中世史研究会参加記

No.5044

 9月2日(土)に名古屋大学文学部で開催されました〈シンポジウム 中世史家・網野善彦― 原点の検証―〉にお邪魔して参りました。名古屋在住の野口くん、大谷大の青木さん、お久しぶりの鍛冶くんなど、当ゼミゆかりの面々もお出ででしたね。
 野口くんには松薗斉先生をご紹介頂き、ご挨拶する機会を得ました。松薗ゼミのみなさんは本日より京都にて合宿とのことですが、昨日の今日でお疲れではないでしょうか。

 シンポジウムは、お仕事をご一緒されたりご指導を受けるなどで生前の網野さんをよくご存じの方々による、網野さんの業績の批判的検討と、全体による討論によって構成されました。既に幾人かの方による網野さんの業績の検討も発表されておりますが、今後、同様の企画の開催や著作集の刊行(?)等が進めば、氏の業績の全体像の位置付け(これが難しそう!)もより明確になるのではと思われます。
 それはともかく、網野さんのお姿すら拝見することも叶わなかった者としては、生前の網野さんをよくご存じの方から、「あんなこと仰ってた」「こんなふうに仰っていた」という往時のお話を伺うことだけでも、貴重な経験と言わなければならないでしょう。
 終了後の懇親会にもお邪魔させていただきまして、はじめからおわりまで楽しく充実した時間を過ごさせていただきました。

>厳島調査チームのみなさん
 心配されたお天気は、両日とも好天だったようですね。調査の成果を伺うのを楽しみにしております。すでに某くんを通じてこちらの様子はお伝えしておりますが、詳しくはまたご報告します。

安芸厳島から帰着しました。

No.5045

 >岩田君 御報告ありがとうございます。おおきな成果があったようで何よりです。

 厳島調査の方も、所期の目的を完遂して広島で現地解散。私は18時まで広島城天守閣が開館しているというので、これを見学した後、新幹線・奈良線を乗り継いで先ほど宇治の拙宅に戻りました。

 今回は研究所共同研究の研究協力者に連なるメンバーとの調査旅行でした。宮島では弥山に登って警固屋の所在を考えつつ本州の山々や瀬戸内の島々を眺め、水精寺梵鐘の銘文を確認。また厳島神社は昨日(2日)のみならず本日(3日)の午前にも海を渡って潮の干満による景観の変化を観察し、対岸にある外宮・地御前社の位置を把握して現況を調査するなど所期の目的をほぼ完遂することが出来ました。
 千畳閣で、秀吉の国家構想について想いを馳せることが出来たことは、予期せぬ収穫でした。

 それにつけても猛暑のさ中、メンバーの体力には脱帽でした。私はといえば弥山では遂に頂上までの登頂は一人断念。本日は脚はガタガタ、腕は日焼けで真っ赤という有様で、もはや若者との同一行動の不可なることを悟らざるを得ないという有様でした。

 しかし、参加者諸姉兄は事前勉強も完璧で、ここで紹介するのを失念していた角重始「安芸国における荘園公領制の形成」(『日本史研究』275)のコピーを見せていただいたり、昨夜の食事後の「検討会」において、常々自分自身でその客観性に自信をもてないでいた最近の学界における日本中世史研究の状況に対する認識に対して、様々な立場から忌憚のない意見を交わしていただく機会を得たことは幸いでした。
 これに関連して、歴史学と国文学の間に横たわる深くて大きな溝を埋めるために両ジャンルが積極的な意見を交わす必要性について田中さんと共通認識が得られたことも収穫でした。

 すべての面で、参加者の方たちに御礼を申し上げる次第です。
 それにしても、今回の調査旅行成功の最大の立役者は佐伯君にほかなりません。博論執筆をはじめ、諸事御多用の中、本当にありがとうございました。

>佐伯君・長村君 中川真弓「国立歴史民俗博物館蔵田中穣氏旧蔵『菅芥集』について-付翻刻」(荒木浩責任編集『小野随心院所蔵の密教文献・図像調査を基盤とする相関的・総合的研究とその探求』大阪大学大学院文学研究科共同研究研究成果報告書 2005)をぜひ、お目通しおき下さい。これは岩田君も。  

お疲れさまでした

鍛治 利雄
No.5049

18切符を友達に譲ってもらい、のんびり名古屋に赴いて来ました。

当会場で気さくに声をかけて下さった岩田さん、お探ししたんですけどお会いできなかった野口さん、
残暑きびしい中、お疲れさまでした。ありがとうございます。

報告を聞き終えまして、もっと真剣に勉学に取り組まなくてはいけないなと猛省するばかりです。