古文書学会見学会
元木泰雄
No.6017
以前、掲示板にも書かせていただいた、和歌山県立博物館での古文書学会見学会、22名方々の参加を得て、盛会裏に終了致しました。
何をおいても、ご多用の中、昨年に引き続いて見学会の開催をお引き受けくださり、遅くまで文書の熟覧の機会をご提供くださるなど、様々なご高配を賜りました県立博物館の高木徳郎先生に、厚く御礼を申し上げます。
参加メンバーは、大山喬平先生をはじめ、各大学の研究者、院生、古文書学会会員の方々で、遠く関東方面からお越しの方々もおられたほか、高知からは、夏の旅行で大変お世話になった池内敏彰先生もわざわざお越しになりました。
大山先生は早朝京都を出発され、立命館の方々と周辺の史跡を見学になったあと、見学会にお越しでした。まことにフットワークも軽く、ご年齢を感じさせない若々しさでいらっしゃいます。
博物館にお越しのときも、なにやら周辺をデジカメで御撮影になるなど、知的好奇心は旺盛なご様子、常に新たな知見を探求される御姿勢が、心身御若々しさにつながるものと拝見致しました。学問は及びもつきませんが、健康と探究心では、少しでも近づきたいものと存じます。
展示のすばらしさは、以前に記した目録からもご想像いただけると思います。後鳥羽自筆の熊野懐紙、後鳥羽像ではないかという法体の坐像など、当方にはとくに興味深く思われました。
熟覧で拝見した史料、やはり中御門宗忠の熊野参詣を記した鎌倉書写『中右記』写本に最も興味を惹かれました。さらに、熊野本宮文書、神護寺文書など間近で見る原本には写真では感じ取れない迫力があり、作成した人間の息遣いが感じられるように思われました。
10月の東寺百合文書の見学といい、貴重な原本を拝見する機会を得られたのは大変幸せなことでした。当ゼミ関係者をはじめ、多数の院生諸君にご参加いただけて、嬉しく存じます。関西で歴史を学ぶメリットは、まさに現物に触れる(現地に行く)ことができるところにあると思います。
また、こうした見学会を開催したいと思います。見学会にふさわしい展覧会がありましたら、ご教示をお願い申し上げます。
余談ですが、翌24日は京大のホームカミングデー。全学同窓会の総会です。当方、総合人間学部・人間環境学研究科同窓会設立準備委員長だった関係で、出席する破目に相成りました。歴代総長も出席になる堅苦しい会と思いきや、プロのヴァイオリニスト、実は農学部の院生によるヴァイオリン演奏会のおまけに、ヴァイオリン伴奏で『琵琶湖周航の歌』を合唱したり、大先輩の思い出話を聞いたり、結構楽しめました。
その中で印象的なお話。
理学部に1947年に入られた、現在はさる大学の副理事長という先生は、在学中に湯川博士がノーベル賞を受賞され、その結果得がたい経験をされたとのこと。すなわち、湯川先生が東大でも講義をされることになり、東大と京大の教授が、お互いの大学に相互乗り入れで授業され、東大の有名教授の授業を聞くことができたとうのです。
そこで受けたカルチャーショック。東大の先生は時間通りに授業を始める、きちんと講義ノートを作って、それを滔滔と読み上げる授業をされ、それがそのまま本になる内容であったこと。
片や湯川先生はじめ当時の京大教授の授業は、時間通りにはじまることはない、教室に入ってももっぱら黒板に向かい、難しい内容を独り言のようにお話になる。湯川博士の「モノローグ」は有名だったとか。今日では考えられない授業です。
そういえば、上横手先生が受講された文学部の某外国史の先生も、一時間遅れで開講し、やおら懐中からメモのようなものを取り出して、なにやらよくわからないお話をされたとか。京大の気風でしょうか。
ただし、その副理事長先生によると、もちろん東大式の授業もすばらしいけれど、改めて京大の授業の魅力も感じたとのこと。つまり、湯川先生は研究の思考・論理展開の過程をそのままさらけ出し、学問の何たるかを身をもって示されたわけで、そこから学問の奥深さを学んだとのことでした。
結論ではなく、学問の過程から学問を学ぶことは、実は本当に大事なことと思います。もっともそんな授業が成立するのは、学生がよほど大人で、教員との間に深い信頼感があってのことではありますが。そんな時代の大学に戻ったら・・・当方のように中身のない人間は教師など勤まりません・・・・
