野口先生、お誕生日おめでとうございます。

元木泰雄
No.5513

 日付が変わった2月23日は、野口先生のお誕生日ですね。
 心よりお祝い申し上げます。

 50を超えると確かに体力・記憶力などは減退しますが、年齢にふさわしい判断力、あるいは指導力、そして総合的な学問の実力はますます磨かれるものです。
 細かいことや体力勝負は若い方に任せて、我々は学問の水準を上昇させ、これまでの学問経験を大成して然るべき業績を残して参りましょう。
 そのことが、学界内外における危機に立ち向かう唯一の手段だと思います。

 ただ、どこの大学でも、学務の繁忙化は激化しており、研究・教育との両立が難しくなりつつあります。京大法学部の日本政治史の先生が、他の教授から「あなたも暢気に研究などしていないで、学内のことに専念したはどうか」と言われたとか。
 他の分野の研究者は、50歳を過ぎれば研究は二の次、それだけに『学務』との矛盾はあまりないのかもしれません。しかし、経験科学である日本史は、経験の蓄積とともに、史料も集積し、それらを総合・昇華させ、優れた業績を上げることができる、稀有な学問だと思います。とはいえ、加齢による衰えも避けることができず、学問の集大成に残された時間は限られるだけに、学務の時間増加は、本当に辛く悔しいことでもあります。まして、本当に必要とは思えない『学務』に追い回されるとすれば・・・
 こうした事態と、最近、優れた研究者が相次いで夭折されることとは無関係ではありえません。
 
 野口先生も相当なお仕事をこなしておられるご様子、心配致しております。
 お互いに、無理をせず、健康にだけは留意いたしましょう。
 無茶な仕事をして大きなな病気をすることが、一番他の方々に迷惑をかけることですから。

 それはともかく、近年やや沈滞している中世前期の研究者が京都に相次ぐ最大の要因は、野口ゼミにあるといって間違えないと思います。大学の相違、史学・文学の壁を越えて、基礎研究から高度な学問まで、様々な刺激を学生、院生、そして我々研究者に与えてくださっていることに、心から感謝を申し上げます。
 野口先生の益々のご健勝と、野口ゼミの一層のご発展をお祈り申し上げます。
  
 少し先になりますが、書評会、よろしくお願い申し上げます。
 京都が混みそうなのが少し心配ですが。 

お誕生日おめでとうございます。

No.5514

野口先生のお誕生日!と意気込んでやって来たら、元木先生に先陣を取られてしまいました(笑

野口先生、お誕生日おめでとうございます。
年齢に負けず・・・というのは私の勝手な言い分ですが、でもやっぱり年齢に負けず、健康に、私たちのずっと先を走り続けて頂きたいと思っています。
この1年が先生にとって、素晴らしい1年になりますように。

なかなかゼミに顔を出すことがかないませんが(4月7日も、大学院のゼミがあって行けないのです・・・)、来年度こそは時間を作って参加したいと思います。

お誕生日おめでとうございます!

No.5515

野口先生、お誕生日おめでとうございます!
私たちみんながゼミでのびのびと研究に励めるのも、先生の温かいご指導とお人柄のおかげです。
いつも本当にありがとうございます。
これからもお元気に、たくさんのご教示をくださいますよう、どうかよろしくお願いします。
新しい一年も、先生にとって実り多きものとなるようお祈りしております。

Re: 野口先生、お誕生日おめでとうございます。

No.5516

思えば昨年、「新快速の日」と“命名”(?)して以来、
掲示板にもご無沙汰しているような気がする八井です。

野口先生、お誕生日おめでとうございます! 
掲示板どころか先生にもすっかりご無沙汰ですが、
今年も先生のご健康・ご多幸と、ゼミの発展をお祈りしております。


僕はなんとか仕事をこなしております。
ジャンルは違えど日々研究に勤しむ皆様に刺激を受けて、
英語教育の研究を始めようか・・・と思って一年がたちました。
今のところはそんな余裕がありません・・・(泣)。
「共同研究」を持ち掛けてくれた友人が留学から帰るまで、
自分の仕事に打ち込んでおこうと思います。

今後ともよろしくお願い致します。(って、完全に私信ですね・・・ 笑)

ありがとうございます。

No.5517

 誕生日にさいして、お心の籠もったメッセージをいただき、恐縮しております。直接メールをお送り下さった方々にも、この場でお礼を申し上げさせていただきます。

 毎年、誕生日になると、日ごろお世話になっている歴史上の著名人が自分と同じ年齢の頃に何をやっていたのか調べてみたりしているのですが、すでに頼朝は鬼籍に入ってしまわれました。しかし、私を歴史学の世界に引っ張り込む上で「大功」のあった千葉常胤さんなどは、歴史の表舞台で大活躍するようになるのは、これから数年先ということで、まだまだ未来に賭けてみたいと思っている次第です。

