中世文学会のおしらせ

No.503

みなさまこんにちは。元木先生主催の多田見学会が開催されたというのに何のレポートもなく、平家物語研究会前に比べると最近の掲示板はすっかり寂しくなりましたね。
 さて、10月25日~27日に同志社大学今出川キャンパスで中世文学会が開催されます。初日が公開講演会、2日目は研究発表で、それぞれの時間、場所、表題は以下の通りです。
10月25日(土)
*公開講演会(14:00~16:30 至誠館22番教室)
天神信仰研究の課題              竹居 明男
 ―『天神信仰編年史料集成』を編んで―

太平記の生成と守護大名            長谷川 端

10月26日(日)
 *研究発表(10:00~12:00、13:00~16:10 明徳館21番教室)
『徒然草』に序段はなかった          山村 孝一
 ―『徒然草』冒頭部の新解釈―

天理本井蛙抄雑談篇の考察―二条家正統の書として― 野中 和孝

医薬神話の生成                小野 裕子
 ―オホナムチ・スクナヒコナをめぐって―

(昼食)

『平家物語』における「孝養」         金 英 順

『平家物語』巻二「座主流」から「一行阿闍梨沙汰」の明雲配流・奪還叙述について―覚一本の改変性とその意図― 谷村  茂

『ぼろぼろの草子』考―宗論文芸としての意義―   恋田 知子

《高砂》の主題と成立の背景          天野 文雄
 ―応永末年の阿蘇大宮司の上洛と義持の治世をめぐって―

以上です。当日は受付または会場内でマイクを持って走り回っていることと思いますが、是非お越しください。

>末松さん
 遅くなりましたが、田中貴子氏の論考タイトルを教えて頂いてありがとうございました。早速入手したいと思います。

学会シーズン

No.505

田中さんありがとうございました。ついに「矢尽き、刀折れ」で多田神社に推参できなかった小生に代わって、どなたかレポートをお願いします。近藤先生の解説もあり、さぞかし充実した一日であったことと思います。
 中世文学会の初日は竹居先生ともう一人の方も歴史学が御専攻のようで、これは長村・山本両君にとっては、必見いや必聴のように思います。
 この秋、歴史の方では何と言っても、立命館大学で開かれる日本史研究会の大会がメインになるでしょう。中世史部会は宮田敬三氏の治承・寿永内乱期の軍制に関する報告があり、これは『平家物語』を対象に研究をされている国文の方にもお薦めいたします。その研究報告のための準備会もしばしば開かれていますから、武士に関わる研究テーマを掲げている方はぜひ、出席されたらよいと思います。小生も昔、美川先生が京都府立大で御報告の時、準備会にしばしば参加させていただきました。当時、小生はすでに30歳代半ばを過ぎていましたが、そのころ院生で、積極的に参加されていた方たちが、現在、助教授クラスになって学界を支えておられます。川合先生・市澤先生、それに愛知県立大の上川先生などのお名前が浮かびます。
 ちなみに、日本史研究会のHPアドレスは
  http://wwwsoc.nii.ac.jp/jhs/
です。詳細は中世史部会のサイトでご覧下さい。
 報告といえば、小生もこの秋から先、「歴史グループ早雲」の学習会(10月25日)、埼玉県飯能市郷土館(11月29日)、仏教文学会(12月13日)で講演の予定です。仏教文学会の会場は同志社女子大(今出川)なので、よろしければ御来聴のうえ御批判をいただければ幸いです。それにしても、再び「矢尽き、刀折れ」にならなければ良いのですが。

多田神社見学レポート

No.506

多田神社に関するレポートが遅れてスイマセン。
先日、元木先生・近藤先生の案内で多田神社とその周辺の寺院を巡って来ました。
多田神社では、室町時代によく鳴動したとされる満仲・頼光廟と宝物館では近藤先生から直に武器武具の解説をしていただきました(近藤先生から質問されて答えられなかったなど勉強不足も実感)。また頼光が持っていたとされる伝「鬼切丸」などや、やや怪しげな物(?)もあり大いに勉強にもなり楽しめました。源氏ファンの方は必見の神社です!
また満願寺では、頼光四天王の一人坂田金時(鉞担いだ金太郎)の墓や、源家歴代の墓(国房・光国・明国・仲政・国直・行国・国基)などもあり、この多田付近一帯が満仲・頼光などの後の摂津源氏と関係の深い土地であることをあらためて実感しました。自分は関西に住んで長いはずですが、摂津や播磨などの大阪・神戸の土地鑑がまだないので、その点でも勉強になりました。
満仲は自分のイメージでは、都で活躍している=在京活動がメインであり、多田との関係はどうなっていたのか、また子の頼光も美濃守のイメージが強く、実際摂津守になったのは晩年で父満仲同様、やはり多田との関係はどのうようになっていたのか疑問に思う点もあります(京都から多田は今でもそんなに近
い場所ではないのでそんなに頻繁に往復していたのかなど)。
この点は源氏だけでなく他の軍事貴族層にも言えることですが。ただ『平家物語』の出てくる多田行綱の関連の史跡や関連するものは全く無く、やっぱり地元でも人気の無い人物なんでしょうか?治承・寿永の内乱期にはわざわざこの地に戻ってまで来ているのに。でも「行綱グッズ」(金太郎Tシャツはありました)や多田行綱の像が駅前にあったらそれはそれでコワイ気もしますが。
元木先生から野口先生への伝言があったので「伝奏」します。
「くれぐれも無理をせず、お体を大切にして下さい」とのことで、先生の体を気にしていらっしゃいました。「矢尽き、刀折れ」ないよう気をつけてください。
※元木先生の多田神社見学案内の項の書き込もうと思いまいしたが、画面上から消えていたのでこちらに書かせていただきました。ご了承ください。