閑院内裏址石碑ピンチ

山田ちさ子
No.5401

野口先生、みなさま、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

年末年始とバタバタしておりご報告が遅れました。
閑院内裏址石碑(京都市中京区押小路通小川西北角)がたいへんなことになっています。
昨年の暮れに車にぶつけられて折られてしまいました。
現在、跡形もありません。
石碑の前のお寺のご住職さまはじめ地元のみなさんの強い要望で、
復元される方向にはあるようですが、
まだはっきりしたことはわからないようです。

写真は平家ブログに載せていますので、見てください。
http://heike.cocolog-nifty.com/heike/

閑院内裏は鎌倉時代の王家の正邸

No.5404

 山田さん、申し遅れましたが、山田先生の御偉業は「内助の功」の賜物と存じます。

 さて、閑院内裏ですが、この内裏はただの里内裏ではなく、高倉~後深草天皇の時代にはまさに本内裏に等しい存在であり、それ以後も貴族社会において本来あるべき内裏として記憶されていた内裏でした。

 いずれ、中世前期の歴史叙述において大きく扱われるざるを得ないことになると思います。当然、中学や高校の教科書に太字で載るようになる。そのようなことからも、石碑はぜひ復元してほしいですし、ついでに市教委あたりでしっかりした解説板も設置していただきたいところです。

 「貴族嫌い」の方たちも、この内裏こそが鎌倉幕府による内裏大番役の対象であったこと、御家人たちが分担して殿舎や築地塀を造営したことを思い出していただければ、納得していただけるものと思います。ちなみに、建長の造営の際、千葉介は十一間の西対の造営を担当しています。
 閑院内裏に関する最近の主な研究は以下のとおりです。

 野口孝子「閑院内裏の空間領域」『日本歴史』674,2004年
  同   「仁和寺本『系図』に描かれた陣中について」『仁和寺研究』5,2005年
  同   「閑院内裏の空間構造-王家の内裏-」
      髙橋昌明編『院政期の内裏・大内裏と院御所』文理閣,2006年
 木村英一「王権・内裏と大番」同
 野口 実「中世前期の権力と都市-院御所・内裏・六波羅-」
      髙橋康夫編『中世都市研究12 中世のなかの「京都」』新人物往来社,2006年  
 ぜひ御一読を。