西園寺家の吉田泉殿跡に新石敷き遺構発見

No.6241

 今日、京大西部構内の吉田泉殿と思われる遺構を見てきました。
先日の見学会の後に行ってから、2度目なのですが、
たいへんラッキーなことに、

 あの石敷き遺構の南東12mほどのところに、もう一本の石敷き遺構が発見されておりまいた。石敷き遺構~堀込地業~石敷き遺構となっておりました。

 二つの石敷き遺構は同じ高さで、並行しています。ということは、ほぼ12m四方の方形の仏堂と推定されます。以前発見されていた遺構に比較して、雨落ち溝がやや粗末な作のようで、この建物が北西方向から見られることを意識したものと思われます。ということは邸宅中心は北か北西にあったと考えられ、この遺構が吉田泉殿の一部と考えて間違いないのではないでしょうか。

 ちょっと興奮してしまいました。

 秋以降、今回の発掘地域の西側を掘る予定だそうです。楽しみになってきました。

『平治物語』論・『闘諍録』『盛衰記』注釈

No.6245

 美川先生、貴重な情報をありがとうございました。
 ひょっとしたら、福勝院の境域に属する建物の遺構なのではないかとなどと、想像をめぐらせていたのですが、やはり吉田泉殿の一部のようですね。
 京大の周辺は、12~13世紀のころ、源頼政の近衛河原邸や藤原経房の邸宅などもあり、けっこう都市的な様相を呈していたように思えてきました。白川道の機能も想像以上に大きかったのではないでしょうか。

 ☆ 本日、名古屋学院大学の早川厚一先生より、御高論「『平治物語』成立論の検証-『保元物語』『平家物語』『愚管抄』との関係について-」(『名古屋学院大学論集(言語・文化篇)』Vol.19 -1)・「源平闘諍録全釈(三-巻一上③(五ウ5~六ウ9))」(『名古屋学院大学研究年報』20)および、早川厚一・曽我良成・橋本正俊・志立正知「『源平盛衰記』全釈(三-巻一-3)」を、各10部づつ御恵送頂きました。
 ゼミ関係者に御配慮頂いたものです。
 早川先生にあつく御礼申しあげます。

 上記の御高論を必要とする方は、お申し出下さい。

『北条時宗の時代』と『式部省補任』拝受

No.6246

 本日、大著2冊を拝受。一冊は、ともに鎌倉時代研究の第一線で御活躍の久保田和彦先生・永井晋先生から御恵送頂いた北条氏研究会編『北条時宗の時代』(八木書店)、もう一冊は、永井晋先生より御恵送頂いた、永井先生の御編になる『式部省補任』(八木書店)です。

 前者に、久保田先生は「六波羅探題発給文書の研究-北条時茂・時輔・義宗探題期について-」、永井先生は「平姓安東氏の研究-安東蓮聖像の再検討を中心に-」・「中世都市鎌倉の発展-小袋坂と六浦-」という御高論を執筆されています。

 後者は「式部省補任 附文章道大業」・「式部考証」・「解説」の三部構成で、大変な御労作です。今後の研究にもたらす裨益は多大なものがあると思います。

 永井先生・久保田先生に、あつく御礼を申し上げます。


 ※ 本日、ある学術雑誌に掲載予定の書評の再校ゲラが届きました。初稿で完璧に修正は済ませたと思っていたのですが、数多の校正の見落としを指摘されていました。編集担当者には全く頭が下がります。その一方で、本当に自分に自信が持てなくなってまいりました。「耄碌」とはこういう状況を指すものだと思われます。
 原稿は、提出する前に、若い人に目を通して貰うことにしたいと思います。
 ・・・ということで、ゼミに関係する皆さん、宜しくお願いいたします。