『研究紀要』発表論文の執筆者決定。

No.5698

 元木研究室の皆さん、水無瀬は如何でしたでしたか。来年は隠岐でしょうか?
 教育実習中の皆さんは、ようやく一息ですね。
 
 ところで、18年度宇治共同研究の研究成果報告のうち、研究所『研究紀要』の執筆担当者が決まりました。
   文献史学:佐伯智広氏(神戸夙川大学非常勤講師)
   国文学 :田中裕紀氏(同志社大学大学院DC)
   考古学 :大原瞳氏(奈良市教育委員会・奈良市埋蔵文化財調査センター嘱託)
というラインナップです。これに私が加わって4名の共著の形になりますが、ジャンル毎に章立てをして執筆分担は明確に致します。締切は8月末、よろしくお願いいたします。

 ☆ 本日、同志社女子大学の朧谷寿先生より、御高論「摂関期の天皇の葬送の実態」(笠谷和比古編『公家と武家Ⅲ-王権と儀礼の比較文明史的考察-』)・「邸宅の相続」(倉田実編『王朝文学と建築・庭園』)を御恵送いただきました。
  朧谷先生にあつく御礼を申し上げます。

  また、熊本学園大学の小川弘和先生より、御高論「摂関家領島津荘と〈辺境〉支配」(熊本学園大学論集『総合科学』13-2)を御恵送いただきました。島津本荘が刀伊事件の事後処理の一環として、大宰府の南九州掌握政策の展開の中から成立したものとされるなど、中世成立期における南九州史に関する画期的な研究と思います。
 小川先生にあつく御礼を申し上げます。

水無瀬・山崎

No.5700

行ってまいりました。詳細は月曜日にお話させていただきますが、簡略に行程を。

12時に阪急水無瀬駅に集合→桜井駅→水無瀬離宮址(石碑)→水無瀬神宮→離宮八幡宮→関戸明神→大山崎町歴史資料館→宝積寺→天王山の途中(真木和泉守ら十七士の墓)の順で見学し、下山→阪急大山崎→梅田に出て、共平亭で皿うどんその他→阪急東書房(古書店)→二次会。

空がややかすんでいたので、遠景良好とはいかなかったのですが、好天に恵まれ、充実した見学会となりました。
水無瀬離宮址(石碑)の場所がわかりにくかったのですが、ふれあいセンター(島本町役場の近く)の生涯学習係の方に道を教えて頂きました。分かりやすい地図を頂きましたので、行かれる方にはお見せできます。

いつもながら元木先生からは、各所で有益なご知見を拝聴し、美味しいものをご馳走になりました。ありがとうございました。

*5月28日夜、誤記を訂正いたしました。

そういえば、山本君・永富さんのお誕生日

No.5701

 長村君、御報告ありがとうございました。梅田で飲んだビールはさぞかし美味しかったことと思います。
 昨年の元木研究室の新歓遠足の行き先は一ノ谷・福原・湊川・神戸だったと記憶していますが、そこからどうして水無瀬に繋がるのか考えたあげく、思い当たったのが「順徳」でした。来年の行き先も梅田のお店あたりがキイワードになるのでしょうか?
 さてまた、水無瀬では「おみくじ」騒動もあったとの情報を入手いたしておりますが、委細は明日うかがいたいと存じます。

 その明日の新歓コンパですが、いろいろ手配の方よろしくお願いいたします。幹事の佐伯君には連日忙しい中、申し訳ありません。
 今年度からゼミに参加された皆さんは、くれぐれも「万障お繰り合わせの上」。
 『吾妻鏡』に参加できないというメンバーも、滅多にない機会ですから宜しく御参集ください。

 ところで、すっかり機を失してしまったのですが、遅ればせながら、今月にお誕生日のあった山本陽一郎君と永富絵里子さんに、お祝いを申し上げます。
 山本君はサーティワン・アイスクリームも卒業ですね。修論、頑張ってください。
 また、例会報告もよろしく。
 永富さんは教師生活もいよいよ脂が乗りきってきたというところでしょうか。ますますの御活躍を祈念いたします。 

