三度掲載、書評会のご案内

No.5889

 開催日が近づいてまいりましたので、再掲致します。
 野口先生の『源氏と坂東武士』ご出版を記念して、書評会を開催することとなりました。武士論研究の今後のより一層の活性化のため、日頃なかなか機会が持てない意見交換のため、みなさんで大いに活発な議論を交わしましょう。

 ◇ 野口実著『源氏と坂東武士』出版祝賀の書評会 ◇

 日程  8月28日(火)
 時間  15:00~
 会場  京都女子大学宗教・文化研究所共同研究室(L校舎3F)
 書評会の形式  著者である野口先生を囲んで参加者による談論。ただし、内容の概括と問題提起のため担当者を配する。
 担当者  生駒孝臣氏

 担当者の生駒先生は畿内武士のご研究の第一人者でおられ、そのお立場からの書評をしていただける予定です。また、当日は元木泰雄先生にもご臨席いただけることになっております。両先生には今回の書評会の趣旨にご賛同頂き、快くお引き受け頂きました。今回の書評会は、ゼミメンバーにとどまらず、広く公開の研究会の形で実施させていただきますので、みなさま奮ってのご参加をお待ちしております(※人数の把握もございますので、参加ご希望の方は、野口先生・岩田・ゼミメンバーのいずれかまで、事前にご連絡ください)。

>ゼミメンバーのみなさんへ
 どうでもいいことなんですが、このところ掲示板の投稿者が「権藤・権藤・雨・権藤」みたいに、「野口・野口・岩田・野口」ばっかりでちょっと寂しい(むさくるしい←すいません)です。帰省中の方も、夏を満喫中の方も、試験勉強中の方も、何かの折りに近況報告でもなんでも書き込んでね。

>野口先生
 ネットの具合はいかがでしょうか。

権藤・権藤・雨・権藤

No.5891

 いろいろ御心配、御迷惑をおかけいたしましたが、お陰様でネットもメールも復旧いたしました。原因はモデムにありました。

 ところで、雨が降らなかったのに、また「野口」の登板で申し訳ありません。
 それにしても、昔は先発完投で何年も連続して20勝、それどころか30勝もする投手がたくさんいましたね。あの頃はリリーフなんて珍しかったし、セーブなんて言葉は聞いたことがありませんでした。当節は何処の世界でも分業がされすぎのようです。
 というわけで、岩田君には権藤選手(のちに監督)を目指していただきたいと思っています。

 『土佐日記』の御執筆をいただき、岩田君、元木先生、ありがとうございました。夏休みには、皆様、いろいろなところにお出掛けになられ、充実した毎日をお過ごしのようで羨ましい限りです。山田先生など、西洋と東洋を股にかけての御活躍です。
 私は度重なる安請け合いが災いして、原稿執筆と研究会報告の準備の仕事が山のごとくあり、さらに一年以上遅れている原稿(複数)を抱えたまま遊びに出掛けて顰蹙を買うのも憚られますので、仕事は捗らなくても、せめてもの償いに蟄居謹慎の日々を過ごしております。そして「不動如山」の毎日を送った結果、いよいよメタボリックシンドロームの見本の如き体型に「進化」しつつあるところです。

 ちなみに土佐ですが、始めて行ったのは32年前。宇高連絡船で四国に渡り、奮発して急行のグリーン車に乗車。ところが、車内で100円玉を落とし、高知駅に着くまでそれを延々と探し続けて、景色はほとんど見られなかったのを覚えています。ほんとうに「貧乏はいやです」ね。
 この時は、土佐中村のほか丸亀・宇和島にも行きました。土佐中村は今は四万十市というのですね。土佐中村では一泊して一条神社や一条教房の墓を見学して、一条氏の歴史に感動したあまり、お城の形をした博物館で大冊の『中村市史』を購入。以後、これが荷物になって大変でした(今も研究室にあり)。土佐中村からは当時珍しかった冷房の効いたバスで、海岸沿いに宇和島まで出たのですが、元木先生の御感想と同様に、海や海岸の景色が素晴らしかったことを思い出します。そういえば、土佐中村では、幸徳秋水の墓にも行ったような気がします。
 つぎに土佐の高知に行ったのは、1980年。今度は高校の修学旅行の引率です。ハードな毎日。今だったらとても無理でしょう。桂浜とか龍河洞が思い出されます。
 かくして、小生、もはや過去に遊ぶのみです。