何をおいても、ご多用の中、昨年に引き続いて見学会の開催をお引き受けくださり、遅くまで文書の熟覧の機会をご提供くださるなど、様々なご高配を賜りました県立博物館の高木徳郎先生に、厚く御礼を申し上げます。
参加メンバーは、大山喬平先生をはじめ、各大学の研究者、院生、古文書学会会員の方々で、遠く関東方面からお越しの方々もおられたほか、高知からは、夏の旅行で大変お世話になった池内敏彰先生もわざわざお越しになりました。
大山先生は早朝京都を出発され、立命館の方々と周辺の史跡を見学になったあと、見学会にお越しでした。まことにフットワークも軽く、ご年齢を感じさせない若々しさでいらっしゃいます。
博物館にお越しのときも、なにやら周辺をデジカメで御撮影になるなど、知的好奇心は旺盛なご様子、常に新たな知見を探求される御姿勢が、心身御若々しさにつながるものと拝見致しました。学問は及びもつきませんが、健康と探究心では、少しでも近づきたいものと存じます。
展示のすばらしさは、以前に記した目録からもご想像いただけると思います。後鳥羽自筆の熊野懐紙、後鳥羽像ではないかという法体の坐像など、当方にはとくに興味深く思われました。
熟覧で拝見した史料、やはり中御門宗忠の熊野参詣を記した鎌倉書写『中右記』写本に最も興味を惹かれました。さらに、熊野本宮文書、神護寺文書など間近で見る原本には写真では感じ取れない迫力があり、作成した人間の息遣いが感じられるように思われました。
10月の東寺百合文書の見学といい、貴重な原本を拝見する機会を得られたのは大変幸せなことでした。当ゼミ関係者をはじめ、多数の院生諸君にご参加いただけて、嬉しく存じます。関西で歴史を学ぶメリットは、まさに現物に触れる(現地に行く)ことができるところにあると思います。
また、こうした見学会を開催したいと思います。見学会にふさわしい展覧会がありましたら、ご教示をお願い申し上げます。
余談ですが、翌24日は京大のホームカミングデー。全学同窓会の総会です。当方、総合人間学部・人間環境学研究科同窓会設立準備委員長だった関係で、出席する破目に相成りました。歴代総長も出席になる堅苦しい会と思いきや、プロのヴァイオリニスト、実は農学部の院生によるヴァイオリン演奏会のおまけに、ヴァイオリン伴奏で『琵琶湖周航の歌』を合唱したり、大先輩の思い出話を聞いたり、結構楽しめました。
その中で印象的なお話。
理学部に1947年に入られた、現在はさる大学の副理事長という先生は、在学中に湯川博士がノーベル賞を受賞され、その結果得がたい経験をされたとのこと。すなわち、湯川先生が東大でも講義をされることになり、東大と京大の教授が、お互いの大学に相互乗り入れで授業され、東大の有名教授の授業を聞くことができたとうのです。
そこで受けたカルチャーショック。東大の先生は時間通りに授業を始める、きちんと講義ノートを作って、それを滔滔と読み上げる授業をされ、それがそのまま本になる内容であったこと。
片や湯川先生はじめ当時の京大教授の授業は、時間通りにはじまることはない、教室に入ってももっぱら黒板に向かい、難しい内容を独り言のようにお話になる。湯川博士の「モノローグ」は有名だったとか。今日では考えられない授業です。
そういえば、上横手先生が受講された文学部の某外国史の先生も、一時間遅れで開講し、やおら懐中からメモのようなものを取り出して、なにやらよくわからないお話をされたとか。京大の気風でしょうか。
ただし、その副理事長先生によると、もちろん東大式の授業もすばらしいけれど、改めて京大の授業の魅力も感じたとのこと。つまり、湯川先生は研究の思考・論理展開の過程をそのままさらけ出し、学問の何たるかを身をもって示されたわけで、そこから学問の奥深さを学んだとのことでした。
結論ではなく、学問の過程から学問を学ぶことは、実は本当に大事なことと思います。もっともそんな授業が成立するのは、学生がよほど大人で、教員との間に深い信頼感があってのことではありますが。そんな時代の大学に戻ったら・・・当方のように中身のない人間は教師など勤まりません・・・・