水無瀬・山崎・皿うどん

元木泰雄
No.5704

 すでに色々書き込みがあるように、26日は新入生歓迎遠足で、水無瀬・山崎に行きました。前日の豪雨から一転、暑いくらいの好天となりました。残念だったのは、黄砂の影響で遠望が利かず、天王山からの景色がさっぱりだったことです。この点が昨年の旅行との違いでしょうか。
 
 水無瀬、山崎、電車からはいつも眺めているのですが、実は当方も訪問するのは初めてでした。車窓から見慣れた景色も、降りてみると全く違う印象を受けるものです。
 水無瀬はかなりマンションなどが立ち並び、中世を偲ぶよすがは余りありません。かの桜井の駅跡は、阪急水無瀬から徒歩10分足らず。例によって、楠公関係史跡は、中世というより近代思想史の史跡という性格が濃厚です。楠公父子の対面の像に「滅私奉公」と特筆されておりましたが、昨今の情勢を見るに、天候とは逆に薄ら寒いものを感じてしまいます。
 ちなみに、JR島本駅が桜井の駅跡に隣接して設置されるようで、盛んに工事が行われ、まもなく付近の様相は一変しそうです。
 ついで、矢納神社。名前は楠公父子が矢を奉納したという伝承によりますが、もとは離宮八幡の摂社との事。山崎の自治都市の範囲は水無瀬川との事ですが、本来の離宮の勢力圏はこのあたりに及んでいたことになります。
 その後、道に迷って、水無瀬離宮跡の石碑を発見。郊外見学では、確実な二万五千の地図を持参するとともに、地図上で予め目的地に関するシュミレーションをしておくことが必要です。地図・方向感覚については、どうも頼りない人が多いですね。
 石碑の周辺、鉄道、道路など構造物が多いですが、すぐ背後の天王山に連なる山並み、淀川をはさんで対岸の男山と、山に囲まれ風光明媚だった往時がかすかに偲ばれます。今でも、紅葉の時期の山並みは車窓から見ても素晴らしいものがあります。
 
 水無瀬神宮はすぐ近く。例の後鳥羽の似絵や手印置文などを所蔵し、神主さんの名前が水無瀬、さすがに由緒を感じさせるところです。もっとも、建物などは新しく、全体に地味な感じのお社でした。なお、湧き水は名水とされ、近隣からくみに来る人が相次いでいるようです。
 阪急と新幹線の高架をくぐり、国道171号線を越えると淀川の堤防に出ます。広大な河川敷、対岸の男山、さすがに三川合流地点付近の景色は雄大です。これを間近に眺められたのですから、後鳥羽院が水無瀬離宮を愛好したのももっともな気がします。なお、河川敷には運動場などがあり、自然のままというわけには行きませんし、中州の樹木のお蔭で、三川の合流点もよく見ることはできません。山崎の渡しの風景はいまひとつでした。
 
 水無瀬から10分程で山崎です。曲がりくねった狭い道(それだけに車に注意)、古い住宅など、町並みに近世の雰囲気が色濃く残っています。離宮八幡も、建物などは新しいですが、油座にちなむ遺物などもあり、歴史的な雰囲気を漂わせる神社です。ちなみに、社務所横のプランターに荏胡麻が植えられておりました。
 そのすぐ西には山城・摂津国境があり、関大明神(カンダイミョウジン、ではありません)が祭られておりました。その北には山崎宗鑑の屋敷もあったとか。山崎には独特の趣きがあります。
 歴史資料館は小型ですが、待庵の原寸大の復元もあり、田端泰子先生御監修による古文書を駆使した離宮八幡油座に関するビデオもあり、一見の価値ありです。また、ここのパンフレット類も充実して居ります。

 すでに2時間あまり、暑い中を歩いただけにややばて気味でしたが、勇を鼓して天王山の宝積寺へ。
 登りがかなり急ですが、同寺までの道は舗装されており、資料館から10分くらいの道のりでした。桃山の山門に、鎌倉の仁王像が迎えてくれます。近世初期の三重塔は、やや塔身が太く、時代の特色を示しているようです。
 ここの最大の見所は、五体そろった閻魔大王とその眷属の像でしょう。玉眼や躍動的な身体の表現など、鎌倉時代の特色を良く示した作品です。本堂の本尊も鎌倉の十一面観音。1232年に焼失後、再建された時の貴重な仏像が残っているようです。
 そこから天王山の登山道へ。禁門の変後に切腹した真木和泉らの墓所、秀吉ゆかりの旗立松まで登り、16時を過ぎたところで引き返しました。

