夏の日ざしのもと、堀河院跡の現地説明会
No.5941
真夏のような日差しの中、堀河院跡の現地説明会に行って参りました。なにしろ、東隣の地は、目下、科研の研究課題としている閑院(中世前期における王家正邸)のあったところですから、行かないわけにはいかないわけです。
幸い『平安時代史事典』で「堀河院」の項目を執筆された研究者に同行することが出来、今回の調査域以外についての知見についても御教示を頂くことが出来ました。
平安京関係の現地説明会(現説)に行くと、必ずお目にかかれる先生方とは、やはりお目にかかれました。もちろん、美川先生のお姿も。
100%お出でになられるはずの山田邦和先生は、説明開始時間以前にすでに見学を済ませて、先生御自身による御講演の会場に向かわれた由。帽子があれば脱帽です(真夏のような太陽光線の下、かぶっていかなかったのは大失敗でした)。
現説会場にしては、やたらと若い女性の姿が多いと思ったら、彼女たちは京都女子大学の学生さんたちでした。非常勤講師として出講されている京都市文化財保護課の梶川敏夫先生に引率されての現地学習とのこと。こんな贅沢が出来るのが、京都の大学生の特権です。さすがに京大の院政期を専攻される院生さんたちのお姿もちらほら。
今回の発掘調査でも、大きな園池跡が検出されましたが、なにしろ、このあたりには、神泉苑はもとより、堀河院・閑院・東三条院に巨大な園池が付属していたわけで、「園池」は貴族文化を解明するキイワードだと確信させられた次第です。
帰路は、おそらく私のご先祖も大番役を勤仕したはずの閑院内裏の「陣中」域を歩いて参りました。
☆ 本日、東北大学の柳原敏昭先生より、御高論「東北と琉球弧-島尾敏雄「ヤポネシア論」の視界-」掲載の『東北文化研究室紀要』第48集(東北大学大学院東北文化研究室)を御恵送いただきました。
柳原先生にあつく御礼を申し上げます。
ちなみに、本紀要には、拙稿「日本中世史研究の現状から「地域」を考える-柳原敏昭氏「東北と琉球弧」へのコメント-」も掲載されています。
※ 茨城大学の高橋修先生より、12月9日に開催される茨城大学人文学部・地域史シンポジウム「北関東の武士(もののふ)たち-新しい中世武士団のイメージ-」(NO.5882参照)のポスターならびにチラシをお送りいただきました。8日の『吾妻鏡』講読会の際に、配布させていただきます。
なお、このシンポジウムに参加希望のメンバーはお申し出下さい。シンポの前日或いは翌日に、現地の史跡見学などを企画したいと思っています。すでに岩田君と長村君が参加の意志を表明されておられます。