>山岡さん 『紫苑』の初校に関する手配、ありがとうございました。
執筆者の皆さんも、校正、宜しくお願いいたします。
ちなみに、『紫苑』は鹿児島でも有名で、驚いてしまいました。
昨晩、明るく暖かい鹿児島から帰洛いたしました。先年のゼミ旅行の際には、鹿児島の変化をじっくり観察することは日程や天候(「雨男」がいたらしい?)の都合で叶わなかったのですが、今回は新幹線を利用したこともあり、旧西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)周辺の大変な変貌ぶりを実感することが出来ました。1989年、鹿児島経済大学(現、鹿児島国際大学)に赴任した当時の鹿児島は、もはや歴史の一コマに位置付けられてしまったようです。
ふだん土曜日に開催される隼人文化研究会例会を、この日(17日)に設定していただいたのは、ひとえに報告者の都合に配慮してくださった事務局担当の永山修一先生の御高配によるものです。
御出席下さったのは、もう一人の報告者である松迫知宏さん(九州大学大学院)の研究仲間である若手の研究者から今日の南九州中世史の水準を構築された五味克夫先生や江平望先生まで、多彩な顔ぶれ。鹿児島大学の金井静香先生やゼミ旅行の際にお世話になった霧島市(当時は隼人町)教育委員会の重久淳一先生、新地浩一郎さん(現在はミュージアム知覧にお勤めです)、また黎明館に勤務されている畏友徳永和喜先生、林匡先生もお出で下さいました。
さらに、それこそ「一所傍輩のネットワーク」ではありませんが、京都の辺境史研究会で活躍されていた竹森友子さんにも再会することが出来ました。竹森さんは当ゼミ草創期を担ってくれた前川佳代さんの学友で、奈良女子大学大学院で博士号を取得され、現在は郷里の鹿児島にお住まいとのことです。
さて、私の報告ですが、多くの史料に基づいて精緻な論証過程を示された若い松迫さんの御報告と対照的に、まさしく
>>No.6095に書いた予測がその通りとなり、なんとも焦点のぼやけた話になってしまいました。今さらながら、強引に結論だけを述べ、かえって反発を招いたのではないかと危惧しています。いくつか大事なことを言い忘れもしました。老耄の致すところです。
例会の後、いつもの天文館の『吾愛人』(鹿児島郷土料理の店。店名は 椋鳩十が名付けたとのこと)で開かれた報告者との懇親会には、五味先生・江平先生をはじめ、徳永先生、永山先生・重久先生といった先達のほか、鹿児島大学非常勤講師の新名一仁先生、九州大学大学院生の水野哲雄さん(中世の武家故実を御研究)、大阪大学大学院生の岩川拓夫さん(鹿児島大学の学部生だったとき、有村さんと御一緒に当方の研究室にお出でになったことがあります)ら若い方々が出席され、今夏開催される中世史サマーセミナーの話題などで大いに盛り上がりました。
中世史サマーセミナーについては、この掲示板にも御案内をいただくように新名先生にお願いした次第です。ちなみに、実施母体となる鹿児島地域史研究会のHPアドレスは
http://kchiiki.kachoufuugetu.net/index.htmlです。
サマーセミナーは、若手研究者が「一所傍輩」のネットワークを築くうえで絶好の場だと思いますので、当方のゼミメンバーにはぜひ積極的な参加を期待したいと思います。
懇親会での収穫は今後の南九州中世史の研究を担う若手の方々と交誼を得ることが出来たことともに、江平先生と親しくお話しを交わす機会を得たことでした。僭越な言い様ですが、とくに史料の読解にあたっては江平先生の真っ直ぐな姿勢に、われわれは大いに学ぶところがあると思います。
例会並びに懇親会の席において、御出席の方々から多くの貴重な御高論を拝受いたしました。あつく御礼を申し上げる次第です。
鹿児島は大河ドラマ『篤姫』の放送もあって、おおいに活気づいてます。篤姫関連の書籍の中では最も権威のある徳永先生の『天璋院篤姫 徳川家を護った将軍御台所』(新人物往来社)は放送の翌日の月曜日に売れ行き好調とのこと。鹿児島に限らず、書店の店頭の一番目につくところに平積みになっています。一般向けの著書を世に出したならば、かくありたいものです。