新しい中世武士団のイメージ―茨大シンポ

No.6032

 前夜出発の夜行バスで京都を発ち、当日朝に水戸に着くという、虚弱な私にとってはけっこうな強行日程で、12/9(日)茨城大学水戸キャンパスにて開催されました「北関東の武士(もののふ)たち―新しい中世武士団のイメージ―」にお邪魔して参りました。
 主催されました茨城大学人文学部のみなさん、コーディネーターをおつとめいただきました茨城大学の酒井紀美先生、高橋 修先生、講師の諸先生方、当日の運営に奔走して頂きました茨城大学の院生・学生のみなさんに、改めまして御礼申し上げます。
 北関東の武士団の様々な側面を実例に則してご紹介いただき、さらに討論を通じてより多くの方の意見も伺うことができました。土地勘のない地域についての最新の研究成果に接することができ、とても新鮮な経験となりました。
 また、大学主催のシンポジウムに、一般の方から第一線でご活躍中の研究者の方まで、幅広く実にたくさんの参加者がお集まりになるのを拝見し、ただただ驚きました。そしてそこに参加させて頂くことができて、本当によかったと思います。シンポジウムに関わられたみなさんに感謝申し上げます。

 また本日は、茨城大学人文科学研究科の前川さんのご案内で、台渡廃寺跡発掘現場・天満宮・那珂湊・吉田神社・薬王院・水戸城跡などを見学させていただきました。那珂川渡河点周辺の様子、吉田神社の季節はずれの枝垂れ桜、薬王院本堂など、前川さんには一つ一つの印象的な史跡をとても丁寧にご案内していただき、おかげさまで本日もまたとても充実した一日となりました。
 前川さん、関西にお出での際はどうぞお気軽にお声掛けください。前川さんのおクルマとは比べものにならないくらい粗末なクルマにてご案内申し上げますので。

 京都の冬もなかなか寒いのですが、茨城の、さらにしんとした冷え込みも印象的で、発掘現場の土の上にも霜が降りていましたね。
 寒い季節ならではの魚介類も、那珂湊でたくさん堪能させていただきました。海鮮丼は重厚な盛りつけなのにどの具もまろやかで豊かな風味でした。ポン酢とモミジおろしでいただくアンキモも美味しかったです。そんな海鮮丼をいただきながら、野口先生は武士団の展開と海との関係について興味深い仮説を提示されましたね。

 素晴らしい時間を過ごすことができた週末でしたが、『吾妻鏡』の講読会はまた来週も通常通り開催致します。
 次回の『吾妻鏡』、及び例会は以下の通りです。
-『吾妻鏡』講読会-
 日時:12月17日(月)13:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』八月九日、十日、十三日、十五日、九月一日、十一日、二十八日、閏九月一日、四日、五日、六日、八日、十七日、十八日、二十一日、十月二日、五日、二十二日、十一月九日、十三日、十六日、二十八日、二十九日、十二月五日、二十三日、二十四日、二十九日の各条
 (※掲出した範囲以外に「これは」という条文があれば、随時お知らせ下さい。)

-例会-
 日時  :12月17日(月)18:00~(予定) 
 場所  :京都女子大学L校舎3F宗教・文化研究所共同研究室
 報告者 :神戸大学 山本 陽一郎氏
 報告内容:「利仁流藤原氏の成立と展開-院政期から鎌倉期を中心にー」
 参考文献:生駒孝臣氏「中世前期の畿内武士と公家社会」『ヒストリア』203、2007年1月。
     櫻井彦氏「丹波国宮田荘における『本所違背』行為をめぐって」『書陵部紀要』55、2004年。
 山本さんによる修論準備報告です。古参メンバーはふるって御参加下さい。

茨城大学でのシンポジウムの御報告と御礼

No.6033

 茨城大学でのシンポジウム、参加させていただいて本当に得るところが大きく、高橋修先生・酒井紀美先生をはじめとする茨城大学の皆様にあつく御礼を申し上げます。

 当日は午前の話は私だけなので、せっかくの日曜日でもあり、来場者は午後の報告からという方が多いのではないかと予想していたのですが、案に相違して、控室から会場に向かうと、レジュメも椅子も不足でパニック状態とのこと。会場のうしろには、立ち見ならぬ、たくさんの「立ち聴き」の方たち、講師席の目の前にも聴講の方(椅子の高さが同じなので、やたらに目が合って困りました)といった大盛況振りには大変ビックリさせられました。講演の出だしで「国際日本文化研究センター」という固有名詞を度忘れしてまったのは耄碌ばかりのせいではないようです。
 講演の中味は、端折りすぎて大切なところを言い忘れたり、例のごとく余談に及んだために、結論部分がお座なりになったり、まったく恥ずかしいものでしたが、坂東武士団研究に対する日ごろの思いの一端なりとも、多くの方々に聴いていただけたことは幸いだったと存じております。

 
 あまりの参会者の多さに、午後からは会場を変更。こういう対応をすばやくされる主催者の力量には感服させられました。
 午後の報告については、ここでその内容を簡単に紹介し、若干のコメントを述べさせていただきたいと思います。

  伊藤瑠美氏「関東武士団研究の軌跡」は、戦後における研究史の要を得た概括で、領主制論・国衙軍制論・職能論の流れを振り返りつつ、新しい在地領主制論の動きを示されたものでした。報告者の美濃源氏に関する御研究も、フィールドを異にはするものの、武士論研究に大きなインパクトを与えるものだったと思います。ただ、鎌倉幕府成立論に対する論及がなかったのが少し残念でした。