 情けないことに、途中で息が切れ、衰えを痛感させえられましたが、五分の休憩で復活。この敵だらけの世の中(まるで自力救済の世界ですが)、まだくたばるわけには行かんワイ。冒頭で述べたように、遠望が利かず、対岸の男山さえ霞む始末。ただ、樹木が剪定されておらず、黄砂がなくとも展望には制約がありました。三川合流地点を上から見下ろすのは困難ではないかと思います。

 本当なら最後にサントリーの工場見学、と行きたいところですが、そっちはどうもという人ばかり。かくして阪急大山崎16時41分発の準急で梅田に参りました。ちなみに、大阪(梅田)までのJRと阪急の運賃、450円対310円。所要時間もへったくれもなく、阪急に乗車。途中、茨木市で特急に抜かれるのですが、見ればかなりの混雑。梅田到着は3分差ですから、乗り換えるの必要はありません。阪急のダイヤは如何なものでしょうかね。

 梅田の夕食は、皿うどん、ちゃんぽんの共平亭。その晩、頂いたお礼のメールのなかには、タイトルが「ご馳走様でした」というものもありました。この日、最大のインパクトはこの店、とくに特製皿うどんだったようです(笑)。
 味も量も抜群、一度近藤先生とご一緒したいものです。もっとも、「なーんだ、これぽっちか」とか言われるかも。そのときは近所のとんかつ「小ばやし」か、焼肉「味楽」か、はたまたお初天神のお好み焼き福助あたりで追加しましょう。
 特製ぎょうくざ、から揚げもうまく、まあビールによくマッチすること!
 野口先生ご推察の通りのビールの味でした。但し、最近は節制しているので、大ジョッキ三杯だけ。
その後、すぐ近くの阪急東書房に立ち寄り、古書を探索(長村君、行程が逆ですぞ)。
 二次会はピアノバーで、高級ウィスキー(シーバスリーガル18年もの!)。と言っても飲まない人には何の意味もありませんが・・・。かくしてお開きは22時。
 
 日曜の朝、若干二日酔。しかし足の痛みはほとんどなし。25日に自転車30分、ジョッギング15分で翌日に備えた効果があったようです(ほんまかいな)。

 今回は去年の順徳にちなんだなら、来年は「共平」、きょうへいということで、大山喬平先生にちなんで、丹波大山荘??というのは冗談。
 もちろん当研究室の見学先選定に、野口先生ご推察のような事情があるわけではありません(笑)。次回も、希望者の多いところにしたいと思います。

                   ☆   ☆
 話は変わりますが、最近悲しい別離に見舞われました。
 去る15日未明、飼い猫のチャシロコ(チビ)が、13歳で死去しました。
 癌が原因だったようです。2月までは元気だったので、こんなことになるとは予想だにしえませんでした・・・
 震災の前年の6月、生まれて二ヶ月ほどの時に、我が家に捨てられ、震災前日には異様な鳴き声を発して危険を予知してくれました。
 他のネコが逃亡した中、倒壊した家の瓦礫に留まり、片付けに行った当方の傍らで嬉しそうにしていた様子が昨日のように想い起こされます。今の家に移ってから、暢気に寝そべるチャシロコを見て、震災を無事に乗り切ったことに思いをいたしておりました。
 それだけに、単なるペットを越えた、「同志」を失った思いが致します。
 野口先生からご丁重なご弔意を賜り、恐縮致しております。
 ネコの13歳は厄年とのこと、これを乗り切ると20年近い長寿もあるそうです。
 愛猫家各位には、くれぐれもご注意下さい。
 
 かくして我が家は「悪サブ」の天下となってしまいました。最近は少し大人になったのですが・・・・(↓↓[5499]参照)