追悼 米谷豊之祐先生

No.6212

 郵便物が返送されてきたことから、米谷先生が逝去されたことを知りました。御遺族よると亡くなられたのは3月1日。享年92歳とのことです。
 
 米谷先生には院生時代から書信を通じて常に励まされ続け、また、たくさんの御研究の成果を頂き、多くのご教示にあずかりました。お目にかかったのは、たった一度だけでしたが、まぎれもなく私の恩師の一人です。
 昨年、『紫苑』の前号をお送りした際、尻池さんの御論攷に讃辞を寄せて下さったことは、まだ記憶に新たなところです(>>No.5625)。 

 先生の御業績を今後の研究に活かすと共に、私に示して下さったような後進への暖かい眼差しを受け継がなければならないと思っております。

 米谷先生の御冥福を、衷心よりお祈り申し上げる次第です。
                                   合掌

Re: 追悼 米谷豊之祐先生

元木泰雄
No.6213

 米谷先生の訃報に接し、大変驚いております。
 お年賀状も頂戴しただけに、とても信じられない思いです。
 心よりご冥福をお祈り申し上げる次第でございます。

 米谷先生とは、昔、予備校の講師としてご一緒したことがあり、そのときに源為義に関する御論文の抜き刷りを頂戴致し、お話を伺ったことがありました。お話の中で野口先生のことを大変高く評価しておられ、「お若い方だが、随分と学恩を賜っている」と仰ったのが印象に残っております。
 その後も御著書を賜ったうえに、拙著を送りした際には、いつもお心のこもったお祝いのお言葉を頂いたことが思い出されます。
 学問も、お人柄も、まさに昔気質の、実に堅実な先生でした。華々しい論を展開されることなく、ストイックにひたすら事実を追い求められる研究姿勢を貫かれました。
 古めかしいといえばそうでしょうが、今日のように各種の索引やDBがなかった時代に、丹念に史料を渉猟し、源為義や下北面・検非違使、実務官人平信範一族など、地味だが重要な人々に光を当てられたことは、ある種驚嘆に値すると思います。
 テーマの重要性、御研究の意義に、やっと我々が気づいたといえるのかもしれません。
 もう、このようなタイプの学問をされる方は出ないことと思いますが、御研究は決して色あせることはないことでしょう。
 
 また一つ、時代が過ぎた感が致します。
 余談ですが、先生は長年大阪の高津高校の古文の先生として教鞭をとっておられました。その門下に受領研究で知られる愛媛大学の寺内浩先生などがおられます。
 
 

米谷豊之祐先生の略歴と研究業績(稿)

No.6214

 私が把握している範囲で米谷先生の御経歴ならびに御業績を紹介させて頂きます。

【略歴】
1915年 誕生。本籍は奈良県宇陀郡兎田野町(宇陀市兎田野区古市場)。
1940年 神宮皇學館本科卒業。その後、一年半あまり兵役に服す。
1942~47年 堺市立堺商業学校勤務。その後、古本業を営む。
1952年~ 大阪府立高津高校に勤務(定時制16年間・全日制10年間)。
       この間、関西大学文学部史学科に編入学、ついで大阪大学大学院に進学。
1957年 大阪大学大学院文学研究科修士課程修了。
その後、大阪城南女子短期大学・大阪産業大学などの非常勤講師をつとめる。

【著書】
『院政期軍事・警察史拾遺』近代文藝社,1993年
『平信範-傍流伊勢平氏の興亡を余所目に、摂関家の家司の立場を守り続けた人物-』
             新風書房,2006年

【論文】
「中原廣元・親能の関東来附の経緯について」
             『大阪城南女子短期大学研究紀要』第6巻,1971年
「武士団の成長と乳母」『大阪城南女子短期大学研究紀要』第7巻,1972年
「検非違使覚え書き-特に前期院政下の〝尉〟〝看督長〟について-」
            『大阪城南女子短期大学研究紀要』第8巻,1973年
「滝口武士考序説-特に十二世紀後期における様態-」
             『大阪城南女子短期大学研究紀要』第9巻,1974年
「源為義 其の家人・郎従の結集・把持-武家政権樹立前夜における武士団棟梁の苦悩-」
              『大阪産業大学論集 人文科学編』第38号,1974年
「鎌倉時代における母権-特に猶子・継子との関係における-」
            『大阪城南女子短期大学研究紀要』第10巻,1975年
「院武者所考-白河・鳥羽両院政期を中心として-」
        時野谷勝教授退官記念事業会編『日本史論集』清文堂出版,1975年
「後白河院北面下﨟-院の行動力を支えるもの-」
             『大阪城南女子短期大学研究紀要』第11巻,1976年
「源俊房と院政開始期の政局」『大阪産業大学論集 人文科学編』第61号,1981年
「滝口武者考」『日本歴史』第388号,1983年
「院政期検非違使歴名表及び附考」『大阪産業大学論集 社会科学編』第75号,1989年
「院北面武士追考-特に創始期について-」
              『大阪産業大学論集 人文科学編』第70号,1990年
「看督長考-特に院政期について-」『大阪産業大学論集 社会科学編』第91号,1993年
「平安中期における六位蔵人」
     大阪大学文学部日本史研究室編 『古代中世の社会と国家』清文堂出版,1998年
「佐竹家の祖-源義業」『古代文化』第54第6号,2002年

Re: 追悼 米谷豊之祐先生

No.6221

 米谷先生が亡くなられたとはショックです。

 私の『白河法皇』(NHKブックス)の執筆が、苦手な武士の部分で滞ってしまったとき、米谷先生の御著書を参考になんとか乗り切れました。そのとき本当に先学の業績というもののありがたみを痛感いたしました。出版後、さっそく拙著をお送りしたところ、過分のお褒めのことばをいただき、恐縮いたしました。ついにお目にかかる機会をつくることができなかったことが残念でなりませんが、そのお人柄の温かさが、その後のお手紙からも十分伝わってまいりました。今後も先生のすばらしいご業績を、自らの研究にいかすとともに、僭越ながら、できる限り世に広める努力をしたいと思っております。

 ご冥福をお祈りいたします。