 高橋修氏「常陸平氏 再考」は、①今日の「常陸平氏」認識は、中世後期に系譜を作成した時点での作成者のイデオロギーを反映したものとみるべきことや、②中世前期武士社会における女系結合の存在を評価すべきこと、③頼朝による嫡家の創出の指摘-など、紀州湯浅氏研究において大きな成果をあげられた報告者なればこその優れた問題提起が盛りだくさんの報告でした。
 ①については、千葉氏なども同様ですが、中世後期あるいは近世に作成された史料に基づくイメージで中世前期の武士団の存在形態が語られるケースが多いことが、まさに地域史研究のアキレス腱になっているように思います。また、②もそれに連関しており、在来の「郷土史」なるものは、まさに「男による男のための男の歴史」であり、健全な地域史研究は、その払拭を自覚的に行うことから始めなければならないと考えます。
 なお、常陸平氏については、かつて私営田領主から在地領主へ変貌を遂げたと説明された時期について、新しい視角からの検討が要請されると思いますが、その場合佐竹氏や志太氏との重層的関係をどう評価するかということが、大きな課題となるものと思われました。

 内山俊身氏「東国武士団と都鄙間の文化交流―下総下河辺氏と関戸の宝塔―」は、下河辺氏の在京活動を、石塔という遺物によって具体的に示した御研究で、その解明には、仏教美術史や考古学、文献史学の研究を総動員しながら、京都のみならず、九州さらには東アジア的な視野での情報収集が期待されるように思いました。また、下河辺庄の開発の過程についても重要な指摘が含まれており、とてもインパクトのある内容でした。

 松本一夫氏「武士団と町場―下野小山氏―」は、小山氏の本拠たる空間について、軍事・宿・市・大道の要素をもって地名・考古学・文献史学からアプローチを加え、初期小山氏の本拠地にせまるという御報告。こうした要素は、地方勢力のみならず、平家の六波羅や源氏の鎌倉、藤原氏の平泉などにも、「武士の本拠の空間論」として敷衍して考えることが出来るものと思いました。

 田中大喜氏「武士団と寺院、門前町―上野新田氏と世良田長楽寺―」では、新田氏が世良田長楽寺の外護者たることによって地域支配の正当性を獲得していたことや、有徳人の実態に触れ、地域の拠点的な町場を核とする武士の地域結合について論じられました。職能論では武士と京都(首都)の関係が重視されましたが、地方においても武士が町場にその存在を規定されていたことを理解することが出来ました。

 5つの報告に続いて、糸賀茂男氏からのコメント、ついで聴講者からの質問に対する回答が行われ、最後は会場にお見えになられていた木村茂光、峰岸純夫両先学からの御高評を得て、会は大盛況のうちに閉会。
 木村先生からは、坂東武士が常に更新された存在であったことを、私の講演から理解できたという御発言をいただいて安心し、峰岸先生からは、在地からの動きを大切にしたいという御意見をうかがって、やはり、中世における「武士」の典型的存在である地方の「在地領主としての武士」に焦点を合わせた武士論研究を進めなければならないことを再確認させていただきました。
 ちなみに、髙橋昌明氏が、その概念の存在を否定すべきことを主張されている「武士団」についても考えていかなければならないでしょう。

 この、シンポジウムには、一般の歴史を愛する市民の方々のほかに、多くの研究者がお出でになっておられましたが、せっかくの機会であったにも拘わらず御挨拶の機会を失してしまった方も多く、この場を借りてお詫び申し上げる次第です。また、報告者を含めて、最近の御研究の成果の抜刷などもいただきました。あつく御礼申しあげます。
 なお、会場では海老沢衷先生から、一年後くらいに鎌倉遺文研究会で報告の機会を与えていただくという、思わぬ余得にも預かることが出来ました。


 さて、シンポジウムの翌10日には、岩田君・長村君とともに、茨城大学大学院生前川辰徳さんの御案内で、台渡里廃寺跡を含む東海道那珂川渡河地点周辺の遺跡群(発掘調査現場の見学については、高橋修先生の御高配により、現地担当者からの御説明をいただくことができました)および、水戸八幡宮・那珂湊・吉田神社・薬王院・水戸城跡などを見学させていただき、大きな収穫を得ることが出来ました。とくに義光流源氏の北常陸進出についての理解が大変具体的なものとなりました。
 シンポの事務作業を担当されてお疲れの中、一日中愛車(最新の装備には感心させられました)を駆っておつき合い下さった前川さんに深甚の謝意を表したいと思います。

茨大シンポ

松本 一夫
No.6034

9日の茨城大シンポでは大変お世話様でした。
最初、控え室で野口先生は私(松本)とはおわかりにならずに、ご挨拶をなされたように感じました。お会いするのは久方ぶりですので、落ちぶれた姿の当方にお気づきにならなかったのでしょう(笑)。
先生の午前中の講演、ご著書での主張をさらに強く打ち出された、大変インパクトのあるお話で勉強になりました。お風邪をひいているとのことでしたが、そのお声のよさ(低音で響きがあり渋い)には特に感動いたしました。昼食の控え室では、私の勝手なお話をお聞かせして、大変失礼いたしました。
また午後の報告もつたないもので、恥ずかしい限りでしたが、終了後、筑波大の山本先生にいただいたご教示なども参考に、今後も少し考えていこうと思っております。他の先生方のご報告、それぞれに興味深いもので、大いに参考になりました。
懇親会では高知旅行、京都での上島先生講演会に続き、岩田さんともお会いすることができました。あまり長いことお話しできませんでしたが、また機会を得たいと思います。