『研究紀要』第21号が出来ました。

No.6119

 京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』第21号が刊行されました。
 本号には、宇治共同研究の成果として、

 野口実・佐伯智広・田中裕紀・大原瞳「摂関家の空間における政治と文化(中世前期の宇治に関する総合的研究Ⅰ)」

 が掲載(21~54ページ)されているほか、一昨年6月に開催された宗教・文化研究所公開講座の講演録として、

 樋口大祐「為朝・義経-日本的「英雄」の条件について」(55~64ページ)
 樋口州男「安元三年の崇徳院鎮魂-天下静かならず」(65~72ページ)

が掲載されています。
 佐伯君・田中さん・大原さんには各本誌1冊と抜刷50部、また宇治共同研究とゼミ関係者には、宇治共同研究の論文抜刷を差し上げますので、野口在室をご確認の上研究室までお出で下さい。 

Re: 『研究紀要』第21号が出来ました。

元木泰雄
No.6121

 野口先生、昨日は研究室にお邪魔させて頂き有難うございました。
 また色々ご教示を賜りましたことに、厚く御礼を申し上げます。
 当方の研究室の耐震補修の関係で、長らく『台記』研究会、『吾妻鏡』研究会を研究室で開催させていただきました。改めて感謝申し上げる次第でございます。
 ようやく当方の研究室も日常生活が行えるように復旧しつつあります。とはいえ、本はまだ並べなおしておりません。移転前より本棚が少なくなったらしいのですが、どこに行っちゃったのでしょうか?
 それはともかく、前回の『吾妻鏡』研究会に続き、『台記』研究会も次回から当方の研究室に戻らせていただきます。
 長らくご迷惑をおかけいたしましたこと、深くお詫び申し上げます。
 今後ともよろしくご指導のほどお願いします。申し上げます。
 
 それにしても、去る20日の『吾妻鏡』研究会の出席者は、わずか4人・・・・
 時間変更で出られなかったり、うっかりした方もおられたようですが、さびいい限りです。これに限らず、どの研究会も抜ける人はいても、新規参加者がほとんどおりません。中世前期を専攻しようという人が、年々減少してゆくのがわかります。
 そもそも、日本史を学ぼうという人自体、随分減少しているのですが、とりわけ中世前期(古代のそうかもしれませんが)は、それが酷いように思います。
 ある意味、中世前期は議論が煮詰まってしまい、限られた史料の読み替えによって高度な分析をするしかない面もあるかと思います。まだ誰も手をつけていない分野、史料を取り上げるという、初学者に一番取り付きやすい方法が通用しなくなっているのも、志望者減の一因かと思います。
 一方で、かつての幕府論、国地頭、武士論など、大規模な論争が影を潜めたこと、その背景にある、研究史の無視、先学の軽視といった趨勢も、後進に魅力を感じさせない要因でしょう。各研究者が、自分の世界に浸り、定義も曖昧な概念をもてあそびながら
好き勝手なことを書きなぐっているのが、中世前期に関する「研究書」の大半ではないでしょうか。ただでさえ、グローバル・スタンダードと無縁の人文学は「夜郎自大」などと自然科学の連中から罵倒されている危機的状況に中で、こうした傾向が続けば、志望者減どころか学問の信頼さえも失わせることになります(ちなみに、日本史のグローバルスタンダードは、日本における日本語による研究です)。
 そうした状況の中で、昨年の野口先生の例会報告は、鎌倉幕府論を正面から捕らえなおそうとした画期的な内容だったと思います。幕府とは何か、そしてなぜ幕府が成立したのか。今こそ、古めかしい領主制論の残滓を拭い去って、この問題を真正面から論じなければならないと痛感致しました。
 人文科学が軽視され、実用的で一見華々しいだけの研究のみがもてはやされるときこそ、日本史の、そして中世前期研究の第一線にある研究者は、学問の王道を歩みたいものです。
 とはいえ・・・かつて50代は人生の最盛期、などという話を聞いたのですが、実は雑用の最盛期を痛感させられる破目になりました。そして酷使され、疲労した心身は容易に(あるいは永久に)回復しないことも思い知らされました。衰えは隠しようがありません。実際、雑用で健康を害され、早く身まかられた方々が何人もおられます。さぞや御無念であったことと思います。
 山積する学務をこなし、学問の王道を歩む。まさに至難としか言いようがありません。でも、健康に留意して、志を高く持って何とかこの道を切り開いてまいりましょう。
 あまりの困難に、くじけそうになります。でも野口先生のご尽力、ご奮闘に幾度も支えられてまいりました。当方もお役に立てるように努力した行きたいと思います。
 もう過ぎてしまいましたが、2月23日、お誕生日おめでとうございます。
 
 
  

「57歳」は歌の題にもならないのですが。

No.6122

 昨日の京都はときに雪が暴風に舞い散る一日。バタバタと風の吹きつけるガラス窓の研究室で伊藤さんと米澤君に資料の整理を手伝ってもらいながら、例によって要らぬ戯言をきいていただいておりました。
 57年前の千葉も大雪だったそうです。
 
 元木先生、御丁寧な御挨拶を賜り、ありがとうございます。昨年大きな手術をした父からもメッセージが届き、今年の誕生日はことさら感慨深いものとなりました。
  『論語』の為政編に「三十而立、四十而不惑、五十而知天命」とありますが、私如き小人は孔子様の足元には遥かに及ばず、未だに自立した実感などあり得ず、生涯惑い続けることは必定。ただし、「天命」ではなく「限界」だけは早々に認識したところであります。
 夢や希望はやせ細るが、それに反比例して腹の回りは肥え太る。これが厳しい現実です。

 すでに、定年後に昔を語り合うことを楽しみにしていた同世代の友人の何人かは、そのゆとりを得ることなく世を去ってしまいました。本当に慚愧にたえません。
 歴史上に満57歳で没した人物を捜してみたら、平忠盛がそれにあたりました。平家全盛の種を蒔いた人物。

 ところで、次回の『台記』研究会での報告のテーマですが、その平家全盛期における東国支配の問題について思うところを発表させていただきたいと存じております。
 元木先生にコメントをいただいた、昨年9月の日本史研究会例会報告で触れた問題についてさらに別の史料も提示して検討を加えたいと存じます。御教導の程、宜しくお願い申しあげる次第です。

 それにしても、57歳のうちに出来る限り原稿の負債返済につとめたいものです。
  とはいえ、年度末の事務処理との闘いは暫く続く模様。

  ともあれ、ゼミの皆さんには散々お話ししているところですが、20代・30代などというのは夢のように過ぎ去り、40代は家事(子育て)・仕事に追われて記憶に残ること少なく、あっという間に<浦島太郎状態>というのが人生でありますから、心して生きてください。