 元木先生からのお言葉は、面映ゆいものがございますが、大変うれしく、鎌倉武士なら子孫への「置文」に記しておきたくなるほどのものと、ありがたく存じております。

 田中さんの御指摘の通り「年齢に負けず」というのが、これからの私にとって最大の課題になることと思います。以前より反応が鈍かったり、めんどくさがっていたり、優しさに欠けていたりしたら「野口も老化したなぁ」と同情してやってください。
 歳をとると「年に最低二本の論文を発表しなければ、博士課程の院生とは言えない」などと、若い頃の自分を棚に上げた意地の悪い注文を出したりしたくなるもののようです。
 
 佐伯君には共同研究やゼミの史料講読会で今でも大いに助けられていますが、これから、いよいよ御助力を願うことになろうかと思います。よろしくお助け下さい。

 八井君、いや八井先生、の御活躍。ブログを拝見して、自分が高校教員になったばかりの30年ほど前の日々と重ね合わされて感慨を催すものがございます。
 最近、車を購入されたようですが、私も家庭訪問のために免許を取り、妹の車を譲ってもらって通勤に使うようになりました。最初に乗ったのは1400ccの黄色いミラージュでした。

 若い方たちに申し上げておきたいのは、なにしろ年齢を重ねるのに比例する形で時間の経過するスピードが速まっていくということです。私など、小学生の頃の一週間は今の一ヶ月くらいに長く感じられたものでした。
 「今はまだ通過点で本当の自分のためにある時間ではない」などと考えていると、一生、自分の時間が持てなくなってしまうということです。

 ・・・などと、すぐにこういう説教じみたことを語りたくなるのも老化の証のようです。

 ☆ 滋賀県立大学の京樂真帆子先生より、御高論「古記録にみえる指図について」(藤田勝也編『裏松固禅「院宮及私第図」の研究』(中央公論美術出版)を御恵送いただきました。あつくお礼申し上げます。
 ブログでのお薦めに従い、この本は購入することに致しました。

Re: 野口先生、お誕生日おめでとうございます。

新地 浩一郎
No.5520

 遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございます。私が中世史に足を踏み入れたのは、間違いなく2年生前期に野口先生の講義を受講したことが最大の要因です。感謝しております。
 年賀状でもご心配いただいておりました例の件は、様々な方々のお力をお借りしながら、うっすらとではありますがなんとか出口が見えてきました。7年前の奈良文化財研究所での実習を思い出しながら、毎日実測とトレースに励んでいます。アトピーがやや悪化しておりますが、それ以外は至って健康ですのでご心配なく。思えば97年も修士論文で苦労しましたので、10年に1度のイベントだと割り切って、楽しみながら取り組んでいきたいと考えています。
 なんとか7月までには終了させて、夏頃には境港の水木しげるロード(同郷の一反木綿の銅像を見に)経由でゆっくりと京都見物に伺いたいと思います。そのときにはゼミの皆様にもお会いできればと思っています。もちろん美味しい焼酎を持参いたしますので。

 昨年9月に伺った時に宿泊したアパホテルのニュースはびっくりしました。とても接客態度のよいホテルだったのですが…。

「南九州探訪記」

No.5521

 新地さん、お久しぶりです。いまさらながら、「しろくまツアー」の際はたいへんお世話になり、ありがとうございました。

 お仕事、御苦労様です。学問・文化も事務処理なくしては成り立たないところがあるとはいうものの、ある面で相容れないところもあるわけで、そういう点から言うと近年はどんどん窮屈な状況が進行しているようにも思われます。御健康に留意し、常に博士論文の完成も念頭に置きつつ地域文化の向上のために御活躍下さいますようにお願い申しあげます。新地さんのHP「南九州探訪記」の継続・更新も、その意味では重要なことと思いますので、こちらも宜しくお願いいたします。

 境港といえば、かつて鎌倉ゼミ旅行に参加した京女の卒業生井田さんが活躍されているはずですし、出張講義で御縁の出来た出雲高校やゼミメンバー垂涎の地である隠岐にも近いので、そのうち是非出掛けたいと思っているところです。ちなみに、「一反木綿」は都城にルーツがあるのでしょうか?

 夏の京都は蒸し風呂の如き有様ですが、ぜひお立ち寄りください。

一反木綿は…

新地 浩一郎
No.5522

 鹿児島県の大隅半島、特に高山町に代表的な伝承が残っておりますが、私の母の出身地である、都城市に隣接する旧財部町(現在の曽於市財部)にも話が伝わっております。亡くなった祖父がよく語ってくれた内容は、夜に一人で道を歩いていると、真っ白い布のようなものがヒラヒラと飛んできて、首に巻きついて絞め殺してしまう、というもので、鬼太郎にでてくるような目や手はないそうです。一人で歩いていて殺されてしまうわけですから、誰も目撃した人はいないような気はしますが。
 ホームページは、なかなか時間が取れませんが、ぼちぼち更新したいと思います。
 それと、知覧町・頴娃町・川辺町の合併後の新市名は「南九州市」に決まりました。とりあえず当事者ですので詳細なコメントはできませんが、「島津市」ではなくて良かったとは思います。