてのみならず、世界的に見ても圧倒的なものがある。しかも、京都は列島各地との経済・文化交流の結節点としての機能を担っていたのだから、これを踏まえずして各地域の歴史は語れないはずなのである。
島尾敏雄の「等距離で見渡せるような場所から、日本を見たいものだと思う」という願望は、歴史学の世界において、右のような課題を止揚した上に達成されることだと思う。
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なお、このコメントの対象とさせていただいた柳原敏昭先生の御報告「東北と琉球弧-島尾敏雄「ヤポネシア論」の視界-」も前記『東北文化研究室紀要』同集に収録されています。
☆ 長野県立松本工業高校の塩原浩先生より、御高論「一条高能とその周辺-姻戚関係と政治的役割-」(井原今朝男・牛山佳幸編『論集 東国信濃の古代中世史』(岩田書院)を御恵送頂きました。
塩原先生に、あつく御礼を申し上げます。